第21話

「そうかな。確かに今っぽい雰囲気の夢だけど、この時代を夢に見てるなら今いるあたし達は何だって話になるし。それに、未来を夢に見るのもおかしいでしょ。だったら、前世って考えるのが一番しっくりくると思うけど」


 不満げに菖子が言う。

 藤花も彼女が口にした言葉は一理あると思うが、首を縦に振ることができない。すると、否定することは許さないとばかりに菖子が言葉を続けた。


「あたしも、変だとは思ってたよ。でも、これから起きることを夢に見てるって言うより、一度経験したことを夢に見てるって感じがするし、やっぱり未来っていうより過去なんじゃないの」

「確かに、過去に経験したことを夢で追体験してるって感じだけど。でも、菖子。何度か生まれ変わってるって言ってたよね? それなら、夢に見てる前世はかなり古い時代のはずでしょ。塔の中が現代的なのは話が合わないと思う」

「そんなこと言うなら、未来から過去に生まれ変わるっていうのもおかしいと思うけど」


 菖子が不機嫌そうに言い、ミルクの混じったアイスコーヒーをごくりと飲んだ。


 藤花は、長い髪をくしゃりとかき上げる。

 自分の意見も、菖子の意見もおかしなところはない。

 間違っているとしたら、夢の方なのだ。


 夢は鮮明ですべて正しいように思えるが、不確かで不審で信じられないものがある。お互い矛盾も感じている。しかし、夢の中に矛盾を解決できるだけの情報があるとも思えなかった。


 明るいファミリーレストランの中で三人の周りの空気だけがどんよりと淀み、テーブルが重苦しい雰囲気に包まれる。さっきまで気にならなかった店内に響く雑音が耳について、藤花は小さく息を吐いた。


「無理に答えを出す必要はないんじゃないですか?」


 静かだが、よく通る声だった。

 今まで黙っていた翠が紙ナプキンで何かを折りながら、言葉を続ける。


「過去にしても未来にしても、答え合わせはできないですし。だったら、わかるまでそのままにしておけば良いと思います」


 翠が顔を上げ、白い鶴がテーブルに現れる。


「そうした方がいいかも」


 菖子が同意して、鶴を手のひらにのせた。

 藤花は、頼りない姿をした鶴をじっと見つめる。視線で羽を動かすように“飛べ”と強く念じると、菖子の手のひらから鶴が少しばかり浮き、向かい側の二人が驚いた顔をした。


「そうだね。仲間が見つかれば答え合わせができるかもしれないし、その時まで保留にしようか」


 答えを急ぐ必要はない。

 何かが解決するわけではないが、答えの出ない問いを延々と繰り返すよりは良いだろうと藤花は翠の提案を受け入れる。


「そう言えば、仲間って本当に探すの?」


 藤花の言葉に翠が思い出したように言い、菖子を見た。


「探すよ」


 菖子が短く答え、翠がわずかに顔を顰める。だが、彼女は眉間に刻んだ皺をすぐに消し、何事もなかったかのように「そっか」と小さく呟いた。


 藤花には、その姿が菖子の言葉を拒んでいるように見える。

 仲間を探すことを誰かに強制したいわけでも、無理をして欲しいわけでもなかった。


「村瀬さんが嫌なら、一緒に探せとは言わないよ」


 藤花は、断るという選択肢を翠に提示する。

 しかし、彼女がそれを受け入れることはなかった。


「私も一緒に探します」


 凜とした声で宣言して、厚みの足りないピザをほおばる。


 翠は、前世というものを信じていない。


 そんな彼女が一緒に探すと口にしたところで、当てにはできない。そう考えてから、藤花は思い直す。探し物は、仮に翠が真剣に探したとしても簡単に見つかるようなものではない。


 藤花は、涼しさの足りない店内を見る。落ち着きのない夕方の店は、埋まっていない席の方が多い。例えばこの店の中に前世の仲間がいたとしても、ここにいる三人が真面目に探したところで見つかる可能性は低いだろう。


 視線を白い鶴に移し、藤花は菖子の手の中からそれを奪った。


「そう言えば、淡藤のアカウントどうなった?」


 思い出したように菖子が言う。


「かわりなし。すぐに連絡が来るかも、なんて思ったけど、そんな簡単にはいかないね」


 藤花はテーブルの真ん中に鶴を置いて、指で弾く。


「だよね。あたしもSNS見たけど、それっぽい人は見つからなかったし」


 菖子が溜息を一つついて、黒と白が混じり合ったアイスコーヒーを飲む。グラスがテーブルに置かれると、翠が彼女に問いかけた。


「もし、仲間が見つかったら会うの?」

「藤花は、会いたいんだよね?」


 質問はするりと流され、藤花の元へとやってくる。


「会って話を聞くつもりだけど、相手が会いたくないって言うなら話だけでも聞きたいかな」


 仲間には会いたい。

 だが、会うこと自体が目的ではない。


 藤花の望みは、前世の話を聞くことだ。会って話を聞けるならそれが一番だろうが、話が聞けるならばその方法を限定するつもりはない。


「だってさ」


 藤花の答えは菖子によって翠に受け渡されるが、彼女は気乗りがしないのか抑揚のない声で答えた。


「わかりました」


 翠という少女は、扱いが難しい。

 藤花は心の中で溜息をつく。


 彼女は、あからさまに藤花という人間を警戒している。そのピリピリとした空気が時折藤花に纏わり付き、居心地が悪い。そして、これから先、何度も会うことになるにしては愛想がない。もう少し打ち解けてくれればと思うが、それが叶うとも思えなかった。


「それにしても、本気で探すならもう少し情報がないと難しいかな」


 藤花は盛り上がらないテーブルの空気を吹き飛ばすように明るい声を出し、鞄の中からスマートフォンを取り出す。淡藤のアカウントを確認するが、有用な情報はなかった。


「何かあった?」

「何もない」


 菖子に問いかけられて、藤花はスマートフォンを彼女に渡す。すると、翠が思い出したように言葉を紡ぎ、話の流れを変えた。


「ねえ、菖子。さっき、菖子の夢に塔から脱出しようとした人は出てきてないって言ってたけど、この前は淡藤が脱走騒ぎ起こしたって言わなかった?」

「言ったよ」

「それって、おかしくない? 淡藤は塔から逃げようとしたんでしょ? それは脱出じゃないの?」


 記憶の糸を辿るように静かに翠が言う。

 藤花も頭の中にしまわれた情報を引っ張りだし、並べてみる。淡藤が脱走騒ぎを起こしたという夢はまだ見ていないが、確かに前回このファミリーレストランでそういった騒ぎがあったという話を聞いた記憶があった。


「おかしくない。夢を見たらわかるよ」


 菖子がにこりと笑う。

 正解を教えるつもりはないらしく、続く言葉はない。藤花は考えてもわからないことに労力を割くことは止め、背もたれに背中を預けた。


「その夢が自由に見られたら良いんだけど。見たいときに夢を見られる方法はないのかな」


 前世の夢を見るという行為に本人の思いの強さは関係なく、願ったところで見ることはできない。気まぐれな小鳥のように唐突に現れ、記憶に刻まれる。自由に夢を見ることができたら、仲間を探す必要もなく前世のことを詳しく知ることができるだろう。


「あったら、あたしがもう試してる」


 菖子の答えは予想できる範囲のもので、気落ちすることもない。藤花は「だよね」と一人納得すると、たいした期待もせずに問いかけた。


「昨日は、夢見てないの?」

「見たよ、昨日」


 思いもかけない言葉に、藤花は身を乗り出す。


「なんで早く言わないの。どんな夢だった?」

「あまり良い夢じゃなかったから。……淡藤と喧嘩してた」


 ぼそりと答えて、菖子が詳細を語り始める。


 塔から出たいと駄々をこねる淡藤と揉めた。

 要約すれば、淡藤の我が儘。

 それが喧嘩の原因のようだった。

 時系列で言うと、藤花が初めて見た夢よりも後の話になるらしい。


 藤花が知らない夢の話は面白いものではあったが、前世の手がかりになるような内容ではなかった。菖子が過去に見た夢の中にも、有効な情報はない。結局のところ、前世の謎を解き明かすには、仲間を見つけ出し、夢を繋ぎ合わせていくほかなさそうだった。


 話が途切れ、間が持たなくなる前に、藤花は伝票を持って立つ。精算を済ませて家まで送ることを申し出るが、翠から丁重に断られた。菖子も翠と一緒に帰ると言い、店の前で別れることにする。


 菖蒲色の髪に、白いセーラー服。


 夏服からのぞく白い腕が眩しくて、藤花が目を細めた瞬間、頭の中に「好きだよ」という言葉がねじ込まれる。体の中に直接響く声に、藤花の目が菖子に釘付けになった。


「またね!」


 今度は、菖子の明るい声が鼓膜を震わせる。

 藤花が黙って手を振ると、菖子が楽しそうにくすりと笑い、紺色のスカートを翻して背を向けた。

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