第20話
仕事と言えるものは、求人サイトに山のようにある。しかし、働きたいと思える仕事はそうそうない。
「んー」
小さく唸って、藤花は三十分もしないうちにブラウザを閉じた。
贅沢を言うつもりはないが、働かなければという強い意志がない藤花には、仕事を探すという行為自体が大きな仕事になっている。そのせいか、仕事を探すという目的でノートパソコンに向かっているとすぐに疲れてしまう。
時計を見ると、まだ学校が終わるには時間がある。藤花は本を数冊手に取って立ち上がると、ベッドに寝転がった。
一日という限られた時間、すべきことはそれほど進まず、最後はいつも息抜きと称して動画を見たり、本を読んだりすることになる。怠惰な自分に呆れながら手にした本を読み終えた頃、スマートフォンが着信音を鳴らした。画面を確認すると、菖子からメッセージが届いている。
『学校終わった。
有り体に言えば、気が進まない。
だが、翠を連れてくるなとも言えない。
菖子にとって彼女は大切な友人で、前世で繋がりがあったとも信じている。
藤花は、小さく息を吐き出す。諦めたように『大丈夫』とだけ書いてメッセージを送ると、間髪をいれずに『じゃあ、今から一緒に行くね』と返ってくる。
菖子に、早く会いたいと思っていた。しかし、翠が来ることを知ってしまった今、心が暗雲に覆われたかのように気持ちが重たかった。体を動かすことすら億劫で、藤花はのろのろとベッドから起き上がる。
服を着替えて、スマートフォンを鞄の中に放り込む。
車の鍵をポケットに突っ込み、部屋を出ようとして立ち止まる。机の前へ戻るとパソコンの電源を付け、淡藤のアカウントをチェックして検索サイトで検索をする。だが、前世に関する手がかりはないという結果に変わりはなかった。
はあ、と溜息をついて部屋を出る。
玄関から外へ一歩踏み出すと、夏の太陽が藤花を照らす。駐車場へ急いで向かって自動車に乗り込めば、太陽に焼かれ続けた車内は外よりも暑い気がした。
目的地であるファミリーレストランは、車ならすぐに着く。店内に入ると、クールビズという大義名分を得て室温が高めに設定されているのかそれほど涼しくない。べたりとシャツが肌に張り付く不快感に顔をしかめていると、後ろから声をかけられた。
「藤花!」
聞き覚えのある声に振り向くと、高校生二人が並んで立っている。
「タイミング良いね」
菖子と翠に声をかけ、席に案内してもらう。
以前と同じように菖子と翠が並んで座り、藤花は向かい側の席に腰掛けた。
「すみません。ついてきてしまって」
注文をすませると、生徒の見本のようにきっちりと制服を着た翠がすまなそうな顔をして頭を下げた。
「
藤花は、心にもないことを口にする。
制服を着ていた頃にまで遡れば、嘘を付くことは苦手だった。しかし、円滑な人間関係を望むなら、事実ばかりを口にしているわけにはいかない。時には自分を偽ることも必要で、嘘を繰り返しているうちに感覚は麻痺し、心をちくりと刺す針はなくなっていた。
大人になることは、良いことばかりではない。綺麗だったものを自ら汚しながら年を重ねているようなものだ。藤花には、大人というものが酷くつまらないものに思える。
高校生二人のたわいもない話を聞きながら己の内へと潜っていると、声をかけられる。三人仲良くグラスを液体で満たして戻ってくると、菖子がアイスコーヒーをごくりと飲んでから言った。
「夢のことで話があるって書いてあったけど、もしかして見たの?」
「菖蒲に初めて会ったときのことを夢に見た」
「もしかして、塔の中を案内した日の夢?」
菖子が楽しそうに頬を緩め、藤花をじっと見た。
「そう。菖子も、あのときの夢見たことあるんだ?」
「見たよ。管理官の蛍って人に呼ばれて、淡藤を案内することになった。あのときの淡藤、すごく嫌そうな顔してたよね。こんなところにいたくないって」
「よく覚えてるね」
「まあね。前世の夢って、どういうわけか忘れないんだよね。藤花もそうでしょ?」
「理由はわかんないけど、普通の夢みたいに記憶が薄れたりしないね」
「特別な夢ってことなのかな」
菖子がぼそりと言う。
彼女の隣に座っている翠は、頷くわけでも言葉を発するわけでもなくアイスティーを飲んでいた。
ほんの短い間、静かになった空間を乱すように安っぽいピザが運ばれてくる。藤花は、薄っぺらいピザを見ながら「そうなんだろうね」と相づちを打った。
やはり藤花と菖子が見る夢は、同じ類いの夢らしい。
記憶に残り、二度と追い出すことができない力を持った夢。
二人とも、そういった夢を見ている。
「あの日、図書館から案内したんだよね」
夢を思い出しているのか、菖子が穏やかに言って笑う。
「そこまで夢で見た」
「話、あってる?」
「あってるね」
夢には、不審な点がいくつもある。
それでも同じ図形のように記憶は重なり、過去を語り合うことができる。藤花には、これだけの偶然があるとは思えない。そして、記憶が重なれば重なるほど、仲間がどこかにいるのではないかと考えたくなってくる。
「翠は、何か思い出しそう?」
菖子が眼鏡をかけた隣の少女に問いかける。しかし、翠は躊躇うことなくあっさりと答えた。
「無理みたい」
藤花はメロンソーダを口に含み、ごくりと飲み込む。
翠の声は、重くもなく軽くもないものだった。さらさらと流れていく小川のようで、その裏に何かが隠されているとは思えない。そもそも、翠という少女は模範的な生徒に見える。
だが、違和感が拭えない。
藤花は、初めて会ったときから翠を信用できずにいた。それは、今日も変わっていない。
「村瀬さん。もしも同じ塔にいたなら、管理官の蛍って人になら会ったことあるんじゃない?」
ピザを手に取りながら尋ねる。
翠を排除したいわけではない。藤花は、べたりと体に張り付いた蜘蛛の巣のような不快感を取り除きたいだけだった。
「そういう人、いたような気がします」
「黒髪の偉そうな人なんだけど。夢に出てきてない?」
曖昧な答えを出した翠に、菖子が助け船を出す。しかし、翠は困ったように眉根を寄せ、「あの人かなって、人はいる」と不透明な言葉を口にした。
「その蛍ってどんな人なの? 菖子、わかる?」
藤花は翠から話を聞くことを諦め、菖子に視線を向ける。
「塔の管理をするというより、あたし達を監視してるって感じの人かな」
「監視してどうするんだか」
呆れたように言い、藤花は手にしていたピザに齧り付いた。
塔という場所に押し込められた上に見張られるなど、普通に生きていたらあり得ないことだ。藤花は、窮屈な人生を送っていたであろう淡藤に同情したくなってくる。
「監視するのは悪いことをしないように、かな」
「悪いことって?」
藤花は緑色の液体を一口飲んでから、菖子に問いかける。
「能力を使って、塔から逃げたりとか」
「そんな人いるの? というか、逃げ出せるほど強い能力持ってる人いないよね?」
塔には、超能力者が集められている。
だが、塔にいるのは“外に出ることができない能力者”だけだ。塔内で行われている能力訓練で優秀な成績を収めなければ、外に出ることは許されない。
それを考えれば、力を使って逃げることができるような者が塔にいるとは思えなかった。
藤花は、答えを促すように菖子を見る。
「いないけど、脱出しようとした人はいたみたいだから」
「脱出できたの?」
「あたしが見た夢には、脱出しようとした人は出てきてない。蛍って管理官がそういう人がいたって言ってただけだから」
「そっか」
「そんなことより、あたしが見た夢と藤花が見た夢、ちゃんと一致してたね」
菖子が高校生らしい爽やかな笑顔を向ける。これまでの言葉が正しかったことを証明したとは言わなかったが、その正当性を誇るように背筋が伸びている。
菖蒲色の髪に比べ子どもっぽい態度に、藤花は小さく笑う。しかし、すぐに口元を引き締め、疑問に感じていたことの一つを言葉にした。
「ちゃんと一致してたけどさ、でも、本当に前世の夢だと思う?」
「どういう意味? 前世の夢って信じられないってこと?」
「信じられないっていうのとは少し違うかな。本当に、過去のことなのかってこと。初めて見たときも思ったけど、夢の中って過去というよりは、現代とか未来って言った方が良い雰囲気じゃない?」
振り返れば、最初に夢を見たときも過去というよりも現代に近い時代を夢に見たと感じた。
前世というには、今、生きている時代に近すぎる。
そう感じたはずだった。だが、菖子の言葉に流されるように前世の夢だと信じるようになり、初めて夢を見た日の感情は有耶無耶になっていた。
「一度、本当に前世なのか考え直した方が良いと思う」
藤花は前世という前提を改めることを提案するが、菖子は難色を示した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます