第8話
屋上になど、いかなければ良かった。
藤花はため息を一つつき、犬のように玄関で待ち構えていたにゃあこをひと撫でする。鞄を部屋に置いてリビングへ行くと、柚葉が待っていた。
「お姉ちゃん、おかえり。お母さん、遅くなるって」
「夕飯は?」
「冷蔵庫に、焼きそばとうどんがあるって言ってた」
柚葉がソファーの上から、キッチンを指さす。
藤花は冷蔵庫の前へ行き、中身を確認する。豆腐にかまぼこ、豚肉、そして、柚葉が言っていた焼きそばが見えた。奥には、うどんの代わりに蕎麦も見える。藤花は焼きそばを夕食に決めて、リビングへと戻る。
「柚葉。あんた、前世って信じる?」
ごろりとソファーに寝転がってテレビを見ている柚葉に声をかけると、妹の興味が藤花へと向いた。ソファーの上であぐらをかいて、行儀が良いとは言えない姿で藤花を見る。
「どこかの国の姫とか、勇者とか、そういうのなら信じる」
「いや、そんなんじゃなくて」
藤花は柚葉の隣に腰を下ろすと、「もっとありえる感じの」と付け加える。
「ありえるって? 武士とか商人とか、そういうの?」
「んー、まあ、ちょっと違う感じもするけど、大体そういう感じ」
「もしかしたらあるかも、とは思うけど。実際に、あなたの前世は商人でした、とか言われたらかなりうさんくさい」
「だよねえ」
「……もしかして、わけのわからない霊能力者に前世を占われて、法外な料金請求されてる?」
心配をしているという体の言葉だったが、柚葉の顔には興味本位で騒ぎに群がる野次馬のような表情が浮かんでいた。
ここ最近のことを考えれば、柚葉の言葉は当たらずといえども遠からずというところで、藤花はわけのわからない女子高生に前世を押しつけられている。だが、事実を告げれば、心配どころか興味津々といった顔で質問攻めにされるに違いない。
「占われてもないし、法外な料金も請求されてないから」
藤花はおあずけを言い渡された犬のような顔をした柚葉をいなして、テーブルの上に置いてある箱の中からクッキーを取って囓る。隣から「それ、私の」と不満そうな声が聞こえるが、藤花は黙って甘ったるい小麦粉の塊を胃の中に落とした。
「お姉ちゃん。最近、変な人多いから、あやしい人になんか言われても信じちゃ駄目だよ」
「あんたに言われたくない」
「ひどーい」
さして酷いとは思っていない声で柚葉が抗議し、すぐに何かを思いだしたらしくぽんっと手を打つ。そして、期待に満ちた目を藤花に向けた。
「そういえばさ、超能力ってどうなった? お姉ちゃん、子どもの頃に念力みたいの見せてくれたじゃん」
次に来る言葉が何かは予想ができる。藤花は、柚葉がその言葉を口にする前にはっきりと断言した。
「あれ、今はできないよ」
「嘘」
「ほんと」
「なんでできないの? もしかして、あれって本当は手品とかだった?」
「今ごろ気がついたの?」
すげなく言って、藤花はクッキーをもう一枚手に取る。今度は、クッキーの所有者を主張する声が聞こえてこない。かわりに、柚葉は眉根を寄せ、ハムスターのようにサクサクとクッキーを咀嚼する藤花をじっと見ていた。
世の中で超能力と呼ばれ、科学により合理的な説明をすることができない力。
幼い藤花はその力により、羨望の眼差しを得た。しかし、その眼差しはいつしか軽蔑の目へと変わった。能力は嘘だと、インチキだと言われ、否定された。
説明のつかない能力は、それがどんなに小さなものでも厄介なものだ。人は裏があるのではないかと勘ぐり、ありえないものと断じ、その力自体が罪であるかのように裁こうとする。取るに足らない役に立たない力でも、輪の中にいるものをはじき出し、迫害する。
藤花の回りも、例外ではなかった。
無邪気に見たことのない不思議な能力を信じていた子どもたちは小学生になり、分別を知り、異物を排除した。飽きた玩具を捨てるよりも簡単に繋がっていた手を離された藤花は、人混みに紛れることを選択した。息を潜め、誰かと同じになり、すげ替えのきく存在になる。それは息苦しくもあったが、平穏な生活を手に入れるためには必要なことだった。
「あれ、本当に手品だったの?」
柚葉が眉間の皺を深くしながら、尋ねる。
「超能力なんてあると思う?」
「ある。……といいな」
「前世は信じないのに、超能力は信じるんだ?」
「だってほら、お姉ちゃん使ってたし」
“お姉ちゃん”にはある程度の信用があるらしく、柚葉はその力を疑いながらも否定しない。だが、藤花は人間という生き物が涼しい顔で異質なものを取り除くことを知っている。例え血が繋がっていようとも、それは例外ではないと思う。
不思議な力は、超能力ではなく手品。
相手が誰であれ、そういうことにしてしまえばすべて丸く収まる。
「じゃあ、これ、超能力で動かしてみたら。超能力者の妹ならできるかもよ」
にこりと笑って箱の中からクッキーを一枚取り出し、テーブルの上へ置くと、柚葉がいつになく真面目な顔をした。柚葉の視線が丸いクッキーに釘付けになり、リビングが静寂に包まれる。眉間の皺を二本に増やし、クッキーに手をかざす。
柚葉がぷるぷると指先を震わせながら、粉砕しそうなほど強くクッキーをにらんで数十秒。
しんと静まり返った部屋に「駄目だ!」という声が響き、実験台にされていたクッキーが柚葉の口の中に消えた。
「こんなの無理だって」
「残念。無能力者だったか」
芝居がかった口調で藤花が言うと、「タネがないわけないか」と気の抜けた声が返ってくる。
「じゃあ、お姉ちゃん。久しぶりに手品やってよ」
子どものように煌めく瞳で柚葉が見つめる。
「やり方、忘れた」
「なにそれ。できないの?」
「もうできない」
「あー、もう。ちゃんと練習しといてよね」
「はいはい」
藤花は気のない返事をして、立ち上がる。そして、テレビに視線を向けた柚葉をキッチンへと連れて行く。冷蔵庫から野菜と肉を取り出し、焼きそばを作る準備を始める。
包丁にまな板、フライパン。
並べた調理器具に、料理人が二人。
それほど手間が掛からない夕食は、すぐにできあがる。
席に着けば、柚葉の前には焼きそば、さらにご飯が一緒におかれていた。
「お姉ちゃん、ご飯いらないんだよね?」
「いらない。焼きそばにご飯なんて、炭水化物地獄すぎる」
「焼きそばだけじゃ、足りなくない?」
「足りる」
同じ親から生まれても、藤花と柚葉は食べ物の好みが違えば顔も声も違う。似ているところがいくつもあっても、異なる部分の方が多い。超能力も藤花だけが持っている能力だ。前世と思われる夢も、藤花だけが見ているらしかった。
藤花の中に、その二つに意味を与えたがっている自分がいる。柚葉だけでなく、これまで知り合った人たちも持っていなかったものを特別なものだと考えたがっていた。
藤花は準備の半分ほどの時間で夕飯を食べ、片付ける。
いつもと同じように、やるべきことをやり、日付が変わった頃にベッドへ転がる。
これまで夢は眠っている間に見るもので、それ以上のものでもそれ以下のものでもなかった。だが、菖子と出会い、夢が別のものに変わりかけている。
また、夢を見るかもしれない。
また、夢を見たいのかもしれない。
藤花は、恐る恐る目を閉じる。
しんと静まった部屋の中、窓の外から夜の音が聞こえる。
瞼が作った闇の奥、意識が薄れても何も見えないままだった。
今日も、夢には淡藤も菖蒲も出てこなかった。
だから、藤花は屋上へは行かなかった。
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