第7話
「ちょっと! なにするつもり!?」
「キス。もっと思い出すかもしれないでしょ?」
口を覆う手をべりべりと剥がし、菖子が事も無げに言う。
「そんなことで、思い出すわけないでしょ」
「思い出すかどうかなんて、やってみなきゃわからないよ。藤花」
「大体、なんで呼び捨てなわけ。私の方が年上だし、会ったばかりなのに。普通は“さん”付けじゃない?」
「前世では同い年だったし、恋人だったから」
「私は淡藤じゃないし、今は前世じゃない」
藤花は言い切って、菖子に背を向ける。だが、菖子はそれを許さない。藤花の肩を掴み、自分の方へと向かせる。操り人形のように方向を変えた藤花は、菖子と目が合う。
「あたしのことも呼び捨てでいいよ」
柔らかい微笑みとともに、菖子が告げた。しかし、藤花は彼女を受け入れる意思がないことを明確にするために、名字を口にする。
「及川さん」
「菖子」
「及川さん」
「菖子でいいよ」
そう言って、菖子が藤花の長い髪に触れる。指先で遊ぶように、髪をすくう。
「菖子、やめて」
名字ではなく名前を口にすると、菖子が満足したように言った。
「やめるから、どんな夢だったか教えてよ」
教えたくないと言って、すんなり解放してもらえるとは思えない。無駄な抵抗で時間を浪費するのも、馬鹿馬鹿しい。
藤花は諦めて、記憶の中から前世らしき夢を口にする。もちろん、夢が途切れる前、最後に起こったことは伏せておく。
夢であることを自覚しながら見た夢――明晰夢の八割を語って、菖子に「大体こんな感じ」と告げると、彼女は手すりに体重を預けて眼下に広がる街を見渡した。
「どの時代か、どこかもわからないけど、それ、全部本当のことだと思う。その日のことを夢に見たことはないけど、部屋も同じだし、年齢とか塔のこととか全部あたしが知ってることと同じ。だから、夢の中に出てきたの前世だよ。あたしも、似たような夢を何十回も見てる」
「前世が夢に出てくるなんて、都市伝説みたいなものでしょ。オカルトだよ、オカルト」
「前世じゃなかったら、どうしてあたしと藤花、同じような夢を見たんだと思う?」
「……偶然だから、全部」
説明にならない説明をして、藤花は立ち並ぶビルを見る。
曇天の下、湿った空気が街を撫でる。
ビルの中では、ネジを巻かれた玩具みたいに人間が動き回っていた。
「昨日、あたしが教えたのは、淡藤と菖蒲がどっちも女で、二人が恋人だったってことだけ。なのに、話していないことまで一致してる。こんなこと、偶然なんて言葉で説明できると思う? それにこの前、藤花に使った力。あれ、夢と同じ力だよ。藤花にもあるよね?」
「ないよ。そんな力」
「あの日、あたしのリボンに使ったでしょ。風に逆らって、戻ってきた。あれが藤花の力だよね?」
「違う。そこだけ、風向きがおかしかったんじゃない」
藤花は、滑らかに嘘をつく。
菖子がこのビルから飛び降りようとしていた日、彼女は夢の中で菖蒲が使っていた力と同じものを使ってみせた。そして、藤花も、超能力と呼ばれる力を使うことができる。淡藤がどういった力を持っているのかわからなかったが、能力者を閉じ込める塔にいたのだから何らかの力が使えることは間違いない。
前世と現在がリンクしている。
藤花が力を使えることを告げれば、それはますます真実味を帯び、確かめようのない戯言が現実に近づく。しかし、それは大人と言われる年齢になってまで、信じるようなものではないことは確かだった。
「全部、偶然。それ以外にありえない」
藤花は、すべての因果関係を否定する。だが、菖子はそれを受け入れず、切れ味の良い刀で斬るようにすっぱりと断言した。
「こんな偶然ないから。前世の記憶以外、ありえない」
「菖子が嘘をついてるってことも考えられる。私が言ったこと、同じだって言って、後から肯定すればいくらでも前世なんて作れる。私の話に、うんうん、そうそう、って言ってるだけで良いんだからさ。前世なんて言われても信じられない」
藤花は投げ捨てるようにぞんざいに言って、言葉を続ける。
「それに、夢で見た人と菖子は似てない。菖蒲は美人系って感じだったけど、菖子はどっちかって言うと可愛い系でしょ。あと、菖蒲の方が落ち着いてたし、大人びてた。まったく違う。同じ人とは思えない」
肺の中の空気と一緒に、頭にあった言葉を一気に紡いだ藤花は小さく息を吸う。
梅雨のべたつく風が頬を叩く。
乱された髪を撫でつけて菖子を見ると、彼女は不機嫌に眉根を寄せていた。
「外見は関係ないよ。好きな見た目で生まれてこられるわけじゃないし、そんなのどうにもならない。藤花だって、見た目は淡藤と違うし」
前世というものがあったとしても、前世と血の繋がりがあるとは限らない。前世と外見が異なっても不思議ではないという菖子の主張は、おかしなものではなかった。
しかし、正しい意見であっても認めるわけにはいかないものもある。
「そうだけど。やっぱり、信じられない」
「じゃあ、今から藤花が話していないことを話す。それで、藤花があってるかどうか判断したらいい」
「知らないことかもしれないのに?」
「知ってそうな話するから。夢であたしの部屋にいたんだよね?」
「たぶん」
気は進まなかった。だが、くだらない辻褄合わせに付き合わなければ、菖子から解放されそうにない。藤花は仕方なく、彼女の質問に答えることにする。
「猫の置物、あった?」
夢の中、それは机の上に置かれていた。
藤花はその答えをごくりと飲み込んで、事実とは異なる言葉を菖子に投げた。
「……ない」
「嘘。あったでしょ。あれ、淡藤気に入ってたから、あたしの部屋を夢で見たなら絶対に出てきてる」
「そんなのなかった」
菖子の言葉を強く打ち消す。
こんなことが何になる。
いくら点と点を繋げても、答え合わせはできない。
夢は夢だと藤花は思う。正しいかどうかは、前世に戻らない限り確かめることができない。時間をさかのぼることなど、不可能なことだ。しかし、菖子は前世と現実を繋げることが不可能なことだとは思わないようだった。
「手のひらにのるくらいの陶器の置物だよ」
夢を現実に連れてくるように、菖子が藤花の手に触れる。手のひらを撫でられ、捕まえられる。
「可愛い茶トラの猫。見たよね?」
藤花の言葉など、最初から信じていない口調だった。やんわりと嘘を暴こうとする菖子に、藤花は白旗を揚げる。
「そんなの珍しいものじゃないし、偶然夢に出てきたっておかしくない」
「やっぱり、あったんだ。他にも藤花が知ってそうなことあるけど、続ける?」
「続けなくていい。帰るから」
「明日も来るよね?」
「もう来ない」
そう言って藤花が菖子に背を向けると、彼女の言葉が追いかけてくる。
「じゃあ、連絡先教えて」
「絶対に教えない」
「それなら、ここで待ってる。藤花が来るまでずっと」
待つのは自由だ。
ただし、藤花はもう屋上へ足を運ぶつもりはなかった。待つにしろ、待たないにしろ、菖子が好きなように決めればいいと考えて、藤花は歩き出す。
一歩、二歩、三歩。
藤花が四歩目を踏み出したとき、頭の中に「好き」という言葉が響く。声は耳からではなく、脳内に直接入り込んできていた。
藤花は振り向き、菖子を見る。
「そういうの、やんないで。私は淡藤じゃないから」
「やるよ。藤花は淡藤だから」
藤花はにこりと笑う菖子を置いて、階段へと続く扉を開けた。
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