第2話 巫女の祈り

 ランは駄菓子屋『嵐』に帰ってきた。この駄菓子屋は寂秋小学校からほど近いところにある。築数十年が経つ日本建築の一階を店として利用しており、二階が住居地となっている。ランは両親が亡くなって以来、この駄菓子屋『嵐』の二階で暮らしている。

 なお、ランの名前と店名が同じなのは、ただの偶然らしい。『嵐』はランが生まれる前から存在するし、ランの両親も別に『嵐』から名前をとったわけではないからだ。強いて言うならば、ランの名前の由来は、「吹くからに 秋の草木の 萎るれば むべ山風を 嵐と言ふらむ」だ。

「お帰り、ラン! 今日は遅かったな」『嵐』の店主、有明廻(カイ・アリアケ)がランに声をかけてきた。

「ただいま、カイ!」ランは叔父に笑顔を返す。

 カイは両親が亡くなったランの引き取り主だった。ランにとって母の弟のカイは唯一の肉親だ。

「放課後、友達と遊んでたのかい?」カイは商品の整理をしながら訊いた。

「ううん。ライとジンクスについて調べてた」

「ジンクス? どんなジンクスだい?」

「学校の。『寂秋小学校の学校行事の日には必ず晴れる』ってやつ」

「ああ。あの、最近効力が弱まってるって言われてるやつか」カイは顔を上げた。

「そういえば、カイって、寂秋神社の神主だったんだね。知らなかったよ」ランはさりげない(つもりの)口調で気になっていた話題を振ってみた。

「ああ。そうだよ。休業日にランがいない間に掃除とかやってるよ」

「へえ。そうだったんだ。ジンクスって、寂秋神社の神さまが子供たちのために生み出したって図書の本にあったんだけど、あれってホントなの?」

 カイはレジの方に移動しながら答える。「いや。違うよ」

「え、違うの!?」ランはカイについて行く。

「ああ。ラン、呪いって知ってるかい?」カイはレジの机に身を乗り出して訊ねた。

「え、知ってるけど……?」

「説明してご覧」

「えっと……、他人に悪いことが起きるようにすること?」

「まあ、少しだけ合ってるかな。じゃあ、祈りとどう違う?」

「祈りって、全然違うくない? 自分に幸せが降りてくるのを願うことじゃないの?」

「じゃあ、他人の幸福を願うのは祈りではない?」

「ん……、それも祈りかな」

「じゃあ、自分に不幸が来ることを願うことは、呪いじゃない?」

「そんな人いる? ……でも、それも呪いだね」

「自他問わず、幸運を願うのが祈りで、不幸を願うのが呪いってことだよね」

「あ、うん……、そう言われればそうだね」

「もう、十歳だし、そろそろ話してあげてもいいだろうね。実は、この世界にはまだ魔法が生きているんだよ。全盛期と比べれば遙かに弱いけどね。――」

 こうしてカイは語り始めた。


 魔女・魔法使いが滅んだ後、残った魔法は、呪い・祈りの形で世界に留まり続けた。寺院で、あるいは魔法書という形で。祈りと呪いは受け取り手の良し悪しによって別れるだけであり、本質は同じ、魔法の非常に弱まったものなのだ。

 また、魔女・魔法使いの子孫の中にはは、かつての強大な魔法は使えないにしても、微かな力が残り、呪い・祈りが使うことができるものがいた。魔法の衰退から何百年も経っていることから、その能力が自分に備わっていることに気がついていないものも多くいるのだそうだ。

 寂秋小学校のジンクスも、その呪い・祈りの名残だった。

 かつての寂秋神社には巫女がいた。実はランとカイの祖先であるその巫女は、そうした呪いの力を持つ存在だった。というよりも、呪われた存在だったとも言える。呪い・祈りには表裏がある。それは、一つの祈り(あるいは呪い)を行うと、必ず付随してくる効果があるということだ。まるで薬の副作用のように。

 その巫女は、先祖代々から続く「力」と「呪い」を受け継いでいたそうだ。それは、「他人に祈り・呪いをかけることができる呪い」とその力だった。条件付きであったが、彼女は他人に呪いをかけることができた。

 そして、「他人に祈り・呪いをかけることができる呪い」にも裏があった。それは、「人と話しているとき人の感情がわかってしまう呪い」だ。

 ある日、自身の能力に気づいた巫女は、それ以来、参拝に訪れた参拝客の心情を読み、それを叶えてあげようと祈り・呪いをかけていたのだった。自身の力に限界があるとは知らずに。

 彼女は来る日も来る日も参拝者の悩み事・願い事を叶えていった。そして祈願成就の噂を聞きつけ、さらに多くの人が参拝しにくるようになる。彼女の呪いを使う機会はさらに増えていくことに。そして彼女が参拝客たちにかけていく呪いに潜む「裏」も同時に発動し、その災厄を取り払おうと異様なまでの人々が押し寄せてくることになった。祈り・呪いの裏を取り除こうと、祈り・呪いをかけると、さらにその裏が作動して、被呪者を悩ませていく。その矛盾に彼女は大きく悩んでいくことになる。

 やがて、彼女に愛する人ができる。彼女はその男性にたいして求愛を始め、その想いが伝わり結婚に至った。そして、二人の間に子供が誕生した。

 彼女の息子が誕生したとき、彼女はとても喜んだという。妊娠している間は、能力の使用を抑えていたため、ずっと抱いていた苦悩から解放されて感情が回復していたのだろう。そのときの彼女は誰もが見惚れるほど美しい笑顔だったそうだ。

 しかし、その笑顔も巫女として能力の使用を再開したときから失われることとなる。彼女が出産後初めて魔力を使用したとき、彼女は言いようもない喪失感を覚えた。自身が持つ力が明らかに減少している、そのことをはっきりと感じられたのだ。

 それでも彼女は祈りを続けた。人々の幸せを願って。魔力が削られるのも構わず。以前のように苦悩の日々を送る中でも彼女は祈りを止めることはなかった。そして彼女の残された力に底が見え始めてきた。


「――その後、育った彼女の息子が、神社でお願いをした。『今度の運動会、晴れますように!』ってな。彼女は息子の願いを叶えようと祈りを使用、遂に彼女の力が尽きたんだ。力が尽きる、それはすなわち、生命力が尽きることを意味する。彼女はそこで最期を迎える結果となってしまったんだ」

「それが……、ジンクス?」

「ああ。彼女は最後の最後で、もっとも強力な呪いを放ったんだ。それも、かなりの条件付きにすることで、裏の呪いもかなり制限して……な」

「その、呪いは……?」

「『寂秋町の子供達の多くが強く晴れを願った日、天に雨雲が発生しない呪い』だ」

「そうだったんだ。じゃあ、今、ジンクスが消えているのは、子供たちが晴れを願わなくなったせい?」

「いや、呪いの魔力が薄れた可能性もなくはないし、他の可能性もある」

「そう……」ランは落胆した。カイならば知っていると勘ではあるが信じていたからだ。

 カイはランに慰めの言葉をかけ、立ち上がってた。店の店頭に貼られている万引き防止のポスタが剥がれかけていたのだ。ランは、カイがポスタを貼り直す様子を眺めていて神社での出来事を思い出した。

「あ、それと、ライと寂秋神社で呪いについて調べてたとき、梛の神木の貼り紙を見て急に走り出したんだけど、カイは心当たりない?」

「貼り紙って、どんなやつだっけ?」

「『危険なので、この木に登らないでください。寂秋神社神主 有明廻』ってやつ」

「ふうん。そういや、『ライ』ってフルネイムは何だったっけ?」

「村雨瀬。『村の雨』に『瀬を早み』の『瀬』」

「村雨瀬……」カイは手を顎につけて考えた。「ああ。あの子か」

「え、カイ、ライのこと知ってるの!?」

「ああ。彼がまだ幼稚園児だったときにうちにきたよ。」

「え、この『嵐』に?」

「ああ。まさか、ランがいつも話していたライ君が男子だとは思わなかったなあ。実はね、あのとき瀬君と一緒に来てね、どこで話を聞いたのか、僕に頭を下げて頼みこんできたんだ。――」

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