飴の袋

つちひさ

飴の袋

夜十時を過ぎたスーパーの店内はもう人もまばらで、まして菓子コーナーとなると客は一人しかいない。その客は壮年の男性で、浅いブルーのジャケットにネクタイはしていなかった。その男性は飴の袋を手に取ってかごに放り込んだ。ほかにも缶のチューハイと惣菜の餃子がすでに入れてある。


 その壮年の男性は最小限の動きでレジ袋に商品を詰め、最短距離で出口に向かうと無表情で歩き始めた。あるマンションまで来ると歩調を緩めることなくエントランスにはいりカードを差し込むとまだ肩幅にも開いていない自動ドアに肩をねじり入り込む。よほどせっかちなのかエレベーターのボタンも何度も押している。


 誰もいない通路を渡り、ドアを開けると真っ暗な玄関がまっていた。真っ暗なまま靴を脱ぐと真っ暗な廊下を数歩あるきようやく灯りをつけた。散らかってはいないが統一感のないインテリアに囲まれた2LDKだ。男性はテーブルにレジ袋をおいた。


 くそ、今村のやつ辞めやがって、なにが家族との時間も大切ですからだ。当て付けのように言いやがって、どうせ僕はバツイチの独身ですよ。雇うやつを間違えたな。


 男性は保温しすぎて黄ばんだご飯を無地の茶わんによそい、惣菜のパックのまま餃子にタレをかける。そして、思いだしたかのように立ち上がるとヤカンに水をいれIHコンロにかけると、スマートフォンを手に取った。


 座りもせず、親指の爪を噛んでいる。スマートフォンの明かりに照らされ顔の陰影が浮かび上がっている。スマートフォンの画面の上で親指を動かし、画面を凝視し、また指を動かした。


 IHコンロにかけていたやかんが音を立ててなり出した。男性は口惜しそうにスマートフォンをテーブルに置きお椀に固形物をいれてお湯をそそいだその時、スマートフォンがテーブルの上で振動し始めた。


 「あっ、もしもし、あっ、きよちゃん。

  あっ、週末ダメになったの。うん、うん、しょうがないよ、子供優先だよ。買い物はまたいけるよ。うん、うん。あっ、うん。えっと、じゃあね。うん。」


 男性はスマートフォンを耳から話すと画面を触った。


 「くそが。」


 くそ、子連れなのに付き合ってやってんだぞ。なにがお互い傷がある同氏だ舐めやがって。もう、ドタキャン三回目だぞ。くそ、なにが独立してやってるところが立派だ。学費の話を断ったらこれだよ。やっと自分の娘の養育費の振り込みが終わったのにやってられるか。



 男性は突然、飴の袋を破き個包された飴を取り出した。それを口元につけると独り言を言い出した。


 「僕が与えた飴をあの子が嘗める。想像しただけでゾクゾクするじゃないか。これは犯罪じゃない。飴を与えたえることであの子を応援してるんだ。セーフだ。フフフ、あたえてあげるんだ。

 あのときとは違う、これは痴漢じゃない。僕は飴を与えただけだ。なにもしてない。あたえてるだけだ。セーフだ。

 フフフ、明日も会えるかな。これぐらいの楽しみがないとな。フフフ。」


 しばらく、目をつむり飴を口元に擦り付けていた。



 翌日の朝、壮年の男性はホームの階段を登ったところにある自動販売機の前に立ちホームを眺めていた。一回、二回と電車をやり過ごし三回目に電車が来た時に動き出した。迷惑にも肩で乗客を押しながら中に入っていく。まるで目標があるかのようだ。



 七日目、いや六日目か、もう間違いなく飴を嘗めてるな、ふふ、僕の飴は気に入ったかい。興奮するなぁ、ここまで続いたのは初めてだ。そっち方面の展開もなくはなかったりして。よしよし、今日も僕が飴ちゃんを与えてあげよう。



 彼の右斜め前には若い女性がいた。リクルートスーツをまだ着ているのかと思わせるぐらい幼い印象うける。ゴトンと車両が揺れ車窓が暗くなった。連絡している地下鉄に入ったのだ。



 さっ、あと三駅焦りは禁物。ふふ、いい子だ今日も僕の飴が欲しいんだね。さっ、お嘗め。



 壮年の男性が右手をだし、右斜め前の女性の方に向けた。彼の視線は自分のての方に行き車窓は見ていない。その時、女性の視線はまっすぐに車窓に当たっていた。車窓に写るどこか一点を凝視していた。



 次の日も彼はホームの端でタイミングをはかり、あの女性を見つけると人を押し退け入っていった。ポケットのなかでクチャクチャと飴の袋を握りながら鼻息を余計にだしていた。


 いつも通り地下鉄に入り暗くなり、いつも通り降りるひとつ前の駅を過ぎるとその女性のポケットに手を近づけた。男性は昨日、一昨日、さらにその前の日と繰り返してきた動作をした。はずだった。


 女性のポケットに飴を入れた男性はしばらく目を細め女性のつむじ辺りを見つめていた。しかしこの日は女性もドアのガラスの一点を凝視していた。甲高い車内アナウンスが流れ、電車は減速していく。そして、ゆっくりと車体が止まりドアが開いた。


 壮年の男性の逆側のドアが開き、男性はジャケットの前ボタンを触りながら体を回転した。人の流れに乗って電車の外に出ると若干歩速が早まった。瞬間、右肩が後ろに引っ張られ体が傾いた。若いスーツ姿の女性が右手を握っていた。


 「・・うさん。」


 若い女性が大きな声を上げ、周囲がぎょっとした顔で男性を見ている。だが、表情を硬直させた男性は後ろも見ずに右手を捻じりあげると女性の手を振りほどいた。

 男性は鞄を胸に抱き瞳孔が開いた瞳をひたすら前に向けていた。小刻みな足音を残して階段に向かって歩いていく。



 くそ、くそ、くそ、くそ、くそ、しくじった。なんでだ、昨日までおとなしかったじゃないか。とにかく後ろを見たらだめだ、とにかくここから離れるんだ。くそ、くそ、くそ、くそ。



 階段に差し掛かったところで、急にフォームを変え二段飛ばしで駆け上がった。人を押しのけで改札を出るとそこでやっとほんの少し後ろを振り向いた。

 男性の後ろにはだれもついてきていなかった。そうすると速度は落ちたがしばらく歩道を走っていた。



 くそ、しくじったな、でも、もう大丈夫みたいだ。逃げ切った。けど、佐藤さんってだれだよ。僕は伊藤だ。


 ん、いや、おとうさんだ。



男性は突然立ち止まり、動かなくなった。しばらくすると道にしゃがみ込み鞄をひっくり返している。何か見つけたのだろうか名刺大のものを手に取りじっと見つめている。

 またしばらくすると立ち上がり鞄を抱えて歩き出した。その後、右手でしきりに目をこすっているように見えた。

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飴の袋 つちひさ @tu6393

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