8月16日朝(同日の為略。)
出港から3時間。時計は午前7時を回り仮眠を取っていた俺は一度起き上がり、背伸びをしてベッドから立ち上がる。窓から眺める海は穏やかなもので、少し上を見ればウミネコが気持ちよさそうに空を飛んでいた。
「……目覚ましに外の空気でも吸うか。」
貴重品のみ身につけ部屋を後にした俺は(知り合いがいるわけでもないので)1人で甲板に出て潮風を浴びる。朝方ではあるものの快晴の空から注ぐ太陽は真夏を思わせる熱射で、頬に当たる風と混ざり心地よいものとなっていた。
船先が割いていく海面を見てみれば浅瀬では見たこともない様な透明感があり、海面近くを泳ぐ魚の群れがこの距離からでも見える程透き通っていた。少し遠くを眺めれば飛び跳ねながら泳ぐ魚達や渡り鳥の群れ、それに港へ向かうだろう貨物船などが見え普段の生活では目にしない風景に思わず頬が緩む。異世界……とまではいかないが日常からかけ離れた景色はそれだけで俺の心を満たしていた。
『おや、これはこれは。お早いお目覚めですか。』
ふと、後ろから声をかけられて振り返ると船内と甲板を繋ぐ扉から出発前に説明していた2人組のうち、男性の方のコンダクターが現れた。ゆっくりとこちらに近づきながら潮風を感じる彼の顔は、明るくなった今だからよく分かるが初老に近く髪も所々白髪が混じっている。だが、それよりも目立ったのは彼の服装。この暑さの中であれば例え礼服と言えどもジャケット位は脱いで良い。だが、彼は皺1つないそれをしっかりと着込んでおり、額には軽く汗が浮かんでいる。余程服装に拘りがあるのだろうか。その答えは甲板の中程まで彼が歩を進めた時に分かった。
「燕尾服……。成る程、執事でしたか。」
「ええ。ですので、この服装なのですよ。」
こちらの呟きの意図を把握した彼は微笑みを見せると横に並び同じ様に海を眺める。
「この企画は会社からではなくオーナーである主の意向ですので。コンダクターとしてお抱えを出すべきかと。」
「成る程。それならばあの内容も多少理解出来ます。どちらの意味でも異例な物ですし。」
「理解が早くて助かります。」
確かに企業としてではなく一個人としての企画ならば赤字を免れない金額、無責任な規約、そして無人島にしては完備されている環境というのが理解出来る。今回の企画が成功に終われば企画者の名は売れ更なる企業投資が行われる。そして旅先でのトラブルは個人の失態による事故扱い。それらを防ぐために環境は前もって用意してあると言うお膳立ては出来ている。もし仮に何か起きたとしても参加資格を得た者は抽選による選出。それならばオーナーの不手際とはならず、参加者個人の人格に問題があると処理されるだろう。自然災害ならば予期せぬ出来事。それこそ事故として処理が出来る。企画者側に不手際が出るとするなら、島に到着した後の出来事ではなく移動時の不慮の事故やトラブル。それらを回避する為、お抱えの執事を使いに出して未然に防ぐと言った所か。
「世渡りが上手い事で。」
「1企業を纏め上げる為に必要な事ですから。」
こちらの嫌味とも取れる発言を涼しげに受け止めた男性は空を見上げて目を細める。
「我々の主が言うには『必要なのは結果に至る手段ではなく手段を用いた結果だ。』との事です。結果に至るまでの何を求めて行うのか。それさえ見えていれば筋道を迷う事など無いのですよ。」
「例えそれが非人道的でも……か。成る程、道理だ。」
常に結果を示し続けなければ生き残れない世界だからこそ言えることだろう。過程を美化し過ぎて遠回りをすれば手段を選ばない人間に先を越される事がある。普通に働いている人間ならばそれはさしたる差にはならないのだが、投資家や芸術家など先に出す事が求められる世界は違う。遠回りをしているうちに先を越されるとそれだけで一世代を築く富が手から溢れる可能性がある。ならば選ぶべきはより得をする結果であって過程では無いと言う事だ。
それから程なくして男性は会釈をして甲板を離れる。どうやら潮風を浴びにきたというより誰かと会話をしにきたというのが本来の目的だったのだろう。いや、もしかすると誰かなどと言った曖昧なものではなく俺個人を狙っての行動かもしれない。たった数分、言葉を交わしただけでそれ程の底知れなさを感じさせる彼との会話は、燦々と煌めく真夏の太陽の下であっても寒気を感じさせるには充分だった。
汝は◯◯か……? 水月火陽 @syd
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