43 磯の香りを食卓に

「なん……だと……」

 コバルトは驚愕した。

 目の前に並んでいる白身ががった桃色の切り身は鶏肉にしては透き通っていて、カブや大根とは違い、なめらかな曲線を描きながら盛り付けられている。

 それはひと目で海のものだと気付いたのだ。

 ああ、磯の香りが懐かしいと感無量の涙を流す。

「……そんなに感動すること?」

 グラにはイマイチ理解できなかった。

 故郷の味が恋しいと言っても、母親の味が懐かしいと思っても、手に入らないものに対しそこまでの執着が無い彼女にとって、それはただのワガママを叶えただけに過ぎないのだ。


「むっ……むむむっ! こ、これは……何じゃ?」

「わからないの!?」

「まあ待てグラよ。これはただの魚ではない」

「ワールド様が持って帰られたものですよね。魚の刺身のようですが……」

 そんなやり取りをよそに、さらにもう一切れ、コバルトが頬張る。

「うむ。なるほど、鮫であろう」


「鮫……サメ!?」

 思わずグラが聞き返す。

「流石だな、やはり海の男ならわかるものだな」

「いやはや、こんなところで口にするとは。いや、むしろ陸地だからこそというべきか。儂らの住む南の海でも滅多に捕獲できるものではない。年に一、二度特別なときにしか食べられぬような特別なものじゃな」

「生の状態だと匂いがきついから塩漬けにするらしい。そうすることでニオイも抑えられて保存も効くからと、こんな内陸の方まで行商が売りに持っていけるらしい。これなら満足か」

 ワールドの問いに答えるより早く、次々と切り身を口に運んで箸が止まらない様子。


「……まあ、頑張ってくれて申し訳ないのだが、儂らは明日にでも村を発つ予定なのだがな」

「ええっ、もしかして、今朝のことで……?」

「いやいや。聖女による儀式を今日受けることが出来たからな。元々聖女なんぞ信じていないと主張していた我々が言うのはおこがましいが、聖女の力を目の当たりにすることが出来て満足したのだよ」

 話している間も食事の手は緩まない。

 よほど腹が減っていたと思われる。

 夕食の前にも最後だからとサータに連れられてしっかりと走らされていたのをワールドは見ていた。


「目的はほぼ達成されましたから」

 ミントが何食わぬ顔で言う。

「目的、ってこの村に来た目的? 聖女の化けを皮を剥ぐとかいうやつ? 失敗だったんでしょ」

「お姉さまは容赦がないのです」

「聖女は後付の理由に過ぎません。私たちの目的はサヨの心の傷を癒やすための来訪です。そしてそれは聖女の力を借りずとも達成されました――いえ、聖女のおかげと言うべきなのかもしれません」

「ああ。リリーが居なければ氷解してなかっただろうよ」

 そう言っておどけてみせるワールドのもとにミントが歩み寄る。

「そしてワールド様。あなたのおかげでサヨは己を取り戻せました。本当に感謝しております」

 深々と頭を下げる。

 顔を上げてうっすらと微笑む。

 表情の変化に乏しいと散々言ってきたが、紛れもなくその顔は美しく笑っていた。

「――はっ。ワールド様への好感度が皆様急上昇なのです」

「はいはい。良い場面だから空気読みなさい」

 その言葉に弱いサータはしっかりと両手で口をふさいで黙りこくる。

「なんなら儂も島の一つくらいくれてやっても良いぞ」

 コバルトの好感度が予想以上に高かった。


「ほらほらおじさん、最後の晩餐なんだからちゃーんとアップルパイも食べてよね」

「ふははははっ、喜んで食ってやろうではないか。今宵は無礼講じゃい、満漢全席じゃい、酒池肉林の雨あられじゃーい!」

「ものっすごく適当なこと言ってるわね」

「まあまあ。おじ様が楽しそうだから良いのです。メイドさん二人も喜んでいるようですし」

 ミントとサヨも同席して、笑い合いながら食事をともにしている。

 こんなに和やかな雰囲気で食事している風景は初めてだった。


「……ふう」

「ふう。ってまだ半分しか食べてないじゃないのです!」

「鮫が思ったより腹に溜まってしまってな」

「そりゃあんだけ食べればな」

「おい、サヨ。残りはお前が食べろ。ずっと食べたそうな視線を送っていたのを儂は見逃してないからな」

「えっ、いや、その……はい。ありがとう、ございます」

「良かったわね、じゃんじゃん食べなさい。あーあ、アタシも人に出せるようなアップルパイを早く作りたいわ」

「一生かけても無理じゃないか……」

「あ? なんか言った?」

「大丈夫です。お姉さまならすぐに作れるようになるのです」

「ええ、見てなさい。三食アップルパイ漬けにしてあげるから!」

「わーい。楽しみなのです」

 違う意味でこれからの食生活が心配になるワールドだった。

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