42 もう一つのとまり木

 リリーとウェンディが抱き合い、二人仲睦まじく笑い合う姿は美しく、どこか儚い。

 それは彼女を天使病だと思うゆえの偏見か、あるいは加速する終末への焦燥ゆえか。

 この瞬間が永遠に。

 それは二人だけでなく、この場にいる皆が望むことでもあった。


「ねぇ、ウェンディ」

 そっと耳打ち。

「……うん、いいわ。きっと大丈夫」

 はにかむウェンディ。

 リリーから漏れる吐息の行く先は、三人の迷える子羊に。


「あの、これから『儀式』を行おうと思いますが、いかがでしょう?」

「む、むむっ。なんとも急な話ではないか。いや、儂らは構わんがそれなりに準備が必要だと聞いておったのでな」

 それはありがたい申し出だったが、突然のことにコバルトも当惑する。

「もっとみなさんのことを知ってから、というのが本来の手順なのですが。サヨさんに色々とお聞きして、信用に値する方々だと判断しました。だから、私の一存で決めてしまいます」

「そ、そんなことやって大丈夫? 怒られちゃったりしない?」

 サヨが不安そうに尋ねる。

 それどころか自分のしでかしたことで儀式を受けることすら叶わなくなるかもしれないというのに。

「ええ。私が言えば、きっと大丈夫です」

 はっきりと言い切る。

「スゴイのです。聖女の力は絶対なのです」

「それならばその申し出、よろこんで受けようではないか。……と言っても、特段病気ということもないのでスリムでムキムキモテモテのボディーにしてくれとでも頼むかね、わっはっは」

「それは日々のランニングの方が効果的かと」

「じゃあこれからも続けるのです」

「ひっ」

 ミントとサータはコバルトの腕を掴み、無理やり連れ出す。

 儀式を行うという施設まで走って向かうということだろうか。


「……あ、私も行かないと……」

「一人だとなにか言われるかもしれないわ。私たちと一緒に行きましょう」

 ウェンディとリリーが隣に寄って、それぞれサヨの手をぎゅっと握る。

「大丈夫なのか、それ。逆に怪しまれるんじゃ」

「リリーだけならともかく、私も一緒なら大丈夫よ。仲良く遊んでただけ、そうでしょ」

 すっかり落ち着きを取り戻したサヨを見て安心していると、不意にウェンディがワールドを見る。


「そうそうお兄さん。日傘のおねーさんと一緒にアップルパイを作ったから、そろそろ焼き上がってるかもしれないわ。冷めないうちに召し上がれ」

 ウィンクしてその場を後にする。

 一人取り残されたワールドはウェンディの言う通り宿に戻ることにした。

「……嫌な予感しかしないがな」


 ワールドの嫌な予感は的中率百パーセントである。

「げぇっ!」

 口をへの字に曲げたグラの姿がそこにはあった。

「随分な出迎えの言葉だな」

「いや、タイミングが良いというのか最悪というのかなんというか……」


「その後ろ手に隠しているものは何だ」

「い、いやっ、そ、そのっ」

 明らかに焦りだす。

「ウェンディにアップルパイを作ったから食べてこい、と言われたのだが」

「だっ! そこまで、知ら、れっ」

 ヘナヘナとその場にしゃがみ込む。

 手に隠していたものがちらりと見える。

 皿に載せられた――載せられた……黒塊。

「……俺が聞いたのはアップルパイという話だが、俺が『とまり木』を作っている間にお前もとまり木を作っていたのか」

「は? 何それ。……って、あっ! い、いやこれはちょっと焼き時間をミスっちゃって、まぁ火力もミスっちゃったんだけど、とにかくたまたま失敗しちゃっただけだから! たまたまだから!」


 彼女の腕は思った以上に重症だった。

 料理ができない人間というのは一定数存在するが、中でも時々いる科学実験でも行っているのかレベルの失敗をする人にはそうそう出会えない。

 そんな貴重な人材が目の前にいるのだ。

「不器用というわけではないのだがな」

 ひょいと皿に乗った自称アップルパイを一つまみ。

「ちょ、ダメだって」

「もぐ……見た目はともかく、味は食べられんこともない」

「え、ウソ。面倒だから全部目分量でやったのに」

 菓子作りで一番やってはいけないことを見事にやらかす。

 これが料理壊滅脳か。


「おーい、ちょっと仕込みを手伝っとくれ」

 女将の呼びかけにグラが急いで駆けていく。

 残された皿を見て、

「俺のとまり木より、よほどとまり木らしい出来だな」

 と全然関係ないところで感心していた。


 それから、夕刻。

 食事には少し早いがグラの様子を見に部屋を出ると、コバルトたちが戻ってきていた。

 あまり釈然としていない様子だったので儀式が上手くいかなかったのかと思ったがそうではなく、あまりに滞り無く粛々と進んでいってしまい戸惑っているとのことだった。

 儀式と呼ぶには仰々しく、ただの検診に近く、気術で体の悪い部分を取り除くという行為が多少儀式めいている程度の内容だと言う。


「まあ、勿体つけていたのだろうな。少なくとも、多くの依頼者が訪れていた昔の名残だろう」

「腹をタプタプ揺らされながら気色悪い声を出す御主人様の姿を見せられるのは地獄かと思いました」

「それは秘密事項だぞ、ミントやい」

 初日の印象だとずっと待たされていた様子から怒るのかと思いきや、この数日で彼も随分丸くなったものだ。


「はぁ……」

 肩を落として宿に戻ってくる客が一人。

 ずっと姿を見ていなかったロマンである。

「おや、なんだね浮かない顔をして」

「先日見た昼中の流れ星をもう一度見たくて朝からずっと空を見上げていましたが、一向に現れる様子がなくて」

「ははは、一朝一夕ではことは為らんよ。儂の腹のように日々鍛錬に励んでこそ成果を表すのだ」

 バシッと腹を叩くと良い音が響き渡る。

「成果が……出ておられます、ね」

「やいミントや。なぜ顔を反らす。おいサヨ、体が震えておるぞ。隠しても無駄じゃ、笑おうとしておるだろ、おん?」


 彼らのやり取りに和みながらその場を後にする。

 それから夕食の時間まで、再び部屋に戻って休んだ。

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