40 思い出の工芸品

「木?」

「そう。木です。そこに見えるりんごの木。あの辺りなんて怪しいかと」

 聞き返しても今ひとつ要領を得ないと首を傾げる。

「まぁサヨは木の下に居ると落ち着くらしくな。初めて出会ったときも木に寄りかかって死にそうな顔で倒れておったのだがな。水汲みをさせても洗濯をさせても帰りが遅いと様子を見に行くと木陰で寝入っておったのだよ」

「それは給仕としてはどうなんだ」

「問題ありません」

 ミントが言い切る。

「じゃあいいか」

「良くないわ! のんびり屋にも程があろう。おおかた走っている最中にも疲れては木のそばで休憩を繰り返していたのじゃろう。よくわからんが、彼女にとっての拠り所のようなものだと認識しておる」

「ああ、わかるのです。サータにとってワールド様のお側にいることが癒しになるようなものなのです」

 ふふっと笑いながらワールドの方を見る。

「場所による依存症のようなものか。もはや刷り込みに近いな」

「えっ、今のスルーするところかね」

「慣れっこなのです……ぶぅ」


「りんごの木がある場所はきっと宿屋の畑だろう。ウェンディがあそこから出てくるのを見たことがある」

「じゃあ、とりあえず行ってみるのです」

「ま、そんな簡単に見つかったら苦労せんがね。儂の予感ではまだまだ駆けずり回る予感がひしひしと伝わってくる。ふふ、両膝が疼くわい」

「筋肉痛です。戻ったらマッサージした方がよろしいかと」

 彼女は冗談を言うときも普通に対応するときも同じテンションなので掴みどころがない。

 なるほどこういうのもアリだなとサータは一人納得していた。



「あ」

「あ」


 りんごの木の下。

 そこに居たのは。

 爽やかな風に吹かれまどろんでいたリリーと、彼女を包み込むようにして木に持たれ熟睡するサヨであった。


「わかり易すぎるにもほどがあるだろう!」

 何故か逆ギレするコバルト。

 この構図は悪くないと見入るワールド。

 その様子に多少の嫉妬を覚えつつもワールドが楽しそうだからそれもまた良しとあっさり割り切るサータ。

 そんな一同に呆れ果てながら、表には一切の表情を出さないミント。

 それぞれが違った思惑を並べている不可思議な空間だった。


「あ、あのっ。サヨさん、起きてください」

 リリーが背中越しにサヨを起こす。

 起きる様子がないので体を揺さぶって再度呼びかけると、ようやく気付いて寝ぼけ眼の目をこする。

「ふ、ぁぁ……。あ、れ……? 御主人様の幻が見えます……」

「ところがどっこい。現実なんだな」

「え? ……う、うわわわわぁぁぁぁ!!!!」

「うわぁぁぁ!!」

 急に大声を出したため、コバルトも思わず声を出してのけぞる。

 リリーを抱えたままで幹に寄り掛かるようにして上体を起こし立ち上がる。


「なっ、なっ、な、ななななな」

「ええい、まだ寝ぼけておるのか。混乱しておるのか」

「……我々が近づきすぎたのです。もう少し距離を取った方がサヨも落ち着くでしょう」

 ミントがそう促し、全体的に数歩後退りする。

 圧迫感のあった距離感から、多少のゆとりは生まれた。

 そのお陰か、サヨも冷静さを取り戻す。


「なっ、なんですか皆さん急に詰め寄ってきて。それ以上近づいたら、えっと、この子がどうなっても知りませんよ!」

 冷静さを取り戻した途端、人さらいとしての本分まで取り戻した。

「どうなってもって、お前リリーをどうするつもりだ」

 ワールドの問いかけに慌てふためきながら思案を重ねて、出した結論が

「どうなってもは、どうなるかわかりません!」

 だった。


「くっ、これでは手が出せません」

 実に悔しさのかけらもなくミントが言う。

「ええ。リリーちゃんの安全が最優先なのです」

 サータが同意する。

「えっ、どう見ても困ってるよね。本人が一番どうしたら良いのかわかってない様にすら見えるのに。ていうかなんでさっき聖女を引き離さなかったのだ?」

「今はそんなことを言っている場合ではないのです!」

「ええぇ……」

 目まぐるしく変化する状況にコバルトがついていけず困惑する。

 具体的にはノリが軽すぎて真面目な解決策を出すのがためらわれるし、出したら何故か却下される。


「お、おいチミィ! 君ならこのわけのわからん状況でも巫山戯ず合理的な判断が取れるよなぁ、というか取ってお願い」

 すがるようにワールドに詰め寄る。

 ワールドもまた、ミントほどではないが表情の変化は乏しい。

 そんな彼が平生として言い放つのは、

「ならば一旦出直すとするか」

 という、ある意味誰もが求めていた救いの一手だった。


「――で、どうするのかね、あれ。人質も嫌がってる感じではなかったし、わかってはいたが特に害はないようだが」

「夕食になったら何事もなく戻ってきそうなのです」

「人の侍女を放し飼いの家畜みたいな言い方をせんでもらえるかね」

「害はないが、あまり話し合いに応じて貰えそうにもないな。サヨは『聖女』に対して、人並みならぬ干渉をしているな。己の罪に対する贖罪のつもりか」

 ワールドの言葉は辛辣ではあるが、的を射ている。

 言い返したいが、反論の言葉が出てこない。

「まあ、そうかもしれん。彼女が見てきたような被害者を出したくないのかもしれんな。たとえそれが本物であろうと、偽物であろうと」


「でも、あのサヨさん。木にもたれかかって眠る姿は本当に気持ちよさそうだったのです。とても穏やかで、幸せそうで、本当に気が休めるんだなって感じがしたのです」

 サータの率直な感想は確かにその通りで、ワールドも画になると見入ってしまうほどであった。

 それを聞き、思い出したと小さく手を叩き、ミントが切り出す。

「そういえば以前聞いた気がします。木の下が落ち着く理由ですが、彼女の信奉する教えにそのようなものがあったとか。木の下で祈ることで幸せになれるとか。救われるとか、そのような内容だったかと。なんでも木をあしらった手工芸品をいつも持ち歩き、それに向かって祈りを捧げていた、とも。心の拠り所のようなものなのでしょうね」

 ミントの言葉にワールドが反応する。

「……『とまり木』か?」

 その単語にはっとして、ワールドを見据える。

「そう、それです。確かにサヨはそう言っていました」

「なるほど。それなら話はわかる。いわゆる天使信仰だよ」

「天使信仰だと? サヨはそれが嫌で帝都から逃げ出した……いや待て。つまりそれは裏を返せば、元々は天使信仰の信奉者だということか!?」


「天使を管理するなんて仕事に就けるということは、それなりに信奉してなきゃ就けないんじゃないか。そして理想を胸にやってきたが、現実は綺麗事ばかりじゃない。利己的で見たくもない裏側を見せられて、嫌になって逃亡ってところか」

 ミントがワールドをギロリと睨む。

「知ったようなことを言わないで」

「彼女を否定はしないさ。目に見えるものだけを信じていたいと思っても、目に見えない部分のことも嫌でも考えてしまう。むしろ自分で考えた結果が信じていたものを疑う、ってんなら、それは立派なことだ。それを貫ける人間はそういない」

「……」

 その主張には反論の余地がない。

 思わず黙り込んでしまう。


「そういえばさっきの話。その木に向かって祈りを捧げるとかいう話だが、今はの工芸品を持ち歩いていないってことか?」

「途中で無くしてしまった、と。それがあれば、もう少しサヨも心穏やかで居られるかもしれませんが……」

「うーん……サータはさっぱり聞いたことがないのです……」

 お手上げとばかりに両手を上げる。

「ふむ、とまり木、か。なんだか最近聞き覚えがあるが……」


 ――天使の祈りを捧げる信仰、通称天使信仰。


「……ああ」

 なるほど確かに。

 情報だ。

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