36 聖女再び

 板の縁を削り、魚の形が浮き出るように荒く削っていく。

 それとは別に貝殻をかたどったり、海藻をイメージしながらいくつかの板を背景に見立てて形を整える。

 ある板には小さな魚が連なっているような格好になっている。

「魚は日によって仕入れるものが変わってくるだろう。いくつか看板の種類を用意して、その日の仕入れに合わせて看板を出していけば良い」

「ほー、そいつは考えてなかった。あんた商売上手だな。なんだ、実はかなりのやり手なんじゃないか」

 男の言葉に対して特に喜ぶでもなく、表情を崩さずに作業を続ける。


「芸術ってのはもっと人の営みに密着していて、ふとしたことで人の心の機微に触れるような、そんな小さなもんでいいのさ。高尚なもんである必要はない」

 手を止め、ふとそんなことを呟く。

「はー、そんなものかねぇ」

「例えばこの店に並んでいる魚。目玉商品となる大きなものや早く売りたい新鮮なものは手前に置くし、彩りや見栄えを気にして似たような色や形の魚は離して置くだろう。それも芸術だ。朝に生まれて夕方には死んでいく、その日限りの作品となる」


 ワールドにとってみれば世界は作品にあふれている。

 それをどうみなすか、鑑賞者側の見方でしかない。


「はっはー、そいつは良いや。俺も今日から芸術家の仲間入りってか。面白いこと言うな」

 ケラケラ笑いながら男が何かに気付いたように遠くを見る。

「お、お待ちかねの行商人がやってきたぜ」

 ワールドが顔を上げて人の気配のする方に目をやる。

 一人の男がゆっくりとこちらに近づいてきた。


「――あれ、ワールドさんじゃないですか」

「ディラン?」

 そこに居たのはつい先日、村を出ていったばかりの『運び屋』ディランの姿だった。


「……なるほど。そもそも村に商品を持ってきていたのはお前だったわけか」

「ええ。運び屋として需要があればどこへでも。聖女の話はずっと聞いていたので、せっかくだからと」

 なるほどこんな辺鄙な村にまで定期的に訪れるなら、彼の情報網が評判になるわけだとワールドは感心する。

「そういえば弟は元気か?」

「ええ、もう。毎日元気すぎて困るほどです。ジョンのやつ、昨日も走り回っていて、怪我しないかこっちがハラハラしっぱなしですよ」

「そいつは良かった」

 やはり聖女の力は本物であり、リリーが天使であることは間違いないようだ。

 ワールドは強くそう確信した。

「ところでワールドさんは、どうしてこんなところに?」


 コバルトの件を話すと、うんうんと何度も首を縦に振る。

「――確かに言ってましたもんね。彼は南の海側出身だと」

「なんとか海産物を用意したいんだが、新鮮な海の魚はないか?」

 ディランは口をすぼめ、少し考えて、眉をひそめる。

「基本的に海の魚は陸地まで運ぼうとしたら干物にするのがほとんどですからねぇ。新鮮な海の幸となると、流石に……」

「まあ、そうだな」

「あ、ちょっと待ってください。そうだ、そうそう。一つ面白いものがありますよ。新鮮ってわけじゃないですが、腐りにくいので生で食べられる海の幸ってやつがあるんですよ」

 ポンと手を叩き、ディランが荷物を漁る。

 振り返り、歯を見せて大きく笑う。


 手土産を持って宿に戻り、ウェンディを探す。

 目に見える範囲に居なかったので、仕方なく女将に渡そうと調理場の方に足を運ぶと、怒号にも似た声が飛び込んでくる。

「――おいおい、塩と砂糖を間違えるとか子供でもありえないよ! 店を閑古鳥でもしたいのかい!」

「ひいぃっ! ご、ごめんなさいっ!」

「……」

 そこには鬼の形相で仁王立ちする女将と、豆粒のように縮こまっているグラの姿が見えた。


「ん、どうしたんだい。ぼーっと突っ立って」

 ワールドに気付いた女将が声をかける。

 異様な雰囲気に近づけなかったなどとは言えない。

「……ウェンディと約束していた、新鮮な魚ってやつを届けに来た。居なかったんでこっちかと思って来てみただけだ」

「ほー、まさか本当に手に入れるとはね。あのも喜ぶよ。そこに置いといてくれたら良いよ」

 二人のやり取りをただ黙って聞いているグラは生まれたての子鹿のようにプルプルと震えていた。

「……で、そっちは?」


「いやね、この子が料理を教えてほしいって言うもんだから、じゃあ仕込みを手伝ってもらおうかとやらせてみたら……客に言う言葉じゃないけど」

「構わんぞ、正直に言ってくれ」

「まーとんだポンコツだね!」

「……返す言葉もございません。ううぅ」

 泣きそうな声でグラが言う。

「あんたたち、今までどんな食事をしてきたんだい?」

「素材の味を感じられる……丸かじり」

 野宿で食べたものといえばほぼ木の実や動物の肉を焼いただけのシンプルなものばかり。

 およそ料理と呼べる代物ではなかった。

「ああよくわかった。アップルパイを作れる程度に、なんて甘っちょろい考えは捨てる。せめて食べられるものを作れる程度にってのを目標にして頑張りな」

「は、はいっ!」

 お神の言葉に背筋を伸ばして答える。

「ビシバシしごいてくれ」

「ちょっと、なんでアンタにそんなこと言われないと……」

「いいから口答えする暇があればもう一度作り直す!」

「はいっ! イエッサー!」


 ロビーに戻るとどこかで見たような顔が血相を変えて飛び込んでくる。

「――ノーマ! 女将のノーマは居るかっ!?」

 以前もあったような展開に嫌な予感がしつつ様子を窺っていると、女将が顔を出す。

「……村長。今度は何だい」

「何だじゃない! まただ!」

 両手を大振りに、全身で慌てふためく様子を示す。


「またリリーが居なくなったのだ!」

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