34 夜の接触者
「だーかーらー、昨日食べたではないか!」
テーブルを叩いて牽制するコバルト。
「ここじゃ主食なんです! 昨日食べたから今日は食べないなんて選択肢は無いのです!」
負けじと応戦するサータ。
もはや見慣れた光景である。
「そもそも毎日走っているのにこんな甘ったるいもの食べたら意味がないではないか! 痩せる気あるのかと怒られるぞ」
「糖分を取らないのも健康に悪いのです。それにちょっとアップルパイを食べたくらいで太ってしまうのなら、それ以上に運動したら良いのです!」
お互い一切引く気がない。
「御主人様、こちら熱血指導員の許しが出ているのですから、お食べになるべきかと。ほら、ほら」
「ええい無理やり口に入れようとするんじゃない。熱血指導員ってこの小娘か!? 熱血と言うよりただのスパルタ指導ではないか」
「いいえ、私です」
「お前かいっ! むぐっ!」
口の中に出来たて熱々のアップルパイを押し込まれる。
声にならない悲鳴とともに涙目で弄ばれる中年男性の姿があった。
「あはは……」
隣でどうしていいかわからずにその様子を眺めるのは侍女のサヨである。
今ではコバルトたちと一緒に食事を取るようになり、同じテーブルについている。
「遠慮しないで。もっと食べたら良いわよ」
遠慮がちな彼女に対して、グラが料理を指差す。
「い、いえ。もう残り少ないですし、みなさんでお分けに――」
「まだまだあるわよー」
ウェンディが料理を運んでくる。
コバルトがアップルパイを食べる姿を見てにっこり微笑んでいる。
「良かった、おじさんちゃんと食べてくれて」
「よくないわ! 殺す気か! 喉の奥がヒリヒリと火傷したわい……」
喉を押さえながら舌を出して、それから水を飲み干す。
二度ほどお代わりしていた。
「だいたいなぁ、儂は海側の人間なのだ。そろそろ魚が恋しい時分なのだよ」
ぽつりと呟く。
その言葉に反応したウェンディが、うーんと考える。
「お魚……市場に行けば何かあるかもしれないわね」
「なら、丁度良い。明日魚屋に用事があるから、ついでに貰ってきてやろう」
「え、ホント」
コバルトがその言葉に反応する。
「フハハハ、儂を唸らせるような新鮮な魚がこんな山の麓の村でなど手に入るとは思えんがな!」
そうなのだ。
ここは南の海からは随分と離れた場所で、新鮮な魚介類はほとんど出回らない。
所詮叶わぬことよ、とコバルトは漏らした。
静まり返った夜の村。
その中を一人、風を切りながら走る影が一つ。
小さく息を漏らしながら、規則的に動き続けるはさまよい続ける。
まるで亡霊のように、しかしよく見れば意思ある何者であるかのように。
黒のショートボブが揺れて、少し肌寒い夜の空気の中で汗をかきながら走っている。
「――おや」
「ひゃいっ!?」
急に声をかけられ、思わず変な声を上げてしまう。
「もしかして、グラさんですか」
落ち着いた男性の声が聞こえてくる。
「あーっ、と、、ロマンさん!」
今度は名前が浮かんできてちゃんと言えた、そう安堵したグラだった。
「ええ。覚えていただいて光栄です」
仕草や立ち振舞、言動その一つ一つがとても落ち着いていて大人の男性を感じさせる。
親子ほど離れているわけではないが、ワールドや自分たちよりはずっと年上のように見えて、コバルトのような金持ちとはまた違った意味で別世界の人間のように思えた。
「こんな夜半にランニングですか。夜はまだ少し肌寒い。長居すると風邪を引いてしまいますよ」
「ええ、ちょっと妹たちを見ていると、つい……。ロマンさんはどうして?」
「私は夜風に当たりながら少し考え事を」
立ち止まり、汗が引いてくると確かに少し寒さを感じる。
体を曲げ伸ばし、筋肉を解すようにあちこち動かす。
しばらく黙っていたロマンだが、意を決したように話しかける。
「――少しだけ、私の見解にお付き合いいただいてよろしいですか」
見解という表現がなんだかワールドの言い回しみたいで、おかしくもありなんだか嫌な予感もする。
とはいえ断れるような雰囲気でもないので、無言で頷く。
「先日、宿の娘さんが居なくなった事件はご存知ですよね」
「え、ええ」
伝聞でしか知らず、呑気に寝ていたとは言えない。
「あの時に私は見てしまったのです。あれは見間違いではなかった」
拳を握り力説する。
「それは、何を?」
その様子がいかにも想像する学者そのもので、思わずグラも神妙な態度になってしまう。
ロマンはグラの目を見つめ、口を動かす。
「昼中の流れ星。つまり、天使の力が行使されたという事です」
天使の力。
それはもしかして、サータが予知を行ったことだろうか。
流石にそれを話すのはまずいと思い、適当にごまかすことにした。
「そ、それって聖女様のお力ってやつなんじゃ」
「いえ。その光を見たのは『儀式』が行われるよりももっと前です。皆が二人の少女を探している時。そして、その光を見て程なく――少女たちは見つかった」
「……」
昼中の流れ星、という言葉は聞いたことがあった。
グラを助けてくれた旅人が行っていた天使病の研究の一つとして、天使が現れる先触れとしてそういうことが起きるという話で、しかし実際に見たことはなかった。
「おかしいと思いませんか。村中総出で探して見つからなかったのに、急に見つかるなんて。まるでピンポイントでその場所を探し当てたとしか思えません」
「ま、まぁ言われてみれば……」
たまたま前日にその場所を案内されていたから、とは言えない。
そんなことを考えていると、ロマンは続けてこう言った。
「これはある種の未来予知が行われたのではないかと睨んでいます。ええ、それも天使の」
壇上を歩き回るように、同じ場所を行ったり来たり。
解説する彼の言葉は核心を突きすぎていて、思わず息を呑む。
グラが何も言えないでいると、お互いに無言のまま時が過ぎる。
「そこで、私は一つの仮説を立てました」
ロマンが淡々と言葉を続ける。
もはや、黙ってその見解に耳を傾けることしか出来ない。
「グラさん。あなたは日中表に出ることなく、こうして夜中にこっそりと出歩くことしかなさらないようですね。村を訪れた時も日傘で体を隠していたとか」
時分の行動を改めて示されると、思わず恥ずかしさがこみ上げてくる。
夜しか歩けない日陰者。
確かに事実なのだが、そう言われて良い気はしない。
「普段から目立たぬように行動しているその要因が、つまりはそういうことかと思うのです」
動きが止まり、再びグラをじっと見やる。
思わず体がのけぞり、蛇に睨まれた蛙のように動けない。
「――あなたは、天使病なのではありませんか?」
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