32 治療の成果

 翌日、目を覚ましたワールドが見たのは外をじっと見ているグラの姿だった。

「まさか本当にやるとは……」

 そんなつぶやきが聞こえ、窓の向こうで何が行われているか容易に想像できた。


 外では三つの人影が走り去っていく。

 大きな影と、小さな影と、さらに小さな影。


 巨体を揺らしながら、ぜーはー息を切らしている中年男性。

 いつもの貴族の服ではなく、走りやすい服装で脂肪が強調されている。

 全身汗だくになりながら、それでも途中で諦めることはなく、最後まで走り抜く。

「――途中で投げ出すのは儂の美学に反するからな!」

 体を動かす前はそんなことを言っていたコバルトだが、今の彼に言葉を発する余裕はない。


 そして先頭で音頭を取りながら元気よく走っているのは華奢な美少女。

 言い出しっぺのサータである。

 いつも被っているフードではなく、カットソーにハーフパンツとこちらも動きやすさを意識している。

 手足の露出がいつもより多いが、コバルトと比較すると倍近く差があり互いの太さと細さを強調しているような結果となっている。


 そして後ろでコバルトを鼓舞するように声掛けしながらゆっくりと走る少年――昨晩『治療の儀式』を終えた兄弟の弟、ジョンである。

 それまでの大人しそうな態度、病弱ぶりが信じられないほど明るく活発な少年という印象に変わっていた。


「ほら、おじさん。もう少しだから頑張ろう」

「うっ、うむっ。……ぜー、ぜー、……少年、お主、随分と、明るくなったな、……はーっ」

 しゃべるのもやっとと言った様子でコバルトが声を振り絞ると、今まで見せたことのないような笑顔で返す。

「うんっ。だって、こんなに気持ちよく走れるの、生まれてはじめてなんだ!」



 ――ワールドがロビーに出たとき、ディランが落ち着かない様子で同じ場所を行ったり来たりうろついていた。

「どうした。何を狼狽えている?」

 声をかけると彼は渡りに船と言った顔でワールドに近寄る。

「ああ、良かった。ちょっと話を聞いてください!」

「構わんが、一体どうした。何か悩み事か」

「ええ、そりゃあもう。……ウチのジョンが、弟が、元気なんです!」

「……は?」


 ディランの説明によると。

 朝起きてからジョンの体調はすこぶる良いらしく、聖女の治療が功を奏したものだと考えた。

 ちょうど食事中のロマンとコバルトたちにそのことを話したら、皆一様に「信じられない」といった面持ちで二人を見る。

 ジョンが自分の健康状態を伝えていると、ばっちり着替えて戦闘態勢に入ったサータがやってきた。


 これはまずいと逃げようとしたコバルトを捕まえて「さぁジョギングの時間なのです」と外へ連れ出そうとした。

 嫌がるコバルトに「そうです。運動するならそれに適した格好というものがあります。我々にお任せあれ」とミントが無理やり着替えさせ、否応なしに運動する運びとなった。

 何故かもう一人の侍女のサヨも参加することになり、三人が走ろうと外に出たとき、急にジョンが「僕も一緒に走りたい」と名乗りを上げる。


 ディランですらそんな積極的な弟の姿を見るのは初めてで驚いていると、サータは「もちろん」と笑顔で応える。

 スキあらば逃げようとするまんまるお腹の中年男性はサータとミントの監視の中、四人は朝から良い汗をかく運動に励んでいた、らしい。


 四人。

 ワールドが認識した人数は三人だった。

 残りの一人は周回遅れでずっと後ろを必死に走っていた。


「やっぱりすごいよ! こんなに走ったのに、全然疲れないしとっても楽しいもの!」

 戻ってきたジョンはディランに向かい元気よく言う。

「おお、そうか。良かった、本当に良かった……」

 優しくジョンを抱きしめるディランの声は震えていた。

 永らくそんな姿を見ることのなかった彼にとって、今の弟の姿はまるで夢でも見ているかのようだった。


「あれ、ワールド様。おはようございます!」

「朝から元気だな」

「はい。元気だけが取り柄のサータです。ワールド様もどうですか? 軽く一周」

「遠慮する」

 今まであまり表に出ることはなかったのだが、やはり彼女らは双子らしい。

 サータもなかなか運動好きのようだ。

 といっても彼は元々サータに対して病弱という印象は持っていないのだが。



 それから程なくして。

 兄弟は荷物をまとめて再び現れる。


「お世話になりました」

「また来なよ」

「うん!」

 女将がジョンの頭をぽんと撫でると、くしゃっと笑う。

 来たときと見違えたその様子に、彼女も満足げだ。


「もう行くのか」

 食事を取りながら一部始終を見ていたワールドが、去り際に声をかける。

「ええ、仕事が溜まっていますから。といっても、また仕事でこちらには足を運ぶと思いますけど」

「そうか。まあ『運び屋ディラン』だからな……そうだ、お前の情報網を買って頼みたいことがあるんだが――」



 村を出てから南へ少し進んだところ。

 その傷跡は大地を裂き、西へ向かうほど大きくなる。


「これは酷いな。もうこんなところにまで『大災害』の兆しが見える。ああ、ジョン、危ないから近づいてはいけないよ」

「はーい」

 しゃがみ込み、覗いていた少年が顔を上げる。

「調査依頼が必要かな……」


 来る者もいれば去る者もいる。

 聖女を求めた人の群れも、今は遠い昔になってしまった。

 ああ、願わくば。

 彼らが再びその力を求める必要に迫られないことを。

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