30 聖女の言い伝え

 ――それは今から十数年前の出来事。


 まだ、今ほど頻繁に『大災害』が発生せず、世界の終末について思いを馳せる必要もなかった時代に。

 珍しく北の空に暗雲が立ち込め、暴風雨となって村を襲った。

 けたたましい地鳴りに雷音、未曾有の被害に村は存続の危機となった。


 辺境にある村に物資を送ることは容易くなく、支援も限られる。

 名も無き小さな村などそのまま忘れ去られる運命にある――はずだった。


 その村には昔からとある言い伝えがあった。

「巨大な雷が落ちるとき、聖女が誕生し人々を救うだろう」

 どこにでもよくある昔話の一つ。

 そんなおとぎ話に救いを求めるほど、村は危機的状況に陥っていた。


 北の村に『大災害』が起きたとき、大きな雷が落ちた。

 人々はそれを運命だと信じた。

 村を救う聖女が現れるかもしれない。


 それから数年後、とある奇跡が起きた。

 村では昔からアップルパイが名物で、いくつかリンゴの木が生えていたがその中の一つに黄金の実がなった。

 そして、後に――自分は『聖女』だと名乗る少女が現れたのだ。


 聖女が現れてから村は一変した。

 ちょうど都会では天使信仰が流行りだした頃で、本格的に世界の終末について考えねばならなくなったときに現れた存在である。

 我も我もと人が押し寄せ、村は復興するどころか元より栄えた。


 しかし繁盛も長くは続かない。

 聖女がその激務に疲れ果て、ふさぎ込んでしまったのだ。


 聖女のいない村になど用はない。

 来訪者の数はあっという間に減っていき、また各地で『天使病』に侵された者が次々と現れ、人々の関心は移っていった。


 村はなんとかしようと聖女を説得し、再び聖女のいる村として名乗りを上げたが一度廃れた村が勃興するのは困難であり、また地理的な条件からも辺鄙な村になど訪れなくとも天使が拝めると客足は遠のいていった。


 今では近くを訪れた一部の旅人が噂として『聖女の住む村』として紹介するにとどまるようになった。



 聖女は力を行使するのに体力・精神力を多く消耗するため、治療行為は数日に分けて行われる。

 それを『儀式の日』と位置づけている。

 その人に合わせた術式を探り、ゆっくりと治療を行う。

 最後には完治するとのことだ。



 ――これが村に昔からある聖女の言い伝えと、その治療法である。


 天使は終末に訪れて、人々に救いをもたらす。

 この聖女という存在はたしかに天使らしい特性を持っている。



 ウェンディとリリーは村外れで遊んでいた、という名目で見つかったことにした。

 もっととやかく言われるかと思ったが、人々は良かったと安堵の表情を浮かべるものこそ居ても、それを咎めるものは一人も居なかった。

 もしかしたら、わかった上であえて何も言わないのかもしれない。

 ――再び聖女が逃げ出したりふさぎ込んだりしたら、それこそ村はおしまいだ。


 リリーは儀式の続きを行うために奥の建物に向かった。



 一方その頃。


「あら、なんだか騒がしいわね」

 部屋を出たグラはただならぬ様子に顔をしかめる。

 話を聞こうにも二人の姿はなく、それどころか女将もウェンディも、誰ひとりいないのだ。

 食べ差しの食事があり、突然人がいなくなったかのような錯覚。

 もちろん外では人の声が聞こえるので、そんなことはないと多少は安心できるのだが。


 外に出たいがまだ日が差している。

 朝ほどではないが、昼間も好んで出歩きたくはないのだ。

 しかし緊急事態ともあれば、その限りではない。

 日傘を取りに戻ろうとしたとき、ふいに人影が玄関に現れる。


「……おや、たしかグラさんでしたか」

 それは期待した待ち人ではなかった。

「えっと……」

 思い出せない。

 昨日話しに上がった天使の研究家だとはわかっているのだが、名前が出てこない。

「ああ、私はロマンと申しまして、昨夜隣のテーブルになった宿泊客です」

「そ、そうそう。ロマンさんね、こ、こんにちは」

 名前を思い出せなかった罪悪感からか、焦って早口になる。

 一方彼は慌てふためく様子に動じることなく、至って冷静に行動する。


「あなたは、他の方と一緒ではないんですね」

「はい……あの、何かあったんでしょうか?」

「もしかして、ご存知でない。あの、今まで何を」

 不思議そうに見つめる顔に、グラは急に恥ずかしさがこみ上げてきた。

 何かが起こっているのに、自分だけが蚊帳の外らしい。


「すいません。朝はちょっと弱くて」

「あはは、そうなんですね。いや、ちょっと村の子供たちが居なくなったものですから」

「えっ。もしかして、ウェンディちゃん!?」

「ですがご心配なく。もう見つかりましたから――んんっ」

 ロマンは常に冷静に、そして何かを考えているように口元に手を当てる。

 それはよく見かける光景だ。

 ワールドがするのと同じ目。

 やはりこの二人、似た者同士なのでは。

 そんな風に考えていると、不意に彼の口が動く。

「ところで先程、不思議な光景を見たのですが――」


 再び扉が開く音。

 そして人が次から次へと流れ込んでくる。

 一件落着とばかりに皆安堵の表情を浮かべながら、その中にワールドたちの姿も見受けられた。

「――なんだ、ようやく起きたのか」

「お姉さまはねぼすけさんなのです」

「う、うるさいわね!」

 口では怒りつつも、二人が戻ってきたことにより顔が緩んでいる。


「あ、そうだロマンさん。さっき何か言いかけて」

「いえいえ、大したことではありません」

 そう言うと、そのまま部屋へと戻っていく。


「何だったのかしら――って、アンタら二人もなんかすっごく疲れた顔してるけど、どうしたの!?」

「いや、ちょっと疲れてな……」

「お休みしたい気分なのです……」

「えっ、ちょっと、何なの!? 待って、待ってよ!」

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