23 湯気に巻く2

 ワールドもお湯から出て体を洗っていると、ふと背後に気配を感じた。

 おもむろに振り返ると、湯気で見え隠れするのはもの言いたげにうつむく少女。

 タオルで体を隠したウェンディがそこに立っていた。


「さ、さっきは急に居なくなっちゃってごめんなさい。えっと、その、あの……」

「なんだ、客の背中でも流そうってことか。そいつは感心だな」

「そ、そう! 背中を洗うの!」

 助け舟を出されたとばかりにワールドの言葉を反芻する。


 言葉が続かずお互い無言のまま見つめ合っていると、ふと何かに気付いたように慌てふためく。

「えっ、もしかして見えてるっ!? えっ、えっ!?」

 じっと彼女を見つめるワールドの視線は、ぼうっと人を見るというよりは観察に近い。

「いや、子供というのはもっと寸胴体型という印象だったが、思ったより大人に近いのだなと。想像で創作するとリアリティに欠けたものしか生み出せない。俺はそういう類の創造は苦手でね。実際に見たものをありのままに描いたり象ったり、実物を見様見真似で表現する方が得意だし好みだ」

 講釈を垂れるワールドを赤面しながら見ていたウェンディだが、少し押し黙って、それからうんと頷いた。

「お兄さん、あの傘のおねーさんたちによく怒られたりしない?」

「……ああ」

「やっぱり!」

 何がやっぱりなのだろう。

 そんな不思議な表情を浮かべるワールドにお構い無しで、先程までの恥じらいもどこへやら、近寄って背中をぽんと叩く。

「ね、ね、背中、流してあげる」


「すごーい。ゴツゴツしてるー」

 タオルを持った小さな手を精一杯広げ、ワールドの背中に押し当てては上下に動かす。

 力強さはなく、くすぐったいほどだが拒否する理由もないので少女の気の済むようにやらせている。

「どうかしら? 痛くない?」

「ああ、大丈夫だ。人に背中を洗ってもらうのは久しぶりだが悪くない」

「そう、良かった」

 背中越しに楽しそうな様子が伝わる。


 女将の言葉が思い出される。

 この子は久しく父親という存在を知らず生きており、その背中に父を見ているのかもしれない。

 この若さでそれは、とも思うが、彼にもまたその想いを理解するだけの器量と理由がある。

 自分がこんなにも穏やかな感情を持ち合わせていることにおかしくなり、思わず自嘲の声が出る。

「あっ、い、痛かった?」

「いやすまない、大丈夫だ。それより、ただ背中を流しに来たというわけでもあるまい。何か聞きたいことがあるんじゃないか」

 背中越しの言葉に手が止まる。

 やはり、と思うと同時にウェンディは身を乗り出し、耳元で囁いた。

「――人が天使になったら消えるってお話は、……本当なの?」


「本当か、と問われたら『そうらしい』という返答しか出来ないがな。人が天使になるところなんて誰も見たことがない。況や俺もだ。そしてさっき言ったばかりだが、俺はこの目で見たものしか信じない人間でな。確証がない限り断定はしない――だが、可能性はかなり高い」

 ワールドの答えは彼女にとって納得のいくものだったのか。

 それを知りたくて振り返ると、この熱気と湯気の中で青ざめた顔が彼の瞳に映る。

「……ウェンディ?」

 問いかけに応じず、再び呼びかける。

 三度目の呼びかけでようやく我に返ったように頭を振った。

「えっと、大丈夫。そう、大丈夫!」

 一歩後ずさり、立ち上がって両手を前に出し大きく振った。

 その動揺ぶりは明らかだ。


「ね、ねぇ。お兄さんはどうしておねーさんたちと旅をしているの?」

 話題を変えようと必死な様子が見て取れるが、あまり追求しても仕方のないことだと思いワールドはしばし沈黙してから

「仕方ない、とっておきの冒険譚を聞かせてやろう」

 意気揚々とこれまでの経緯を語り始めた。


「――へえ、それじゃあ悪い人に捕まっていたフードのおねーさんを二人で助けたのね! 素敵なお話なの!」

 サータが天使であるということは隠して、三人の出会いについて簡単に説明する。

「日傘のおねーさんもすごいのね。フードのおねーさんを探して色んな所を旅していたなんて。私だったらそんな勇気はないかもしれないもの」

「あいつにも譲れないものがあったのだろう。それが妹を救う、ということであり、そのためにあいつは行動を起こした。俺はそういう人の想いを無下にすることは出来ない。可能な限りはそれに寄り添ってやろうと思っている」

「まあ素敵。まるで恋人みたい」

「ぶっ!!」

 忌憚ない意見にワールドは吹き出し、反論しようにも咽て呼吸を整える。

 しばらくあって、ようやく声が出せるようになる。

「奴とはただのビジネスパートナーだ。そこははっきり明言しておく」

「大人って難しいのね」


「……行動」

 ふと、さきほどの言葉をウェンディが繰り返す。

「やっぱり、行動を起こすことは大事なのかしら」

「何も起こさず、平穏無事に日々を過ごしたいというのなら無理に行動する必要はない。だが、日々よく生きることだけを是とせず、困難や苦労も含めて受け入れる覚悟があるのなら、行動を起こすと良い。何かを成し遂げるための第一歩だな」

 その言葉を噛みしめるかのように視線を落とし、ぎゅっと口を噤む様子に何かを感じ取ったワールドだが、あまりあれこれ聞くものでもないと流すことにした。

 それより、ワールドには聞きたいことがあったのだ。

「ウェンディ、お前は『聖女様』がどんなやつか、知っているのか?」


「うん。知ってるよ」

 あっさりと返事があった。

 村中を回ってろくに得られなかった回答を、こんなにも身近なところで得られたのだ。

「なあ、教えてくれ。聖女ってのは一体どんな――」

 彼女の腕を掴もうとと伸ばした手は勢いが強く、その体重では支えきれずにバランスを崩し倒れ込む。

 それに覆いかぶさるようにワールドも転倒し、傍から見るとどう見ても押し倒しているようにしか見えない。

「ふぇっ!?」

「――おっと、すまない。怪我はな、い…………」

 顔を上げた時、眼前に猛烈な覇気を感じた。

 ギラリと光る眼光、笑っているが目の奥はまったく笑っていないその顔は、見ただけで震え上がってしまうほど。

 そこには、彼女の母親が仁王立ちしていた。


「おやおや、大胆不敵にもほどがあるねぇ。確かにあたしゃそういうのには寛容さ。寛容な方だけどね」

 指をパキパキと鳴らしながら近づいてくる。

「い、いや待て。誤解だっ」

「お、お母さん。違うの、これはただの事故で」

 言い繕う二人に聞く耳持たず。

 その腕を大きく振り上げる。

「本当に手を出すやつがあるかいっ!!」


 三度目。

 今までで一番大きな掌底音が響き渡った。


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