22 湯気に巻く1

 さて、ワールドは自分の肉体美に関しては多少の自信はある。

 引き締まった筋肉だけが芸術としてふさわしいという極端な思想は持っていないものの、鍛え上げられた肉体に美は宿るという考え方は正しいと判断している。


 鏡の前に立ち、上半身裸の己と向き合う。

 食にこだわりはないが、怠惰な生活を送ることもなく組合員リンカーとしての仕事を全うしているだけで自然と理想的な肉体は出来上がる、という持論。

 引き締まった胸筋とうっすら割れている腹筋、無骨でしかしハリのある肌質、それは彼が作り出したい理想そのものである。

 それはナルシスト、と呼ぶには少し語弊がある。

 てっとり早く被写体を探すのに、己という肉体が一番身近にあるのだからそれを自分の理想に近づければ早いだろうという極めて打算的な考えの結果である。


 もう夜も更けており、他の客も今から風呂に入りに来ることはないだろう。

 のれんの奥には岩の通路と立ち込める湯気が見て取れる。

 何十人もの客が入れるような大浴場だと遠目からでも判断できる。

 それを独り占めとは、贅沢なことだ。

「湯に浸かるのは何日ぶりか。まあ、たまの休息だと思えばこそ、か」

 手ぬぐいを肩にかけ意気揚々と向かっていく。


「うわっ!? だ、誰だいっ」

「きゃっ! ……あ、組合員リンカーのお兄さん?」

 先客がいた。

 というか、女将とその娘だった。


「いやはや、すまないねぇ。もう誰も入ってこないだろうと思って、男湯と女湯の暖簾は外しちまったんだ。もう片方は入れないようにしちまったからね、女湯に間違って入り込んだとか、そんなことは無いから安心しな」

「それは良かった。……それにしては肝が据わっているな、女将は」

 三人で湯船に浸かり、落ち着いたところで女将が話しかける。

「あはは、今までも無くはなかったからさ。本当はもう少し遅くに入るつもりだったんだけど、この娘が一緒に入りたいって言うもんだからさ、ね」

 そう言ってウェンディの方を見る。

 彼女は母親よりもさらに奥側に座り、ワールドと一定の距離を取る。


「ほれ、そんなに遠くに行かなくてもいいじゃないか」

「だ、だってぇ」

 赤ら顔を湯船に沈めながらウェンディは声を弱める。

 ブクブクと音を立て、大小の気泡が浮かんでは消える。


「普段はこんなに恥ずかしがり屋じゃないんだけどね、はは。アンタがイイ男だからって特別照れてるのかもね」

 ニヤニヤと笑いながら女将が言う。

「ふむ。褒められると悪い気はしないな。しかし女将、女将も娘さんも素材としては大変素晴らしい。元気な子供というのは健康的で生命力に溢れている。女将も程よい曲線美に肉質、これも彫刻の題材としてはうってつけだ」

「いやだよもう、こんなおばさん捕まえて、さ!」

 真面目に語るワールドに、笑いながら頭に一撃を食らわせる。

「だっ!?」

 思わず湯の中に顔が沈む。

「……ふふっ」

「お、ご機嫌だね。お前も褒められて良かったね」

「えっ、ち、違っ……」

 肩まで上がっていた体をまた口元まで沈める。

「ゲホッ……褒めているのに……」

「ヤダねーもう、照れ隠しだよ照れ隠し!」


「それにしても彫刻とか、なんだいアンタ、芸術家なのかい。あの組合員リンカーとか言ってたけど」

「おう、組合員リンカーであると同時に芸術家だとも。ペン一つで何でも描くし、ナイフ一つで何でも彫ってみせるさ。ここに紙とペンがないのが残念でならないね」

「……お兄さん、絵がじょーずなの?」

 ずっと押し黙っていたウェンディが会話に加わる。

「どこまでをもって上手と言えるかは人によるが、俺は――ま、まぁ子供に教えられる程度には、な」

「すごーい!」

 いつもは難解な言い回しで煙に巻くのが得意技だが、女将の「良いから適当に話を合わせろ」という視線と圧に屈し、普段取らないような態度を取った。

 彼はその場で実力を示せない場合は己の能力はひけらかさない、という考え方である。


「ほら、いつまでも湯船に浸かってないで、ちゃんと体を洗ってきなさいな」

「う、うん……。でも……」

 チラチラとワールドの方を見ながらウェンディが口を濁す。

「? 俺か」

「あ、あの。お兄さん、見ないでね。わ、私、恥ずかしいからっ……」

 胸元を隠しながら、上がろうかどうしようかと上体だけ湯から出して躊躇している。

「ふむ。なら向こうを向いていれば良いか」

 そう言ってくるりと振り返る。

「う、うん。ありがと」

「いやぁ、このも成長したね。昔は他のお客が居ても構わず裸で飛び出したってのに」

「もうっ! お母さんっ!」

「あっはっはっ」

 波飛沫を背中で受けながら、湯船から上がる音を聞く。

 ワールドは頭の中で波を表現するにはどうすれば良いだろうかと考えていた所、もう大丈夫という女将の声を聞き、向き直る。


「ところでアンタたち、本当に聖女様目的じゃないのかい」

 立ち上る湯気の中、顔を覗かせる女将の表情は真剣にワールドの方を見据えていた。

「特に叶えたい願いってのは無いな。そんなにおかしいか。ただ美味いアップルパイを食べに来たってのは、駄目か」

 対するワールドの返答もまた、茶化すような言い方ではあるが本心であり、真剣である。

「ああ、いやね。あのの父親は『聖女様』が誕生する前に死んじまってね。だから『自分のような悲しい思いをする人を減らせるように』って聖女様を求めてやってくる人たちをもてなしているのさ。でも、それもなんだかあのを縛り付けているようでさ……。もし、本当に聖女様目当てじゃないってんなら、普通にあのに接してやってほしい、かな」

 静かに、淡々と語る彼女は女将としての気丈さはなく、ただ母親として娘を案じている様子が見て取れる。


「なるほどな……。ならさしあたり、明日にでもウェンディにはお絵かき教室でも開いてやるとするか」

「ははっ、いいねぇ。アンタやっぱりイイ男だ。あと十年、いや五年でもあたしが若かったら惚れてるところだよ」

「いやいや女将は今でも十分良い女だと」

「だからおばさんをからかうんじゃないってのさっ」

 大きく響き渡る音と共に、再びワールドの頭は湯の中に沈み込んだ。

 今度はさらに重い一撃だ。


「……褒めるたびに酷い目に遭うのはおかしくないか!?」

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