13 宿屋にて

「――では、こちらの宿帳にお名前を」

 宿泊名簿にはつらつらと宿泊者の一覧が書かれていて、その多くは横線が引かれている。

 おそらく精算を終えたら名簿から消しているのだろう。

 そこには三組六名の名前が残っており、上から二人、三人、一人と先ほど外で見た顔ぶれであることが伺える。


「……?」

 ワールドの手がぴたりと止まる。

「どうしたのよ。まさか自分の名前も書けないとか言い出すんじゃないでしょうね」

「お前は馬鹿か。芸術家は自分が作った作品に名前なり印なりを残すものだ。書けないわけがなかろう。いや、どこかで見たような名前だったのでちょっと気になっただけだ……ほれ、次はお前らだ」

「どうも。はいはい、っと。あ、サータ、書ける?」

「ええ、ええ。この間お姉さまに教えていただきましたからバッチリです!」

 そう言ってペンを手に張り切って書き出すサータ。

「サータ、それアタシの名前」

「……あら?」

「貸しなさい……はい、これがアナタの名前ね」

「そうでしたそうでした。てへっ」

「てへっ、じゃないわよ。ま、文字が書けるだけでもマシね。ずっと村で暮らすなら必要ない知識だし」

 グラは宿泊名簿を受付の女性に渡す。

 二人のやり取りを不思議そうに見つめながら受け取る。

「……あんたたちも色々あるんだねぇ。詳しくは聞かないけど、こんな村にわざわざ来るってことはみんなワケアリだろうから」


 そのまま宿泊の説明を受ける。

 どうやら受付の女性が女主人らしい。

 見た目は三十路前後の若女将という印象だが、手際は良く、どっしりと構えて落ち着き払っている。

 細腕だが引き締まっており、切れ長の目が美しい。

「――すまないね、三人とも同じ部屋で。団体さんが帰ったばかりで部屋の掃除もままならないからさ。昔はもっとたくさん来てたから部屋も用意してたんだけど、このごろはめっきり人も来なくって、物置状態さ。お客様を泊められるような部屋が無くて……なんて愚痴は聞かせるものじゃないね、あはは。まぁその分サービスしとくから、さ」

 ため息まじりに女将が言う。

「えー、こいつと同じ部屋なんて」

「サータは構いませんよ」

「俺も構わん」

「アタシが構うの! ……でも、贅沢は言ってられないし、仕方ないわね」

 グラは口を尖らせる。

「ありがとうね。えーっと、ベッドはいくつが良い?」

「三つでお願いします!」


 鍵を受け取り、部屋まで向かう。

「部屋数は多いわねー。ええっと、こっち? いや、そっちかしら」

「どっちだ」

「お姉さまは昔から方向音痴で」

「ちょっ、黙って! ああもう、聞いたほうが早いわ。すいませーん」

 ちょうどエプロンドレスを身に纏った女性がこちらに歩いてくるので、グラが声をかける。

「あのー、この部屋ってどこですか?」

「……? 私は従業員ではありませんが」

「えっ!?」

「あら、こちらの方は先程会釈してくださった方なのでは」

「そうです。娘さんとご一緒でしたので、やはり皆様も宿泊なされると思っていました」

 ずっと表情を崩すこと無く、落ち着いた様子で受け答えする。

 グラやサータに比べると少しだけ年上のように見えるが、印象はまるで違っている。

 給仕の格好に黒髪のボブカットで、可愛らしい見た目とのギャップが凄い。


「ですが存じておりますゆえお教えいたします。この部屋でしたらそのまま回れ右して突き当りを左に曲がった先です」

「えっ、逆方向!?」

「お姉さまは昔から……」

「繰り返さないの!」


 双子がやり取りする前を遮り、ワールドが話を進める。

「いや、助かった」

「困った時はお互い様ですので。……ところで、皆様も『聖女』様を訪ねてこられたのですか」

「何か治療してほしくて来たってわけじゃあないが、そんなところだ」

「そうですか。……」

 彼女は少し考え事をしているように口元に手をやり黙ったあと、意を決して言葉を続ける。

「貴方は聖女様について詳しくご存知ですか?」

 言葉の意図を探りながら、しかし解決策が見出だせず、そのまま受け取って返答する。

「詳しくは知らないが、その含みのある言い方はなんだ?」

「いえ、それでしたら良いです」

「気になるな」

 何かあると踏み、食い下がる。

「ふむ。そうですね、男性一人に女性二人という歪な組み合わせの皆様にでしたら、あるいはお尋ねするのも一興かと」

「人のこと言える!?」

「ええ、我々も変わり者だという自覚はありますゆえ」

「そう言われると何も言い返せないわ……」


 向き直り、ワールドを上目遣いで見上げながら彼女は言う。

「ああ、いえ、本当に大した意味はないのです。本当にただの質問、というか疑問です」

 表情はそのままに、声の抑揚からも彼女は至って冷静だ。

 それでも。

 ほんの少し、何か違和感を覚えた。

 鉄のような顔のままに、彼女は続ける。


「聖女様は――心の病も治療してくださるのでしょうか」

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