08 北の村には天使が住んでいる
――遡ること数時間前。
「北の村には『天使』が住んでいるらしい」
と、太っちょ。
「あのおとぎ話の? おいおいまさか」
訝しむ痩せっぽち。
「そのまさかなんだよ。数百年に一度、天使の生まれ変わりが誕生するってのは、おとぎ話でも何でも無くて、事実だったんだよ!」
小さな岩に腰掛けながら、二人の旅人が嘘か真か判断つかないような噂話を繰り広げる。
「どんな病気でも治しちまう『聖女』様が居るって噂は聞いたがなぁ」
「その聖女様ってのが天使なんだよ!」
大きな図体を揺らして声を張る。
「? おいおい、だって天使は地上には居られないんだろ? 天使は終末にやってきて、地上の人々に救いをもたらす存在ってのがおとぎ話で語られている天使じゃないか」
「そうなんだけどさ、なんて言えばいいのか……」
「地方で聖女と呼ばれる存在は、ギルドで言うところの天使病罹患者、つまり天使になる前の天使見習いってところか」
「おう、そうそうそんな感じ――って、誰だお前さん!?」
二人の会話に割って入るのは、青みがかった短髪に三白眼、そしてよく笑う口元が特徴の若者。
「なんだアンタ、ん……その腕章、『赤のギルド』の
痩せ型の男は腕に付いた真紅の布に顔を寄せ、じろじろと眺めながら言った。
「へー。確か
太っちょが腕組みしようとして腕が足りず、首だけ縦に頷く。
「彼らの情報網は凄いんだ。どこの道が通行止めになっているとか、どこの都市に天使が現れただとか、何でも知り尽くしているよ!」
細腕の彼はいちいち身振り手振りが大げさだ。
「お褒めに預かり光栄だね。それもこうして旅人との情報のやり取りがあってこそだ。そこで聞きたいんだが、本当なのか? 北の村には天使が住んでいるってのは」
「ああ。俺が住んでるのは西側の田舎町だけど、知らないやつは居ないさ。実際に行って確かめたやつがいるんだから間違いない。どんな病気でも治せる聖女様ってな。それを天使と呼ぶのならば、だが」
痩せこけた口角を上げ、アイロニカルな表現をして笑ってみせる。
「ああそうか、帝都やギルド共同体に属していない町や村では『天使』という表現は基本的に使わないんだっけ。お前さんみたいな人に天使病って言っても通じないわけだ」
対して相方は頬に付いた贅肉を揺らしながら、首を横に振る。
「使わないっていうか、聖人や聖女と天使は別物だからな。前者は不思議な力を持った人間って認識だ。天使になったら、それこそ俺たち人の目には見えない存在になっちまう」
「ああ、見えてきたぞ。つまり、天使になるまでは人間、ってのが西側集落の考え方で、ギルドや帝都じゃ天使病に罹った時点で人間ではなくなるって捉え方だ。人間と天使の狭間に位置する存在に対する認識の違いってやつだな」
苦虫を噛み潰したような顔でワールドが応じる。
「天使病を授かる、な。帝都じゃそんな表現したら下手したら牢屋行きだ」
両腕を前に出し、捕まったポーズを取りながら巨体を震わせる。
「言語統制が厳しいようで」
「ギルドの
そう言って何やら木製の民芸品のようなものを取り出す。
「天使のとまり木に祈りを捧げる信仰、通称天使信仰。こいつがとまり木のモチーフさ。天使様、お助けくださいってな」
「聖女に祈って救いを求めるのと対して変わらない気もするがねぇ」
「お前さんたちとは似たところはあるかもな。なんせ天使は神聖なものだ。だからこっちじゃ天使病『罹聖者』って呼ばれているよ」
「天使病ってのは変わらないんだな」
皮肉交じりにワールドが応じる。
「そこはまあ、昔からの表現だから俺に言われても困るよ」
「いやぁ面白いな。三つの地方の奴らがそれぞれの価値観で天使を語るってのは。まだまだ話し足りないが、そろそろ行かないと北の村に辿り着けない」
ワールドが頃合いだと話を切り上げる。
「向こうに見えるひときわ大きな山があるだろ。その麓の村だ」
細い指先で指し示されたのは、遥か遠くの山だった。
「やっぱりサータの見た未来視の通りか……」
ワールドが微かに呟く。
「なにか言ったか?」
「いや」
「ま、よほどのことがなけりゃ、夕方までには着くんじゃないか。こいつみたいな巨体では怪しいが、アンタみたいな
「おいおい、俺だってここまで歩いてきたんだぞ……流石にさらに北の村まで歩けと言われたらちょっと困るけどな」
「とはいえ、思ったより距離がありそうだな」
「なら、ここで耳寄りな情報を一つ」
「?」
「あの村はアップルパイが名物でね。本物の天使が居なくても、美味いアップルパイを作ってくれる天使みたいな店員さんになら会えるさ」
そもそも天使なら見えないからね、と念を押す痩せ型の男。
この男こそ本当は天使の存在など信じていないのではないだろうか。
「マジで!? そういえば美味そうな匂いがここまでやって……」
「きてないから。アンタはこれから俺と来てもらわないと困るんだよ」
「わかってるって。冗談だよ」
そのヨダレを啜る様子からは冗談には聞こえない。
「へえ。そいつは楽しみが増えた」
ワールドはニヤリと笑う。続けて、
「最後に一つだけ」
と二人に尋ねる。
「終末ってのは、本当にもうすぐやってくると思うか?」
赤い腕章をはためかせ、男は笑みを浮かべてその場を立ち去る。
二人は互いに見つめ合い、首をすくめる。
――そして今に至る。
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