その5 常識の通用しない世界、てか、じーちゃん


 まったく、さすがに大人の財力とは、侮れない。僕が小遣いを地道に貯めるのなんかとは、が違う。

 そんなわけで、翌日我が家に届いた荷物は、これがなかなか膨大なものだった。しかも昨日の今日だというのに。さすがはアマ〇ンプ〇イム。

 しかしこれをこっそり持って来いとは、祖父も無茶を言う。


 僕は野活のときに使ったバックパックに荷物を詰めることにした。とりあえず外箱やビニル包装はすべて剥ぎ取り、隙間を通しやすい形状にしておく。そして重いバックパックを背負って家を出た。


 はや夕焼け色に染まり出した街を電車にゆられ、祖父宅を目指す。

 こうして僕は二日連続で塾をさぼることになった。今日も休む旨を塾に連絡してくれるよう願い出た僕に対し、母はやはりなんの異論も唱えず、どころか理由も聞かずにオーケイを出した。

 どういうことだ。

 少しでも母が逡巡を見せていれば、僕は祖父に食糧を届けるのを明日に延ばして今日は塾へ行っただろう。……分かってる。一刻も早く届けてあげたほうがいいに決まってる。


 いくつかの駅を乗り継いだ先、たどり着いた祖父宅で僕を二日連続出迎えた祖母は、ちょっと驚いた顔をした。そして背中のでっかいバックパックに気付き、唖然とした。


 これは、こっそりとか、無理!


「ええと、今日もおじいちゃんに会いに来たんだけど……」


 なんと説明すればよいかわからず、ごにょごにょと口ごもる。


「……そう。漣ちゃん、来てくれてありがとう」


 昨日と同じように、祖母はなにも言わなかった。ただし、ものすごくなにか言いたげな目で荷物を見ていた。


 お茶に誘ってくれた祖母を無下に断り、ともかく先に祖父に会ってくると告げる。

 やはりなにか言いたげな目で祖母は僕を階段下から見送った。


 逃げるように上がった二階、祖父の部屋の扉の前で重かったバックパックを下ろす。このバックパックのせいで、僕は身長の成長余地を3ミリほど失ったかもしれない。


「おじいちゃん、僕だけど。持ってきたよ、ご飯」


 ノックしながら声をかけると、ほどなく祖父の声が返ってきて、内心僕は胸をなで下ろす。


「おお、漣ちゃん。悪かったな」


 その声は心なしかうきうきとしているようで、やはり待ちわびていたのだろう、おいしい食事を。

 ともかく荷物をさっさと渡すに越したことはない。僕は扉の前にしゃがみ込み、バックパックの中身を順次隙間から差し入れる作業を開始した。


 まずは各種味つきアルファ米、それからカレーをはじめとするレトルトパウチ食品が和洋中。順当なセレクトだろう。どれも平たいパウチなので、なんの問題もなく隙間を通る。

 ついで粉末状スープ味噌汁の素。インスタントスティックのコーヒー紅茶緑茶。ここまでくると嗜好品ではないだろうか。そりゃあ水ばっかり飲むのも味気ないだろうからいいけど。

 さらに塩、こしょう、コンソメ、スパイス、小分けドレッシングもろもろ。これはよもや狩った肉を調理するためだろうか。そんな得体のしれないもの食べないでほしいが、深く詮索するのはやめよう。

 たぶん高カロリー携帯食としてだろう、チョコレート、ビスケット、飴、しるこサ〇ド。ん、しるこ〇ンド!? なにこれ、どんな味だ。


「知らないのか? うまいぞ?」


 扉の向こうからしる〇サンドが一枚返ってきたけど、そうですか。


 そして、サキイカ、スルメ、貝柱、鮭とばサラミナッツエイヒレジャーキー他乾き物多数。完全につまみだな。おつまみ多いよ。


 食べ物だけではなかった。胃腸薬や頭痛薬、アルコールティッシュ等の医薬品。ロープ、乾電池などの消耗品。そして、薄目のサンダル。

 ああ、室内だから外履きがないのか。


「え、今までどうしてたの?」

「うん? べつに。スリッパで」


 スリッパであの謎生物と近接戦したのか。


 最後はモバイルバッテリーと10インチタブレット。スマホもパソコンもあるだろうに、これはホントに必要なんだろうか。


「必要だ。スマホじゃコマと字が小さくって読みづらい」


 ……コマ。無事にマンガアプリは分かったんだね。よかったね。


「それにしても、こんなにいろいろたくさん。おじいちゃん、帰ってくるつもり、あるんだよね?」


 よもやと思い聞くと、「当たり前だろう!」と強い口調で返ってきた。


「帰れるもんなら今すぐ帰りたいさ、俺も」


 いくらなんでも僕の発言は無神経が過ぎた。祖父を怒らせてしまったことにどぎまぎする。なんとか取り繕おうと言葉を探すものの、舌は盛大に空回った。「そうだよね」と上擦った声が出た。


「ああ、まぁ。だから裕子さんにクロワッ〇ン餃子が届いても食べずに待っててくれって言ってくれ」


 しかしすぐに祖父がそう続けたことで僕はほっとする。よかった。思ったほど怒ってなかった。でもクロワッ〇ン餃子て……なに?


「お取り寄せに一年待って、そろそろようやっと届くはずなんだ」

「……分かった、言っとく。けど、」


 どうしたら祖父は帰ってこられるのだろう。当面の食糧という問題を解決した今、それが最大の懸念である。

 けれど、どうしてこんなことになったのか分からないのだ、どうにかする術があるのかすら分からない。いつかまた唐突にこっちへ帰ってこられるのを待つしかないのか。

 最悪のケースを想像してしまい、核心を突いた話をするのは少し恐い。


「それなんだけどな。もしかしたら関係あるんじゃないかと思ったやつを、さっき撮ってきたんだ」

「関係ある? どういうこと?」


 答えより先に僕のスマホへ画像が送られてきた。それは毒々しい赤の、ぶくぶくと膨れ上がったような、屹立する不気味ななにか、の写真だった。


「なに、これ?」

「分からん。少し離れたところにんだ」


 人工物とも思えないし、キノコかなにか、だろうか。


「どうだろうな、どちらかというと変形菌っぽいと思うが。動いてるし」

「へんけい? え、なに?」

「いわゆる粘菌」


 そう言われても、いまいちピンとこない。


「これってどのぐらいの大きさなの?」

「そうだな、あんまり近づいてないから目積もりだが、たぶん4,5階建ての建物と同じぐらいじゃないか」

「でかっ」


 どう考えても菌のサイズじゃないだろう。


「確かに不気味だけど、これがどうしたの?」


 ただ物珍しくて撮ってきたわけでもあるまい。


「動画もある。遠くから撮ったからな、見づらいんだが」


 そう言ってほどなくスマホが小さく鳴った。僕は画面に目を凝らす。

 赤い変なやつ。確かに蠢いている。もぞもぞと、それはもう気持ち悪い。形を変えて触手でも伸ばすように広がって、そして縮む。そうして触手が周囲の廃墟に近づくと、消えた。廃墟が忽然と消えた。


「な、え? ど?」


 見間違いかと思い動画を戻すが、やはり消える。その消えっぷりは、まるでもとからなにもなかったかのようだ。


 淡々と祖父が言う。


「どうもな、そいつは喰ってるみたいだ」

「空間を喰ってる?」

「証拠もなにもないけどな、見てるとそうとしか言いようがない。たぶん、時空を歪ませてる原因もそいつだ」


 空間を喰うとか時空を歪ませるとか、仮面ラ〇ダーの設定かなんかなのか?


「俺が帰る、つまり時空を元に戻すには、あいつをどうにかするしかないかもな」

「あれをどうにかって……、え、ちょ、正気!?」


 話を聞くだにそれが事実ならとんでもない化け物である。それをどうにかしようなど、正気の沙汰ではない。

 これだから尋常小学校で竹槍振るってた世代は!


「おい。人を勝手に戦前生まれにするな」

「だって。そんなこと言ったって。だいたい、だいたいさぁ、そっちの世界ってそいつに滅ぼされちゃったんじゃないの? そんな、世界一つが敵わなかったやつ相手に、たった一人でどうしようって言うのさ!?」

「……そうだとすれば、確かに絶望的、かもしれないが」


 俺にはお約束のチートがないからなぁ、と祖父が呑気な冗談を言う。


「案外、そうじゃないんじゃないかと、俺は思うんだ」

「そうじゃないって、なにが?」

「別にあいつがこの世界を滅ぼしたとは、限らないって話だ。だって、そうだろう。あいつの喰いっぷりからしたら、こんな風に都市が廃墟になるとは到底思えない」


 相手は、きれいさっぱり空間ごと消滅させてしまうような化け物である。こんなものに襲われて滅びたのなら、文明が崩落するだけの時間的余裕などないだろうと祖父は言う。


「でも、現にそいつはその世界に居るじゃない」

「そうだが、あるいは世界が滅びたから、あいつが居るのかもしれない」

「なに、どういうこと?」

「動物の死骸を微生物が食って分解するように、あいつは滅びた世界を喰っているだけなのかもしれない。そうやって分解されて、またそこから新しい世界が生まれる。そう考えると、なかなかロマンだな」


 ラノベの読み過ぎだと思う。


「どっちにしろ、あいつは世界を喰いながら少しずつこっちに移動して来てる。このペースなら、そうだな、せいぜいあと1か月もしないうちにここら一帯も喰われるだろう」


 なにかの拍子に空間が戻るなどという僥倖をただ座って待つには、少々時間が足りない。


「まぁ、ちょっと考えさせてくれ。たぶん、なんとかなると思う」


 と、祖父は言った。

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