うちのじーちゃんの崩壊世界救済譚

たかぱし かげる

その1 じーちゃんが引きこもりました


 ひきこもりの増加、長期化、高年齢化。

 そんなニュースを見ても、入試の時事問題にこそなれど、まさか直接自分と関わるとは思っちゃいなかった。


「なんか今日お義母さんから電話があったんだけどね」


 久しぶりに僕の塾が休みで、さらにたまたま珍しく早く父が帰宅し、さらにさらにたまたまたまたま超珍しいことに母が締め切り前に原稿を上げ、家族三人が顔を合わせた夕食の席。憔悴しながらもどこかすっきりしたランナーズハイの母が言った。


「どうもお義父さんがひきこもりになっちゃったんだって」


 意味が分からず、僕も父もとっさに反応できなかった。

 いや、意味は分かる。お義父さん、つまり僕からすれば父方のお祖父ちゃんが、ひきこもりになった、いややっぱ分からない。


 ようやく父が「え、」と口許をひきつらせながら母を見た。


「ひ、ひきこもりって、あのひきこもり?」


 どのひきこもりだ。


「そう、あのひきこもり」


 どれ。


「ちょ、それ、え?」


 父の反応はどうしようもなく情けなくてカッコ悪かった。これが会社では"弊社のスパダリ"とか呼ばれ次期取締役と目されている男かと思う。ごめん、外でも別にカッコよくはなかった。


「や、だってひきこもりって……え、仕事は?」


 祖父は60を過ぎているものの、本人の性格もあり社会の流れもあり、現役バリバリ某社役員である。


「ひきこもりなんだもの、当然行ってるわけないでしょ」


 母が首をすくめる。それは当然とか言っていいものなんだろうか。


「え、だって、仕事は?」

「だから、行ってないんだって」

「や、じゃなくて。仕事……会社のほうは大丈夫なの?」


 祖父の心配より先に仕事の心配をするあたりが父である。


「お仕事のことは詳しく聞いてないけど、でもま、お義母さんも特に言ってらっしゃらなかったし、役員なんて出社しててもしてなくても大差ないんじゃない?」


 母の会社役員への偏見もひどい。


「……にしたって、急にひきこもりって、なんで……?」

「分かんないのよー」


 そう言って祖母から聞いた話をし始めた母によると、祖父はちょうど1か月前に突然ひきこもったらしい。

 そのひきこもり方も徹底していて、自室の扉を固く閉ざして一切顔を見せない、という。


「いちおう扉越しに会話はできるから、倒れてるとかじゃないらしいんだけど。話は要領を得ないんだって」


 だから、祖父のひきこもりの原因は今のところさっぱり不明。

 当初こそなにかの気の迷いだろうと大きく構えていた祖母だったが、さすがに状況を深刻とみて息子と嫁に連絡してきた、ということらしい。


「そ、それ、結構ヤバくないか……? なんか医者とかカウンセラーとか呼んで……」

「下手に周りが騒いでも却って駄目でしょ、こういうのは」


 現状女性陣のほうが腹が据わっている。

 別に祖母もどうにかしてほしくて電話してきたわけでなく、ひとまず状況を知らせておくため、らしい。


「そ、そっか……いやでも俺、俺もなんかしたほうがいい?」


 仕事はともかく生活面ではろくに役に立たない男をスパダリとはよく呼んだもんである。

 母はちょっと思案する顔になった。


「できることも特にないと思うけど、とりあえず一度ぐらい顔を出してお義父さんと話してみたら?」


 なにやら焦った父はうんうんと頷いているけれども、僕には母の「性急に事をややこしくされないように最も無難かつ無害な役割を与えておこう」という思考がはっきり見えた。


「でもお義父さんを刺激しちゃだめだからね」


 釘を刺すことも忘れない。


「そ、そうだな。えーと」


 早くも冷や汗を浮かべながらスマホを取り出す父。すわ連絡か、と思ったが、どうやら手帳アプリでスケジュールを確認するだけらしい。

 真面目な顔で画面をスクロール&タップしていた父は、ほどなく情けなく眉尻を下げた。


「予定の空きがない……」


 ワーカーホリックすぎる。

 しかし、これはいかんというほぼ無意味な焦燥に駆られた父は、あろうことか僕に振ってきた。


「そうだ、ちょっとれん、お前、おじいちゃんの様子、見てきてくれよ」

「え」


 まじか。まじなのか。

 父方の祖父母は唯一の孫である僕にベタ甘でたくさん小遣いをくれる人たちであり、祖父母の家へ遊びにいくことに否やはないのだが、いかんせん状況が状況である。というか、ひきこもり中の祖父とどんな顔で会えばいいというのか。あ、顔は見れないのか。ともかく、そこで話を子供に振るか、普通。

 もとより話は完全に夫婦間の会話だと僕は認識していた。母は"お義父さん"、"お義母さん"と言ったのだ。もし僕も念頭において話すなら、母は"おじいちゃん"、"おばあちゃん"と呼んだはずだ。

 とかなんとか言ったところで今さら聞いていないフリができるわけもなし。


「無理だよ、僕、今、受験生だよ」


 勉強が忙しくて時間がないし、受験生を大変な問題に巻き込んで煩わせないでくださいと言ったつもりだが、こんなはっきりとした拒絶に父は首をかしげた。


「受験生って、でも別に明日が入試とかでもないだろ?」


 なんで無理なの?と僕と母を交互にみやる。

 うわあ、素だ、これ。自分が特に努力も勉強もしないで優秀だったから、この人にはまったく受験至上主義は通用しないのである。

 こちらも別の意味でまったく勉強至上主義者でない母は、もうひとまず面倒になったのだろう、「さぁ?」と突き放す。

 なんてことだ。


「そりゃそうだけど、でも明日は僕も塾がある」

「? 塾ぐらい、休めばいいだろ? 義務教育でもなしに」


 おいこら。自分は仕事を休まないくせに、子供の予定は休めと言うか。

 などと言っても父には理解わからない。子供の塾の必要性がそもそも分かっていないのである。今の塾も僕が頼んで通わせてもらっているところだし、どうやら父は僕が塾が楽しくて遊びに通っていると思っているらしい。

 いい加減、自分の息子は相当な努力をしなければならない凡人なのだと気づいてはくれないだろうか。くれないだろうな。


「でも、塾だってそんな簡単に休めないって」


 面倒がらずに助けてくれと母に視線を送る。

 母は、さすがに助けを求める息子を無視したりはせず、考える顔になった。が、残念なことに、彼女が考えていたのは息子を助ける方策ではなく、僕と父のどちらのほうがより楽に説得できるか、であった。


「そうね、でも大丈夫よ、1日くらい。お母さんがちゃんと塾には連絡しておくから、漣、明日は塾を休んでちょっとおじいちゃんのところへ行ってきて」


 家計に経済的余裕があり、かつ学歴を重視しない母にとって僕の進学先などはさほど優先順位の高い問題ではなく、そうとなればなおさら塾の1日程度など守る価値のあるものではなかった。

 くそう、普通の受験生の親ってもっと勉強しろとか塾に行けとかサボるなとか言うもんだろう、なんなんだうちの親は。


「まぁおじいちゃんはともかく。おばあちゃんは漣が来てくれたら喜ぶと思うから、お願いね」


 母にだめ押しでそんなことを言われれば、それ以上抗う言葉は出せなかった。

 確かに、普段あれだけしこたま小遣いをもらっている身としては、心労を抱えているであろう祖母を見舞う程度しろというはなしだ。


「……わかった、明日帰りにちょっと行ってみる」


 事態はまったくなんら変化しておらず、かつ自身はいまだなにもしていないのに、なぜかすっきりした顔になった父。その場をうまく最善最良の形で納めてみんなの意を得たとばかりに満足感をかもし出す母。そしてまったく不本意にやたら重たい任務を背負わされた僕。これを不条理だと思うのは僕だけなのか?


 僕がませた屁理屈野郎でこの先やさぐれてひきこもりになったとしても、悪いのはこの人たち親だと僕は思う。

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