第30話 相容れない思想


「AIは掌握できたか?」

「……」

「何?」

「……」

「耳寄りな情報だと?」

「……」

「わかった」


 マヤがイヤホンマイクで話している。もちろん相手の声は聞こえない。通話を終えたマヤが香織に声をかけてきた。


「香織さんもあざといね。端末を出して」


 香織を睨みつけるマヤ。香織の端末が通話中であることがバレたのだろう。香織はバッグから端末を取り出した。マヤはそれをつかみ取って耳に当てる。


「残念ね。情報の漏洩は避けたいの。さようなら」


 マヤはそう言って携帯端末を放り投げる。空中に浮遊していたドローンがレーザービームでそれを撃ち抜いた。


「ごめんなさいね。通話中だった相手の人って恋人かしら」

「貴方には関係ない」

「図星? でも、もう会えないんだから諦めてね」


 義一郎と会えない。それはつまり、マヤはここにいる全員を殺すつもりなのだ。では何故入港直後に核を使わなかったのか。それはつまり、仕留めたい人物を引き込んでいないという事。それは明日のセレモニーの出席者だろか。政界と経済界の重要人物を一網打尽にできるチャンスであることは間違いがない。

 しかし、こんなハイジャック事件が発生した場所に要人が集まるだろうか。

 それも考えにくい。だとすればどんな理由があるのだろうか。直ぐには結論が出そうになかった。

 操縦席からは乗務員三名が追い出されたところだ。彼らは両手を細いバンドでくくられ、床に座らされた。大柄な髭男ジャガーは操縦室に残っている。小太りとひょろ長い東洋人は二階のラウンジへと上がっていった。二階にはレストランや娯楽施設が設置されているのだが乗客はいない。専属の従業員が何名か残っているのでそれを制圧に向かったのだろう。


「私はWFAのジャガーだ。この場のコマンダーだと理解して欲しい。抵抗しなければ何もしない。しかし、逆らえば容赦なく殺す」


 船内アナウンスで髭男がしゃべっている。


「まずは携帯端末、通信機器を回収させてもらう。素直に出せ。隠すと殺す」


 大きな袋を抱えたテロリストが二名袋を持って客席を回り始めた。一人は黒人で大柄な女性。もう一人はサングラスをかけたイケメン風の金髪男。今時、乗客のほとんどがなにがしかの通信機器を持っている。それらをすべて回収するのだから相当な手間がかかる。通信機器と言っても形状は様々だ。タブレット型が多いがペン型や腕時計型、そして眼鏡型のものまである。テロリストはそれら雑多なものを袋に詰め込んでいく。

 一人の少女がタブレット型の端末を取り上げられた。悔しそうに涙を流している彼女の傍にアンドロイドが座っている。それは小柄でララとそっくりだった。アンテナの形状がポニーテール状である事と青い目をしている事が相違点だった。

 あれはララの同型モデルかもしれないと香織は直感した。もしララと同型であれば次元共鳴通信機が装備されている。光速を越えて通信できる特殊な通信機で太陽系内でも十数か所にしか配置されていない貴重なものだ。とすれば、あのアンドロイドは既に詳細を報告している。ならば香織が為すべきことは一つ。あの少女とアンドロイドからテロリストの眼をそらす事。

 そう悟った香織はマヤに話しかけた。


「質問していいかしら」

「どうぞ。出来る範囲で答えてあげる」

「WFAとは? 私はそのような団体の事を知らない」


 マヤは二本目のタバコに火をつけて煙を吸い、吐き出す。

 タバコの煙に慣れていない香織はむせてしまう。そしてマヤはもう一度煙を吸い込んで吐き出す。そして話し始めた。


「私たちは世界信仰協会という名の活動組織なのよ。宗教ではないわ」

「宗教ではないと。しかし、信仰しているのではないか?」

「確かにそうね。信仰はしてる。でも神は信じていない。だから宗教じゃないの」

「だったら何を信じている?」

「それは自然と宇宙のことわりよ」


 頑なに宗教ではないと言う。しかし、自然信仰も宗教の一形態だ。


「宇宙の理とは何? 人類はその理を解明すべく進歩を続けているのではないのか」

「逆よ。人類は宇宙の理を破壊している。特に肉食。自然界の動物を殺して食う汚らわしい風習」


 香織はその一言で理解した。

 それはヴィーガニズム。完全菜食主義者と呼ばれる人たちだ。全ての動物食を絶つ。そんな思想を持つ人たちがいることは知っている。個人がどういう食生活をしようがそれは個人の自由だろう。

 ヴィーガニズムと動物愛護は密接な関係を持つ。その中には過激な思想を持つ者もいる。過去には捕鯨船を襲う過激団体が存在していた。その思想が先鋭化し牧場経営者や食肉生産業者をも襲うようになった。二十一世紀ごろの話である。

 人間が恣意的に動物を生産するなどあってはならない。繁殖は同族によるレイプそのものだ。ましてや屠殺など持っての外。そんな理屈でテロ攻撃を繰り返した。

 自然環境とは食物連鎖によって成り立っている。いわゆる弱肉強食の世界だ。しかし、人間はその連鎖には加わってはならない。そしてその思想が突き進む方向は人類の生存を許さないと言うものだった。それは同時に科学的進歩を否定した。

 現代では人工的に肉を生産する技術も開発され、動物を殺さずに肉を食べることもできる。しかし、彼らにはそれすら背徳的であった。

 人類の進歩は全て否定する。そんな過激派はいたがWFAとは名乗っていなかった。


「ヴィーガンが何故軌道エレベーターの攻撃をするんだ?」

「私たちは菜食主義者だがヴィーガンじゃない。WFAよ」

「それは初めて聞く名称だ」


 マヤがふーっと煙を吐く。その瞳はどこか遠くを眺めているようだ。


「人は滅びるべきなの」

「そんな思想は受け入れられない」

「現世で滅びても高次元世界に転生するから構わない。そこならば動物を殺さなくてもいいし、私のように障害を持って生まれてくる子供もいない」

「それはどんなカルト宗教なのか?」

「何度も言うが宗教ではない。私達は現実を見つめているだけだ。次元昇華こそが人類の取るべき唯一の道なんだ。私達はその先駆けとなる。旧来の思想に次元昇華という概念を加えて新生したのがWFAなんだ」

「貴方の言う次元昇華って、仏教でいう極楽浄土みたいだな」

「そんなかび臭い教義など知らない。私達は宗教とは違うんだ」


 どこまで行っても平行線をたどる議論。彼女と話し合っても結論が出ることはない。

 さらに議論を続けるにはどういった観点から攻めていくのが良いのか。香織は考えあぐねていた。ある意味カルト宗教の狂信者なのだ。そもそも、論点がかみ合う部分が存在しているのかどうかが怪しい。

その時、マヤのイヤホンセットが鳴った。


「何だ」

「……」

「そうか。わかった。迎えに行かせよう」


 そう言ってにやりと笑うマヤだった。


「人質交換だ。竹内緋色という馬鹿者を迎えに行ってくれ。交換するのはそこに転がっている死体だ。ははは」


 マヤが高らかに笑う。

 竹内緋色。香織を招待したことになっている男。既にここに到着していた。そして香織を迎えるために待機していた。その彼と死体を交換するのだと言う。

 人質交換なら生きている人、子供や女性が先であろうに……。何故このような交渉に応じたのか、香織には信じられなかった。


「私が行くのか?」

「ああお願いするよ。緋色を連れてくるだけでいい。リーベが付き添うが、下手な事をすると殺すよ」

「わかった。それで、アレはどうするんだ。死体は自分で歩かないぞ」

「外の奴らに運ばせるさ」


 笑いながらタバコをふかすマヤ。禁煙が堪えていたのか続けざまに吸っていた。


 香織はエアロックから外を見た。階段状のタラップではなく水平に橋がかけられていた。彼女はリーベを伴い外へと出た。そして橋の中央を歩いていく。幅は2メートル、長さは25メートル程であった。

 そこは宇宙船一隻が丸ごと収まる巨大な駐機エリア。両側の壁には幾層もの旅客用・貨物用のフロアがむき出しとなっていた。空気は充填されており人口重力も十分な値に設定されていた。

 向こう側にSPらしき人物に挟まれた長身の男が立っていた。色白でやや厚ぼったい唇をしている。それが竹内緋色だった。

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