第31話 緋色と雛子
橋の中央まで進んだところで緋色が動揺し始めた。
竹内老人の言ったとおりだ。緋色は香織のファンで奥手で、しかも香織が来ることを知らされていなかった。彼女の姿を確認して本人だと気づき、あたふたしているのが手に取るようにわかった。
「走るが逃げたりはしない。まあ見てろ」
香織はリーベにそう言い放って走り始めた。リーベも走って香織について来ている。そして香織は大胆にも緋色に抱きついた。背伸びをし、緋色の首に手を回して密着する香織。緋色は首まで真っ赤に染まり狼狽えているのだが、二人のSPは涼しい顔で無視していた。
緋色は背が高い。香織は背伸びをして彼にぶら下がるかのように抱きついていた。緋色の耳元で何か小声で語りかけていた。
「分かった?」
「う……ん……」
全身が極度に緊張していたのであろう。緋色はからくり人形のようにぎこちなく頷いた。
「この変態! おっ勃てるな!!」
そう叫んだ香織は、突然緋色の股間に膝蹴りをかました。一瞬浮き上がった緋色は股間を押さえてその場にうずくまり、そして倒れた。真っ赤に染まっていた顔面は蒼白になり、脂汗を流している。
二名いたSP。その体が大きい方が緋色に駆け寄る。もう一人の体が小さい方。香織はそのSPの右手を掴んで叫ぶ。
「あんな変態と行動を共にすることはできない。代わりにこいつを人質にするぞ。死体と交換するんだからこんなのでも構わんだろう」
リーベは苦笑いしている。
「とりあえずは。しかし、竹内緋色に相当する人物と引き換えないと交渉は始まりませんよ」
「心配ない。変態の父か祖父に来るように申し伝えておいた」
「なるほど。それならば、その方が来られるまで船内で待機しましょう」
香織はSPの手を引いて速足で歩き始めた。リーベも速足でついてくる。しかし、香織のペースにはついて行くのがやっとの様子だった。
「そんなに急がなくても」
「いや。あの変態と同じ空気を吸っているだけで吐きそうになる」
「最初は親密にされてましたよね」
「まあそうだけど。私だってこんな事件に巻き込まれて怖かったんだ。あの位は見逃してほしい」
「そのお気持ちは察します」
「それなのに……股間の物を硬くして!」
「あらあら」
リーベは口元を押さえて笑っている。香織はプンプンと怒っている風を装っていたが内心はほくそ笑んでいる。その理由は、飛鳥の胴体下に潜んでいた黒い影を確認したからだ。そして背の低いリーベはそれを確認できていない。
黒い影とはスーパーコメットに搭載してあるパワードスーツ〝ニンジャ〟だった。そして今、香織が手を引いている小柄なSP。それは男性SPとしては細身で小柄と言う意味で、女性であれば陸上選手のようなアスリート体形である。香織はそのSPが誰だかわかっていた。それはビューティーファイブのメンバーである綾川知子だった。
「船内に視覚障害を持つ子供がいます。香織さんはその子の面倒を見てあげてください」
「分かった」
香織が頷いた。そしてリーベに向かって問う。
「その位はかまわないだろう?」
リーベが答える。
「おそらく大丈夫ですよ。ただし、私もご一緒しますけど」
「じゃあ三人で遊ぼうか。しりとりとかで」
「ええ。楽しそうですね」
楽しそうに笑っているリーベ。
その表情を見た香織は、このアンドロイドは子守り用なのではないかと思った。基本的なフォーマットは家庭用で子守り用なのではないかと。
香織たちはエアロックをくぐり船内に戻った。
知子は黒人女性に身体検査され、拳銃と通信機を没収された。そして香織は船室内を見渡す。元々香織たちが座っていたのは左の窓側で最前列、そして例のアンドロイドがいるのは右側で最後列だった。
マヤとリーベが少し話し合っていたがマヤが頷いた。
「香織さん。あの子の相手をしてやって。目が見えないんだってね」
「ありがとう。マヤさん」
「あんたはここに座りな」
SP姿の知子はマヤの傍に座らされた。悪さをしないよう直接見張るつもりらしい。
香織は最後列右側へと移動した。リーベもちゃっかりついて来ている。その時、例のアンドロイドの左目がチカチカと点滅した。ドローンは香織の背に隠れ、背の低いリーベが他の乗客で死角となっている絶妙な位置で送られてきたのだ。それはモールス信号で「YES」であった。立ち上がったアンドロイドは一礼をしてから話し始めた。
「私は視覚支援アンドロイドのマナと申します。申し訳ございませんが節電の為、しばらく休止状態とさせていただきます。私の主人は全盲で、私が機能を休止すると目が見えなくなります。彼女は盲目状態では非常に不安定となります故、どうか支えてくださいますよう願い致します」
そう言ってもう一度礼をするアンドロイドのマナ。
しかし、そこにいた少女はその一言が不満だったようで口を尖がらせている。
「私は平気だって言ったのに。ごめんなさい。私は
そう言って自分の隣の席を指さす。香織とリーベはその席へと座った。窓側からマナ、雛子、香織、リーベの順となった。
「私はリーベ。私もアンドロイドだけどおしゃべりは大好きよ」
「よろしくリーベちゃん。どんな姿かわかんないけど、マナちゃんが復帰したらちゃんと見えるからね。後で記念撮影してね」
「はい。そういたしましょう」
リーベは笑っている。このアンドロイドはやはり子守り用だと香織は確信した。
「私は相生香織です。雛子ちゃんは私の事を知っていますか?」
「相生香織……。まさか、鬼の副長さん?」
「ええそうですよ。その呼び方はあまり好きじゃありませんけど」
「ごめんなさい、気を付けます」
「大丈夫。怒ってなんかいませんから」
香織はそう言って雛子の手を握った。
「あは。あったかい。私、ビューティーファイブの相生副長と手をつないでるんだね。これ、自慢できるよね。ね!」
「そうですね。クラスで自慢できますよ」
そう返事したのはリーベだった。
しかし、雛子は笑いながら涙を流し始めた。
「あれ? おかしいな。嬉しいはずなのに涙が出てきちゃったよ。嘘だ。止まんないよ。どうしてかな?」
雛子は泣き始めた。大粒の涙を流しながら。
「もう大丈夫。私が来たから」
そう言って香織は雛子の肩を抱いた。
「怖かったんだね」
「うん」
雛子はしばらく泣き続けた。
その間、香織は彼女の肩をそっと抱き続けた。
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