第6話 涙の帰還

「ララとエンケラドゥス・アコヤを収容した。スーパーコメットはエンケラドゥス・アコヤの生息環境を準備されたし」

「了解。ララの様子はどうだ?」

「良くない。機能停止している」

「わかった」


 香織と義一郎の秘匿通信だ。

 ララの様子を気遣っているであろう黒子に対し配慮した選択であったが、どのみちバレる。黒子が任務に支障をきたさなければ良いのだがそこは未知数だ。


「帰還だ」

「了解」


 香織の指示に知子が応答する。

 知子の操縦するアースドラゴンはスーパーコメットへ向かって上昇していく。


 再びアースドラゴンはスーパーコメットと合体する。そしてスーパーコメットは重力子反応炉を臨界にして上昇していく。


 エンケラドゥス表面の氷床から海水が噴き出し始めた。最初はスーパーコメットが穿った竪穴から。そしてその周囲の氷床が割れそこからも大量の海水が吹きあがっていく。上空数キロの高さまで吹き上がる天然の大噴水は土星の反射光を浴びて輝いていた。噴きあがった海水は瞬時に氷結する。その幾多の断片が複雑な反射をして輝く様は非常に美しかった。


 エンケラドゥス・アコヤの中からは目的の結晶、即ち、エンケラドゥス・サファイアが発見された。エンケラドゥス・アコヤは大型の水槽の中に収容された。そして、エンケラドス・サファイアは小型の水槽に収められた。


 格納庫では、黒子がララの体を一生懸命タオルで拭いている。


「ララちゃん。目を覚まして」


 自分の目から溢れる涙がララの胸へと落ちていく。


「ごめんねララちゃん。また濡らしちゃった」


 それでもタオルを絞りララの体を拭いている黒子。

 その傍らには香織が立っていた。


「ワープ予定時間を過ぎました。どうしますか?」

「少し待て」


 知子から通信が入る。催促しているのだが香織がそれを制した。そして香織は黒子に語りかける。


「黒子、どうする? このままララと一緒にいるのか?」


 黒子ははっと息をのむ。正気に戻ったようだ。その眼に力が戻ってくる。


「ごめんなさい。ちょっと動転してたみたい。任務に戻ります」

「無理はしなくていいぞ」

「いえ。大丈夫です。ここで凹んでたらララちゃんに笑われます」


 香織は無言で頷く。

 しかし、黒子は名残惜しそうにララを見つめていた。


「気になるのか」

「ええ。やはり気になります」

「だったら私が見ててやる。黒子はブリッジへ戻れ」

「はい。ありがとうございます。香織さん」


 その一言で安心したのか、黒子は笑顔を見せてブリッジへと戻って行った。


「香織です。今、黒子が戻りました。私はこのままエンケラドゥス・アコヤとサファイアを監視します」

「了解。後は任せてくれ」


 義一郎からの返答だった。


「私だってたまにはサボりたいんだぞっと」


 香織が独り言を言う。

 時には職務から開放されるのも気持ちがいい。鬼の副長だって自由になりたい時もある。香織はつくづくそう思う。


 ララをベッドに固定し、自分も備え付けのシートへと座りシートベルトを締める。


「第一ワープ速度まで加速します」

「ブリッジ内対Gフィールド展開」


 香織は壁のパネルを操作した。格納庫内も対Gフィールドが展開しピンク色の力場に覆われる。

 スーパーコメットは猛烈な加速を始めるのだがGは感じない。


 水槽内のエンケラドゥス・アコヤは湧き上がる気泡の中で塩を噴き何度も壁面へ衝突していた。慣れない環境で暴れるのは仕方がない事だろうが、水槽を壊されると代わりがない。


「いい子だから大人しくしてくれ」


 香織が声をかけると、エンケラドゥス・アコヤは不思議と大人しくなった。


「本当に大人しくなったな。私と君は気が合うのかな」


 その一言で上方へ塩を噴く。

 エンケラドゥス・アコヤは香織の言葉、感情を理解しているかのようだ。


「私としばらく話をしようか」


 今度は少し浮き上がって三度回転した。


「ふふふ。可愛い奴だな」


 スーパーコメットは程なくワープ航法へと移行し、そしてワープアウトした。宇宙ステーション大鳳へと帰還するまで、香織はその二枚貝に語り続けていた。


 持ち帰った標本は月面都市アリストテレスへと届けられた。

 エンケラドゥス・アコヤはアリストテレスの地球外生命研究所へと送られ、エンケラドゥス・サファイアはアリストテレス中央病院へと届けられた。

 そしてララは、地球にある緋炭ひすみ博士の工房へと送られた。



「少しお邪魔するよ」


 突然声をかけてきたのは義一郎だった。

 香織は今、大鳳のカフェで月面を眺めながら一人でコーヒーを飲んでいた所だ。


「どうぞ」

「いくつか報告したいことがある」


 そう言って義一郎は香織の正面に座る。そしてアンドロイドのウェイトレスを片手で制して注文が不要だと伝える。


 そんなに自分と同席するのが嫌なのかと香織は呆れてしまう。


「一つは例の結晶だ」


 香織は無言で頷く。


「大木奈々医師から連絡があってね。えっと」


 咄嗟に名前が浮かんでこないようだ。すかさず香織が口を開く。


「真由ちゃん」

「そう。真由ちゃん。エンケラドゥス・サファイアの治療効果は絶大で容体は快方に向かっている。二か月ほどで退院できるそうだ」

「行って良かったでしょう」

「もちろんさ。躊躇していたのが馬鹿らしいよ」


 そう言って笑う義一郎だった。美沙希とも話をしたのだろう。心の底から喜んでいる様子が手に取るようにわかる。


「それから、エンケラドゥス・アコヤは地球外生命研究所に預けられた。この施設もアリストテレスにあるんだ」

「そう」

「何でも、重力環境が地球よりは月の方が良いからという理由らしい」

「そうでしょうね」


 義一郎が浮かれている。

 そんな事は香織にはお見通しであったがおくびにも出さない。


「それから、ララは地球の緋炭博士の元へ送られた。徹底的にメンテナンスするらしい」

「ララちゃんは元通りになるの」

「大丈夫だと言われてた。早めに機能をシャットダウンしたからメモリーに異常はなかったらしい。問題なく復帰出来るそうだ。しかし、メンテナンス期間は概ね6週間らしいよ」

「そう。その話は黒子にしてあげたの」

「あ。いや、まだだ。早く話してあげなきゃな。それと黒子の事だが君の言った通りだったよ。ララが故障しても十分に任務を遂行できた」

「杞憂と言ったでしょ」

「その通りだったよ」


 正直な話、香織もそれが心配であった。しかし、黒子がこんな事でへこたれる筈がないとも思っていた。


「コニーの訓練は?」

「明日からだ。スケジュールはupしてあるので後で確認しておいてくれ」

「わかりました」


 香織はすでにチェック済みだった。

 今、義一郎の語った事項は全て把握していた。それなのに何故自分を捕まえに来たのだろうか。香織は疑問に思う。


 そんな香織の様子を察したのか、義一郎は少し俯き口を開いた。


「今後は交代で休暇を取得してもらう。まずは君に二週間の休暇を取ってもらいたい」


 思ってもみなかった一言だった。

 香織はキッと義一郎を睨んでいた。


「ああ。怒らないで聞いてくれ。君がいつも時間外で雑用をこなしているのはみんな知っているんだよ。だから君が一番最初に長期休暇を取得すべきだと意見が一致したんだ」

「わかりました」


 納得したわけではないが、香織はそう答えた。そして義一郎が続ける。


「あと一つ。総司令のところへ行ってくれ。何か用事があるようだ」

「わかりました」


 その一言を残して席を立つ香織。

 ほっと溜息をつく義一郎の姿を横目で見ながら総司令のオフィスへと向かう。

 二週間の休暇と総司令が言い出し難い何かがある。

 ひょっとしたらそれは見合いとかの馬鹿げた話なのかもしれない。それならば遠慮なくぶん殴ってやる。


 そう心に誓い拳を握りしめる香織だった。


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