第三章 灼熱の水星軌道

第18話 駄洒落倶楽部

「このイクラはお?」

「イクラで鯛が釣れたからってめでわけじゃない!」

「今朝布団が吹っ飛んだ!」

「それは寒い」


 宇宙船の操縦席で交わされるこの会話。駄洒落の応酬である。

 何故、このような場所でこのような会話が交わされているのか。それは多分に、艇長の趣味であった。

 これが高速輸送艇小鳥遊たかなし操縦席での日常だ。艇長の名はマモル・ノーダン・ケイシー。日系アメリカ人で頭頂部の毛髪が薄くなっているのを気にし始めた四十代のオジサンだ。もちろん、腹部も年相応に出っ張っている。そして、舵を握っているパイロットは小柄な女性で、名はコニー・オブライエン。彼女はアメリカ系日本人で金髪碧眼の美少女である。ただし胸元は寂しい。


「しかし艇長。よく船名変更が通りましたね」

「ふふふ。それはだな。コネを最大限に利用したのだ。ふふふ」


 これは、この高速輸送艇の名称をマイルドダンサーから小鳥遊たかなしへと変更できた事に関する話題だ。マモルはこの、日本に存在する洒落の利いた苗字を大変気に入っていたからだ。


「コネって。どんなコネなんですか?」

「おや? コニー君。君は知らなかったのかね? 私の父の兄の妻の弟の従妹がPRA(環太平洋同盟)大統領なのだよ」

「それって殆ど他人じゃないですか」

「それでも一応は親戚だからな。そして私の母の弟の従妹の兄がPRA宇宙軍の総司令なのだ」

「それもほとんど他人ですよ。そんな伝手でよく申請が通ったものですね。マモル・ノーダン艇長」

「ふむ。良い発音だ。ノーザンではなくノーダンと発音するのが私の故郷での習わしなのだよ」

「何処の故郷なんですかね。見た目はまるっきり日本人なんですけど」

「私のルーツは日本だが、故郷は合衆国のオクラホマだ」

「私はオクラホマと言うとオクラホマミキサーを連想しちゃうな。オクラホマの雄大な大地のミキサーってどんだけでっかいミキサーなんだって思うよ」

「ほほう。流石は我が部下。目の付け所がナイスバディだね」

「何がバディ? 腹の出たおっさんが寝言を言ってる」

「体形の事は口に出さない方がいいぞ。コニー・オブライエン君。君のその貧相な胸……ぐは!」


 コニーがマモルの薄くなりかけた頭に鉄拳を食らわせる。因みに、この小鳥遊たかなしの操縦席は自家用車のように並列複座なので、簡単に手が届く。マモルが右、コニーが左に座っている。


「問答無用。セクハラ親父には鉄拳制裁が鉄則です」

「ぼ、暴力には反対する。ところでバディとは相棒の事なんだが……」

「そんな事は知っています。私のルーツはイリノイですけど、日本育ちで英語は不得手ですがそんな意味くらいは知ってます」

「オーケーオーケー。バディ相棒ボディ引っかけてるんだね」

「それを突っ込まないのが約束でしょ? このビア樽親父」

「オーノー。洗濯板にビア樽と言われて……痛いじゃないか」


 再びコニーの鉄拳が炸裂していた。痛い痛いと言いながら、マモルはそのコミュニケーションを心の底から楽しんでいるようだ。


「セクハラは鉄拳制裁だと宣言したばかりです」

「ああ済まない。ここは謝罪するよ。ごめんねコニー」

「わかればよろしい。ふん!」


 相変わらずの会話が続く操縦席だった。この高速輸送艇小鳥遊は、太陽フレアを観測するための衛星を輸送して軌道に乗せるための仕事をしている。

 太陽フレアとは太陽の表面で起きる爆発現象で、各種の電磁波や放射線が発せられ、そして質量放出が起きる。大量の荷電粒子が地球に到達した場合、デリンジャー現象などの通信障害や磁気嵐を発生させる。しかし、それは大気という巨大な盾を持つ地球での話だ。

 宇宙で生活する者にとって、この太陽フレアによる被害は計り知れないものがある。確実に防護措置を取る必要があるのだ。防護されていない領域においては、X線やガンマ線による被ばくでも人が死ぬ場合がある。

 その危険な太陽フレアの発生を予測し、また、発生時にはその向きや到達時間を正確に伝達することが求められる。

 その為の観測衛星、ソーラーウォッチャーを多数水星軌道上に投入することで、より正確な予測と伝達を実現する事ができる。太陽系に住まう者。特に地球軌道より内側で活動する者にとって非常に重要な役割を担っている観測衛星なのである。


「投入予定時刻まで後0100(まるひとまるまる)」

「了解。現在予定航路をトレース中。誤差修正の必要はない」

「いいぞ。そのままだ。耐熱シールドは?」

「作動中。リアクターへとエネルギー還元中」

「オーケーオーケー。順調だね」


 仕事をするときには真面目にする。それがこの小鳥遊のルールだ。一見駄洒落好きの間が抜けた中年親父なのだが、中身は厳格な元軍人であるマモル。駄洒落の応酬以外では極めて真面目で、本当の意味でのセクハラ行為をすることがない。コニーはそんな艇長、マモルの人柄が気に入っていた。自分の父親のような優しさと厳しさを併せ持っていたからだ。彼のその人格は会社内でも評判が良い。あの駄洒落を除いて。しかし、その駄洒落もコニーは気に入っている。周囲の雰囲気を明るくするために、常に頭を回転させているのだろう。常時発揮されるその駄洒落は世界一のしょうもなさだ。しかし、そのおかげで仕事中にコニーが退屈する事は無い。

 マモルに言わせれば、彼の駄洒落にこれほど付き合ってくれる人物はコニーだけらしい。他の社員はマモルの事をかなり敬遠しているのだと言う。主に駄洒落のせいで。


 その時、突然警報が鳴った。AIのワーキングが報告を始めた。


「接近警報デス。相対速度ハ秒速二十四キロメートルデス。距離百キロメートル」


 メインパネルに詳細が表示される。

 そこに映し出されているのは微細な宇宙塵の塊だった。彗星が通過した名残だろうか。小鳥遊のほぼ正面を塞ぐ形で広がっていた。微細な粒子だった為、発見が遅くなったようだ。


「コニー」

「任せて!」


 コニーは手動で回避行動を取る。船体横のスラスターを吹かして軌道を側方へとずらす。


「ダメだ。かわせない」

「衝撃に備えろ!」


 ドカドカと船体に何かがぶつかる音がする。ほんの1~2秒間だが、何かが確実に船体へと命中した。


「ワーキング。状況報告」

「只今確認中デス。船体居住区ニ異常アリマセン」

「うむ」

反応炉リアクターニ数ヵ所直撃ヲ受ケテイマス」

「停止させろ」

「了解……申シ訳アリマセン。リアクターブロックガコマンドヲ受ケ付ケマセン」

「マモル。ヤバイよ。出力上昇中。暴走してるじゃないの」

「ワーキング。どうにかしろ」

「申シ訳アリマセン。リアクターブロックガコマンドヲ受ケ付ケマセン」

「くそ。加速しているじゃないか。コニー! 減速しろ!」

「無理だ。マモル。メインの推進機より推力が大きいスラスターなんて無い」


 マモルとコニーが顔を見合わせる。


「ごめん。さっき咄嗟に舵切ったんだけど……太陽の方向だったよ」

「最悪だ」


 メインの推進機がコントロール不能となった高速輸送艇小鳥遊。その船体は太陽へと向かって加速し続けていた。

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