第一章 冥王星まで飛んじゃうぞ
第3話 カロン観測所
冥王星には五つの衛星がある。大きい方からカロン、ニクス、ヒドラ、ケルベロス、ステュクスである。更に微細な天体も発見されているが、それらは衛星には分類されていない。
冥王星とカロンは地球と月に似た関係だと言われている。それは主星と比較して衛星が大きすぎるという事だ。
冥王星はプルートと呼ばれている。冥府の王の名だ。その衛星であるカロンは、冥府の川アケローンの渡し守カローンにちなんで命名された。今から五百年ほど前、二十世紀の話だ。
ここは冥府の入り口。
生と死の狭間。
太陽系の内は生、外は死。
そういう事なのだろうか。いや、太陽系はもっと広い。冥王星から外側に分布するエッジワース・カイパーベルトまでが狭義の太陽系であろう。
神話と天体を結び付けるのは古来人間の成してきたことである。しかし、それを厳密な整合性でもって解き明かす事は容易ではない。
と言うか、無理なんじゃね?
そんな風に考えている男が一人ここにいる。彼は観測所に空いた穴を必死に塞ぐ作業をしていた。
「明継、修理はできそうか?」
「ああ、穴は樹脂で固めたから空気の流出は止まった」
「良かった……」
「良くない。穴は塞いだが酸素発生装置が故障しているんだ。計算上残量は三時間分しかない」
「冥王星からの救助は?」
「既に発進したらしいが到着は六時間後になる」
「救助が来る前に俺たちはオダブツだな……」
カロンに設置された観測所は有人だった。ここに配置されているのは
何故このような、辺鄙な場所に有人観測所があるのか。理由はいくつかある。
太陽から非常に遠いため、天体観測に於いてより精密なデータが得られる。そして冥王星と連携することにより、対象の位置データが容易に取得できる。太陽系近隣の天体であればその角度の差から割り出せるのだ。
太陽系から最も近い恒星はプロキシマケンタウリである。地球とそのプロキシマケンタウリとの間に三つの自由浮遊惑星を発見できた。近い将来、プロキシマケンタウリまで到達すべく調査宇宙船が派遣される計画がある。その際の灯台役として、この自由浮遊惑星は重要な役割を果たすだろう。これはこの観測所の勲章と言ってよい実績である。地球からでは到底発見できなかった天体なのだ。
他にも彗星や小惑星の観測も怠ることができない項目だ。
今や人類は太陽系全体に進出している。宇宙船やステーション、コロニー等は、地球のように大気に守られてはいない。微細な天体でも衝突すれば致命的な損傷を受ける事になる。また、サイズの大きい天体が地球やそのほかの惑星などに衝突すれば大災害となる。そんな可能性があるのかどうか調査することも重要だ。
彼ら二人の観測員は、自分たちが太陽系の安全を支えているとの自覚があった。それ故、この観測所を維持し観測を続けることに情熱をかけて取り組んでいた。
「諦めるなよ。俺は絶対諦めないからな」
春彦が情熱的に語る。
「そうだけど、俺達だけで何とかなる状況じゃないだろう」
明継の方は落胆した表情で首を振っている。
「確かに。救助を待つしかない」
はあ、とため息をつき、明継が床に座り込んだ。
「冥王星からの救助は六時間かかる。地球からなら一ヶ月だよ。光速を超えるような宇宙船じゃないと絶対に間に合わない」
「確かに……そうだな」
熱く語る春彦に対し、明継は意気消沈している。春彦がさらに続ける。
「地球で唯一光速を超える宇宙船がある」
「そうだ。スーパーコメット号だ」
「そのスーパーコメット号で光速を突破し、救助活動をするレスキューチームの名は」
「ビューティーファイブだ。よく知ってる」
「しかし、今はリーダーが産休に入って活動休止中だ」
「……面目ない」
明継は床に正座して小さくなっている。彼がビューティーファイブのリーダー、
「お前がちゃんと避妊しないからだろ」
春彦が明継を責める。春彦は太陽系開発機構一と言ってよいイケメンなのだ。女性に不自由しないであろう春彦であるが、明らかに、明継に嫉妬している。
明継はビューティーファイブのリーダーと恋に落ちた。それは全ての男性から嫉妬されて当然の事なのだ。
「籍を入れたから」
「それで責任を取ったつもりか?」
「個人的には責任を取っている」
「現実にビューティーファイブが動けない状況を作ったのはお前だ!」
「……そんなに俺を責めるなよ。春彦。避妊しなかったのは不注意だったが、それは美沙希さんと合意の上だったんだ。ビューティーファイブが出動できない理由を、俺個人の責任にされても困る」
「こんな時にのろけるな。流石にムカつく」
「すまない」
春彦の容赦ない責めに小さくなって俯く明継だった。
「何でメンバーのバックアップがいないんだかな」
嫉妬に任せて相手を責める事に抵抗感があったのか。春彦はその鉾を収めた。それに乗じて明継が反撃を始めた。
「確かにそうだが、俺はお前の女癖の悪さもこの事故に関係していると思うぞ」
「どういう意味だよ」
「まずお前が何でここにいるかだ。女から逃げる為だろ。モテるからって複数の女と付き合ってさ」
「そう言われてもな。お前宛ての脅迫メールも凄かったんだぞ」
「脅迫メールなんざ無視してりゃいいんだよ。ガソリン撒いて火をつけるって脅されてもな。ここまでどうやって来るつもりだって話だ」
「そうだな」
「納得してんじゃねえよ。ここにわら人形が何個送られてきたか知ってるか」
「数えてない」
「百八個だ。ついでに不幸の手紙は千二百通。再生する機器がないのに怪しいVHSテープが届いたし、カセットテープやフロッピーディスクもある。俺は8インチのフロッピーディスクなんざここで初めて見たよ。画像で大昔のデータを検索して、それがフロッピーディスクだと知ったくらいだよ」
「あれは予想外だったな」
「極めつけは酸素ボンベの中に入っていた魔術書だ。二十四冊」
「今時、紙の本ってのも珍しいよな」
「確かに……じゃねえよ春彦。おまえ、どんな地雷を踏んだんだよ」
「悪かった明継。興奮するなよ。酸素の消費が多くなる」
「ああ済まない。ちょっと興奮しちまった。喧嘩するなら生き延びてからだ」
興奮状態だった二人は冷静さを取り戻した。お互いが深呼吸をして見つめ合っている。
「なあ、明継。一人だけなら確実に助かる方法がある」
「そんなのあるわけないだろ?」
「いや、あるさ」
「まさか?」
「二人いるから酸素も二人分必要だ。一人なら半分で済む。つまり生き延びられる時間は二倍になる」
「春彦。お前まさか」
「そのまさかさ」
節電の為、薄暗い照明の観測所内で見つめ合う二人。春彦はポケットからナイフを取り出した。そのナイフを明継へ向ける。孤立した絶望の空間の中で、更に絶望を味わう明継。既に二人とも正気ではいられなかった。
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