第2話 冒涜の化身 中編

 「最後に――21号室には何が?」


店主代理はその言葉を聞くと、途端に顔を曇らせ、きまりが悪そうに黙り込んだ。


その行動は、俺に一時の強い嫌悪感を抱かせた。


瞬く間に現れる黒い光の予感――額や胸にあなを空けるあの銃弾の存在感が、俺の神経を過敏な程に尖らせた。


ガンホルスターから直ぐに銃を抜けるよう、外套コートのボタンは開けたままで――両手は下に垂らす。


此処モーテルの大体の間取つくりも、それを踏まえた脱出経路も既に脳裏に有る。自車の位置も変わらず、外の様子も雨脚が強まったこと以外は、特段変わりない。


……店主代理の両手もカウンターの上、見える位置に在る。


『カウンター下にショットガンを隠していないのか? この御時世に、なんとも珍しい……間抜けか腰抜けか、将又はたまた用心棒仲間」でも居るのか……』


思考は今も延々と巡らせている。最悪の可能性から、更に最悪な可能性まで、ありとあらゆる可能性を、現時点で得られている情報から引き出している。


然し――これならいざという時、最低限の対応は出来るだろうと思われた。



 店主代理は黙考を終えて、また一度ひとたび、間を置いてから話を始めた。


「……い、いえ。ただの改装工事ですよ。1号室から順番に改装工事をしている最中なのです。今は21号室の番でして……」


『――嘘だ。』


明からさまに嘘――直感的に判断する。


俺の直感には多少の経験から来る一定の信頼度があり、尚且つ、店主代理特有の人間的脆弱性が、そのを更に強めていた。


根拠は勿論ないのだが、今迄の踏んできた場数と、見破った嘘の数が、その“信頼性“の根源ともなっている。実際、俺はコイツに幾度いくども助けられた。馬鹿には出来ない。


とはいえ、信じ過ぎるのも良くない。所詮しょせん。それが大前提だ。


無論、その真偽の為に無駄に労力を費やし、店長代理を詰問きつもんする必要も無い。


彼が彼方側の人間である可能性に比例して、リスクもまた高い。一人で情報を掻き集めた方が信頼できるだろう。それに、この男なら少し泳がせれば何か話すかもしれない。ここは無難に立ち回る必要があった。



 その思考に至る頃、店主は嘘くさい話を途端に切り上げ、その足りない頭でまた暫し黙考した。そして、愚者にしては珍しく、鋭い質問を投げ掛けてきた。


「――もしかして貴方……警察の方ですか?」


か……然し、ということは、何かやましいことがあるとう事だろう? 「使用不可の21号室」と、「今は居ない店長」に何かがある――』


俺はようやく、第一段階を踏んだ。


『曖昧且つ証拠無しの「ヒント」を得る』という、霧よりも淡い第一段階だ。



 あやふやな第一段階を――然し、にしたいを、屈託のない表情を創り上げ……当然のように、うそいた。


「――何? いや、違うよ。私はフリーの記者だ。気になる点があると直ぐに調べてしまう悪癖があってね……話したくないようなら構わない。外聞がいぶんもあるだろう?」


「なるほど、『記者』ですか……それでは、この話は控えさせて頂いても?」


――当たりだ。先程よりはマシな


「あぁ。勿論、構わない。ここら辺でも、事件が多発していて……特に、そういう騒動に巻き込まれたくない人々が行き場を求めている。ここも、その一つだろう。悪い噂は無い方が良い――にね。」


「はは……そうですね。そうして頂けると助かります。」


「あぁ、それとコレを……私の名刺だ。勤めていた会社を辞めてひさしいが、仕事はまだ少ない。御贔屓ごひいきに頼むよ。


――最後にもう一つ。友人のことは構わないでくれ。後日、此方で勝手に済ませるよ。」


俺はそうして偽物の名刺を渡した。連絡先は、外套の内ポケットに在る専用端末に繋がっている。


いざという時は、設定されたデータだけを即座に取り出し、デバイスは捨てられる様に簡易改造も施している。



 「……分かりました。」


怪しい男から放たれた信憑性の低い台詞に、店主代理は社交辞令を返して名刺に目を通す。


瞬間――盗聴器を客側のカウンター裏に付け、また薄ら笑いの皮を被る。他人ヒトに知られたら「手癖が悪い」、「趣味が悪い」等と罵言ばげんこうむるだろうが、此れもまただ。


この仕事は他人を殺す為に、他人の人生をにじる――そんな粗末な仕事。外道を追う為に、外道を驀地まっしぐらに進む仕事だ。


元より、俺は褒められた人間じゃない。ルミノール検査でもしてくれれば、人血塗じんけつまみれな人生が蒼白く露わになる。


そして、その『経歴蒼白』を上書きする程に、俺は人として破綻していく――現に、俺は何時いつ正気を失ってもおかしくない程に、善悪正邪の判別が付かなくなっている。


故に此れもまた、執行人殺しと同様になのだ。



 「では私はこのへんで、おいとまさせて頂こう……妻を待たせているのでね。」


去り際に、また一つ嘘を言い放ち。俺はそそくさとモーテルを去った。


そして、モーテル側からは見え難いであろう、ほぼ裏路地とも謂える路肩に、寄せ停めていた車に乗り込み。盗聴器から送られる音を聴きながら、暫くの時間を過ごした。



 若干だが、怪しまれている今――21号室に直ぐ向かったのなら、さっきいた嘘どころか、本当の身分、本当の目的すらも明かされる可能性が高い。


最悪の場合。ターゲットにも逃げられ、情報や証拠すらも取り逃がす事にもなりかねない。それどころか、己の安全の確保すらも難しくなる。


『焦りは禁物。』


自分自身にそう言い聞かせ。ノイズ混じりの電子音と、依然として変わらない雨音を聴いていた。



 暫くして――。


明かりの灯った客室は1〜3部屋程度となり、時計は2時半を指している。


店主代理は既にカウンター近くの休憩室に入ったようで、扉を閉めた音の後、代理のいびきが受信器から流れ出していた。


それから俺は、音と灯りからタイミングを見計らい。駐車場側の外階段を昇り、2階に在る21号室へ足を運んだ。


『店主代理のいびきうるさいた程に大きくて助かった。そうでなければ今頃、大事をとって暫く様子を見ようと暇を潰していたところだ。』


雨はさほど強くなかったが、風は若干荒れ気味になっていて、雨粒は外廊下にまで侵入していた。


隙間雨を吸った外套下の襟が首元を撫でる様に冷やす感覚と雨にさらされ重くなったボトムが、嫌悪感と厭世観を煽る。


堪え性の無さを自覚しながら、されど抑えられない不平不満を頭中に叱言として落とし。俺は外套の内ポケットからペンライトを取り出し、点け、21号室の白い扉を静かに開けた。



 『……カビ臭いな。』


雨漏りしているのか、部屋の中は湿っぽく、陰っていて、ネズミムシの住処になっているようだった。


壁の所々に、穴やくぼみが出来ており、窓ガラスも割れ、古木で雑に塞がれていた。


塞がれた窓の隙間からは、外の音と光が漏れ出し。高度成長期真っ只中のネオン街に蠢く魑魅魍魎ちみもうりょうたぐいが、その存在を信号の様に点滅させ、淀んだ栄華をすすっているように視える。


また、夜市では。栄華の終焉をほのかに匂わせる、あやしげなボロ布を被った人々が、隙間だらけの雨避け合成樹脂シートの下で賑わっているのが、遠目に判った。


『嫌な時代に産まれたモンだ。人が人じゃない様に見える程、雑多で不気味。不可思議で不条理な街――』


あの中の何割が、他人の死体を踏んで生き延びた?


――ぐらついた感情が脳裏に響く。考えても仕方がない。然し、考えずにはいられない。


『無駄なこと。』


それでも諦め切れずにいる。あれから俺は、何も変わらず。馬鹿者のままだ。


『全く、俺は……かく夜市あそこならいざという時、人混みに紛れて逃げられるだろう。』


外景を眺めながらそんな風に思索していると、ふと外から光線が射し、部屋の壁を照らした。



 そこには、大きめの目新しいポスターが貼られていた――厳密には『が、そこに貼られていた』のだ。


こんなボロボロで埃塗ほこりまみれの部屋の中で、そのポスターは明らかに埃が少なく、違和感があった。


は古いが……明らかに、最近貼られたものだ。ポスターの埃と壁の埃、兼ね合いが取れていない……』


俺はそれが、何かを覆い隠そうとしているのだと直感し、ポスターを剥がした。


すると其処そこには、壁の中にめり込む様に出来た銃痕。加えて、古い血痕の様な赤茶の染みが有った。


ある意味、予想通りだと謂えよう。



 然し、痕跡を見つけた悦びより、車での待機時間と雨に奪われた体温により、俺の気分はすっかり憂鬱になり。「些か気分も良くなった」とは言えない状態だった。


『やはり、此処に犯人ヤツが居たのだ――然し、どうしたものか。銃痕は弾道が分からない程に荒く、深く。銃弾も取り出せそうにない。口径と旋条痕しじょうこんからの武器特定には、少しばかし時間がかかるな。』


俺は銃痕から銃弾の種類を特定する為、簡易鑑識デバイスで銃痕を多方向からスキャンし、それから端末のカメラ機能で証拠写真を何枚か撮った。


最後の仕上げとして、見逃しが無いか再度部屋を調べていた時――突如、足音が一つ。


雨音と共に外廊下から流れ、部屋の前で音を消した。



 ふと、寒気を覚える。


部屋が冷え込んだか、血の気が引いたか……いや、違う。気のせいでも、ない。


これは久しく迎えていなかった、きょかれたという「事実」による悪寒だ――。


黒い光の予感が、遂に的中した。


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