第2話 冒涜の化身 後編

 吹き荒れる風の下。雨音もまた、緩急烈しく、万物を揺らめかせる。


だが、足音には一切無く、重低音が、れど小さく鳴っていた。


それは当人相手の体躯の良さと、足音を抑える術を知っているという意味を、俺にかざした。


実際には、たった数歩分ほどの足音しか聞こえなかったが――いや、だからこそ異様ソレ擡頭たいとうしたのだろう。


足音は淡々と、あたかもメトロノームのように正確で、不気味さを更に高めていた。



 特に。俺は仕事柄、他人の足音に耳を澄ませ、その位置を把握した上で行動する機会が多い。そして、その人間の個性というものは足音・歩き方にも出る。


故に、慣れと環境次第では、足音だけで標的を聞き分けられ、それ確かな戦術的優位性にもなり得る。


然し、今はどうだ――?


今迄の経験からして、こんな初めてだ。確かに、最新の義足だとか、俺が耳を過信しているだとか、そんな理由もあり得るだろう。然し、最新の筋電義足だとしてもここまで正確な動きではなく、もっと判り易く、ぎこちないものになる。


その上、足音はで聞こえたのだ。疑いようがなかった。


故に、俺はその正体に若干のおそれをいだくまでに至っていた。


『人間らしからぬ動きだ。正に「人間離れ」している。』


それは当然、俺のかんさわり。刹那に、一種の勘を覚まさせた。


『――まさか、奴が実行犯か?』



 ホルスターに入れていた銃を静かに取り出し、部屋の隅に隠れる。


『鬼が出るか、蛇が出るか……分かったもんじゃないな。ここは一時退却……いや、それこそ相手の思う壺かもしれない。


相手が一人だと決まった訳じゃない。此方は、奴等が何人で編成されているのかも、未だ把握していないんだ。


だが――ここに犯人が来たという事になれば、この部屋を調べた意味も有るという事になる。


それにまだ、悪ガキやホームレスのようなロクでなしが来た可能性も少しばかし在る。ここは様子見だ。』


ズボンのポケットに入れていた盗聴器の受信機と、ワイヤレス接続されている左耳のイヤホンからは、相も変わらず店主の間抜けないびきが流れている。


それにより、外に居る人物が店主ではない事は既に明らかにされていた。



 勘が鈍ったか、雨の所為せいか。将又はたまた、相手の技量故か。反応が遅れたのは、かなりの痛手だった。


――足音の主は何の躊躇ためらいも無く。ドアノブを手をかけ、扉を開ける。


『行動に迷いが無い……余程の自信があるらしい。』


錆び付いたドアは、金切り声の様な怪音を時折出してゆっくりと開き、部屋の静寂をたおして生々しょうじょうとこだました。


それから直ぐに、テンポの変わらない鈍重どんじゅうな足音が、外冷気と共に古木ふるききしませながら、進み。俺の居る寝室へと、ゆっくり向かってくる。


『やはり相手は相当、体躯たいくの大きい奴だ。俺の時は何とも言わなかった古木の床が、足音と共に鳴いている。』


相手の状態を推量し、今か今かと相手を待ち伏せていると――音が、突如として止んだ。



 『寝室への通り道は一つだけ――だが、まだヤツの姿は見えない。一体、何処へ行った? 向こうも待ち伏せか? かく、ここで飛び出すのは危険だ。誘き出そうとしているのかもしれない。』


部屋には緊迫した空気が漂い、また静寂が部屋を覆う。途端の緊張感で、身体の感覚が鈍っているかのように感じる。


押し寄せる焦燥しょうそう怠惰たいだ鬼胎きたいに、胸が冷たくなる。


――妙に、静かだ。



 空気が止まった様な静寂を口火くちびに、刹那――背後に在った壁のから、俺の顔程もある大きなてのひらが飛び出し、およそ人間とは思えない程の力で、俺を引きり込んだ。


仕切りの内壁も、確かに湿気しっけた古木で如何にももろく。穴も幾つか有ったが、それでも最低限の壁としての役割は果たせていた筈だ。


然し、掌はそれすらも関係なしに壁を突き破り、ついとも容易く俺の身体を引き摺り込んだのだ。


静寂を破り捨てるように突如現れた轟音。併せて、俺の身体は軽々とられ、壁の向こうに在る風呂場に着き。そのまま壁に叩きつけられた。


「ぐっ!」


不意の鈍痛と、曳き摺り込まれた際に破壊された水道管から漏れ出す水と、壊された電線に、息苦しさが増していき、比例して混乱も酷くなっていった。


『敵は? 何処だ?!』


――ボヤけた視界で、ようやく大男を見つける。そして咄嗟に、握っていた銃を向け、発砲。


だが男は素早く、撃発する寸前に手首を力強く掴み、射線を逸らした。


その反応速度は、まるで予測していたかの様な動き――いや、それだけでは説明が付かない程の速さと正確さで、俺はこれまでにないくらい圧倒されていた。


それは正に人間離れしていて、この事件の最初の被害者である同業者を殺したのは、此奴こいつなのではないかと推察させるに至らせるものだった。


「お前は一体……!」


俺が犯人の顔の方に目を向け、視界が明瞭になると、その顔には機械が埋め込まれているのが見えた――いや、顔だけじゃない。


全身に埋め込まれている――厳密には。奴の着ているボロ切れのような黒衣の下に、その異形が垣間見えた。


命の愚弄もいとわない、人道にもとる所業。一部は完全に機械化されていて、人の面影は殆ど残っていない。


それどころか、と思わしきからだもバラバラだ。人間の肉を継ぎ接ぎして造られたようで、肌の色が滅茶苦茶に……腐臭も若干漂っていた。


正に異質――技術の進歩が産んだ、倫理観無しに造られた「怪物」だった。


「人じゃない――?」



 そう認識してから、時を移さずに打ち付けられる鈍痛。奴はその鉄腕で、俺の躰何度も殴り付けた。拳は確実に、人を殺せる程の力量を持ち。徐々に、しかし着実に、俺を死へと追いやっていた。


鉄腕の男。その腰に着いているれたガンベルトには、ありきたりな自動拳銃が備えられていた。だが男は、それを使う素振りはおろか。その存在すらも忘れているのではと思う程に、気にも留めず。一心不乱に拳を振るう。


『銃を使うまでもない……ってのか?』


事実。身体的に、俺がかなっている能力は一つも無いように思われた。



 骨には、ヒビが入ったのでは無いかと思うぐらい鈍痛が奔り続け。掴まれたままの右手にはもう力が入らず、握っていた銃も最早もはや指に引っ掛かっているだけという始末状態だった。


一方、自由の利く左手も、奴の拳を抑えるには至らない無力さで。打ち付けられる鉄腕から、身を守る為の緩衝剤にすらならない。


暫く俺は、成す術無く殴られ続け。意識を失いかけた。すると今度は、その水浸しになった風呂場の床に、途轍とてつもない怪力で俺を押し付け、無理矢理意識を引き戻したのだ。


「起きロ――」


怪物は片言で、低くしわがれた声を発しながら、無慈悲に俺の首を掴み上げる。


「ぐっ……がぁ!」


息が出来ない、意識が再度薄れゆく。だが、。銃を向けただけでは


打開策は手中に在るもので講ずるものだ――


『だが……此れでのか?』


逡巡しゅんじゅんする程の余裕も残されてはいなかった。



 俺は右手に力を込め、引っ掛かっていた銃を何とか持ち直し、奴に向けて撃った。だが奴は先程と同様に、手首を強く掴み、射線を逸らす。


「意外と……単調ワンパターンだな?」


「……?」


剛力で抑え掴まれたままの右手首を、皮膚をるようにして曲げ。奴の腰に在った銃を撃ち抜く。


奴は其れに気を取られ、一瞬――コンマ数秒とすらいかない程の刹那に、反応を鈍らせ――ようやく、すきしょうじた。


『――今しかない。』


かさず、腰の後ろに隠していたを左手で持ち、奴の目に目掛けて撃つ。


――左腕が、その腕に着けられた外骨格と共に、軋みながら跳ね上がる。


大男は、吹き飛びそうなぐらいに首を後ろへかしげる。それを視て緊張がほぐれたのか、痛めたからだほとぼりが、一瞬にして発散されるのを感じ。途端に冷雨の名残りが際立ち、傷口を冷やし、痛みを引き立たせた。



 この銃は本来、対物用だった。つまりは、人に撃つような代物ではなかったのだ。


防弾性の向上もまた、著しいこの時代。標的の乗った車の防弾ガラスや、防弾タイヤを破壊する等、様々な場面でより破壊力のある銃が必要になり。知り合いに造ってもらった代物だ。


そんな銃の衝撃を正面から受け止めた奴は、途端にこうべを垂れ、力を抜かし、うつぶせに倒れ込んだ。


着弾と共に意識は飛び、脳漿のうしょうは滅茶苦茶に混ぜられ、周りに有った筈の肉は蛆虫形の肉塊になる。


死――人間なら当然だ。


それが「人間」ならば――。



 然し奴は、何ともなさそうな顔で此方を向き直し、その死を容易たやすく打ち砕いた。


『有り得ない――』


頭部の損傷ははげしく。常人なら、先ず生きていないであろう出血量と、傷口――というより、「あな」が――俺の軋んだからだ融通ゆうずうを奪い。だらりとぶら下がった左腕を、震わせた。


恐怖に呑まれた感情の中、僅かに残った理性が自我を呼び覚まし。連れて感情が――思いのままに、恐怖の儘に、銃を撃ち続けた。


頭部に3発――特注の55口径を無闇に撃ち込み。ようやく奴は倒れた。



 少しして、自分のからだを抑え付けていた奴の腕を払い除け。息を整えていた時――奴のからだが再度立ち上がろうとうごめいているのが、見受けられた。


それは終わらない悪夢のように色濃く。満身創痍であった自分に、鋭い恐怖心を突き刺した。


また直ぐに銃を構え――今度は虚飾だけの理性をもって――奴の背中。心臓辺りに狙いを付けて、残弾3発全てを撃ち込み。


耳をつんざく弾切れ音と共に、不死身かと思われた怪物は、遂に――死んだ。



 「ゲホッゴホッ……一体何だったんだ。」


血反吐を吐きながらも、何とか立ち直り。倒れ込んだ奴を見下す。すると、うしくび――頸髄けいずいのところに、『傷痕』があるのが見て取れた。


傷痕は新しく。手術痕のように綺麗で、人為的に付けられたものであると直ぐに判った。


『傷痕。手術痕にも見える……コイツと技術者の正体を暴く「鍵」になるかもしれない。』


そう考えた俺はナイフを取り出し、その傷痕を慎重に開いた。すると何やら電子基板の様な物の中に、見たこともない『ICチップ』の様な物を見つけた。



 そうして物体を取り出し、紛失防止用の衝撃緩衝剤入り携帯型証拠品入れに仕舞った――その時。


耳をつんざく様なサイレンが雨中から聞こえた。これは……警察のサイレンだ。


まずいな。」


俺は手に持っていたそれを外套下に着ていたジャケット――その内ポケットに入れ、夜市の方へと逃げ走った。



 本来ならば、逃げる必要はないが今回は異例だった。


通常ならば、調査中の事件と照合し、即時死刑執行権が適用されるか否かを判別した後、処理される程度で済む。手続きは面倒だが、今の状況よりかはマシだろう。


然し現在では、殆どの警察機関に政治家の手が入り、最早もはや、「政治家のお抱え」とすら謂える状態だ。


そして犯人と繋がりのある政治家――その息がかかった悪徳警官を、既に焚き付けられている可能性が大いにあったのだ。


そうなれば、最後。俺は『銃を持った凶悪犯』扱いされ、射殺されることだろう。


『これからは頻繁に、このような事態に陥るかもしれない。』


今回の仕事は、なるべく少数精鋭で、つ秘密裏に進めなければならないようだ。一人の方が気楽だが……今回は運が良かっただけだろう。対策を練るべきか……


俺を襲った奴も、技術者の仲間か何かに違いない。


然しあの動き……ぎこちなく、まだ慣れていない様子だった。一体何故あんな奴が――のだろうか。


『禁忌を犯した人間……“冒涜の化身“か。』



 俺はサイレン音が迫る雨の中――雨粒に乱反射するネオンと、ひしめく人混みを掻き分けながら、水気を吸って徐々に重くなる躰を起こし、自宅へと逃げ帰った。

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