第3話 釈然とかけ離れた日 前編

 人混みを分けながらネオン街を駆け抜け、追手サイレンを撒き。然し、尾行の有無に細心の注意を払う。


そして光からも逃げる様に、真っ暗な路地裏を抜けて、ようやく俺は帰路に着くことが出来た。



 人の気配も感じられないほど古びている。八階建ての無秩序建設アナーキーテクチャーマンション――それが、今の俺の住処すみかだ。


元々、此処は廃墟以外には何も無かったゴーストタウンだった。しかし、高度成長期の訪れで都市開発が起こり、居住区へと変貌したのだ。


もっとも、始めの方は酷く――


スプロール現象の先触れとも謂えてしまうような、無人都市が出来上がっていた。


それも無理はないだろう。


元々はゴーストタウン――居るのは、ホームレスやアウトサイダーの様なろくでなし。夜を歩けば、朝には死んでいるとも言われる程、危険な場所だったのだ。


誰がこのんでそんな場所に住み着こうとするか……だが現に、この居住区は利用されている。


その要因は当然、人口爆発だが……それだけではない。


もう一つの要因は、同害復讐法Lex Talionisの施行による、即時死刑執行権の現れ――それに恐れをなした、罪人達の集団隠居。加えて、隣国の不穏な情勢による移民の増加だった。


故に此処は、咎人とがにんと社会的弱者の巣窟となり――月光も届かせない人工灯と、空中に鎮座する飛行車専用仮想道路VPR.f.Fcに覆われた、聯邦の深層とされた。



 古いマンションの入口。背の高い、両開きの明かり窓付き木扉を開け、「KEEPOUT立ち入り禁止」と書かかれた古いテープを踏み、中に入る。


音の鳴る古めかしい木造階段を上り、外套コートに着いた水滴を手で軽く払うと、気休め程度に周囲を確認。


そして、外套の内ポケットからカードキー取り出し、ドア横のカードリーダーに読み込ませる。時を移さず。カードリーダーの判定灯が、赤から緑に変わる。


俺はそれを、隅のぼやけた視界で確認し、所々塗装が剥がれ落ちている金属製の扉を開け、暗闇に足を踏み入れた。



 人感センサーが反応し、心許こころもとないあかりが、ほんのりと辺りを照らす。


外套に纏わり付いた水滴が、光をげる。雨の中に長時間居たお陰で、服は水気を帯び、身体はすっかり冷えきっていた。


「先ずは、身体を暖めよう」と、普段ならば考えていただろう。


然し、その時の俺には、其のような日常的感情よりも、より強く純粋な一つの感情が頭中を支配していたのだ。


久し振りに味わった、あの血生臭い命の駆け引き――暗殺のような、一方的にほふって終わりという単純作業では得ることの出来ない生理的感情。


『恐怖』――それが俺の意識を堕落的悪夢から、非人道的現実へと引き戻したのだ。


それは一見、なんてこともない変化に思えるだろうが、精神にはかなりの負荷だったのか、俺の身心は共に疲弊し切っていた。


玄関の自動ロックがかけられる音を聞き流し、少しばかり立ったままで目をつむり……息を整える。



 数十秒もしないうちに、睡魔の息遣いが聞こえてくる。それを拍子に、目を開き、動きだす。


玄関近くのコート掛けに外套とホルスターを掛け、外套の内側に着込んでいた普段着用ジャケットを、洗濯機に投げ入れ、浴室へ入る。


次にシャワーユニットへ入り、スイッチを押し、熱いシャワーを浴びる。すると、たちまち冷え切ったからだが、徐々にシャワーの温度に慣れていくのを感じる――と同時に、少しながら安堵する。


温度差で、始めは熱水にも感じられたソレは、徐々に温水へと成し、痛みを和ませ、ない水音は外界の異音を掻き消してくれた。


然し。それでも、胸中には憂鬱が残ったままだった。シャワーを浴びている最中も、脳裏には常に今日の出来事がぎっていたのだ。



 シャワーを止める。


浴室の小窓からはすっかり聴き慣れた、けたたましいサイレンの音と、未だ止まない『ぽつぽつ』という雨音が聞こえ。


ささやかであった憂鬱の残滓ざんしを、胸中でほのかに膨らませた。



 この仕事は基本、他人の命を狙う傾向にあるが、同時に命を狙われる危険性も伴っている。故に、常に万策を講じ、用意周到且つ臨機応変に行動する必要がある。というのが、俺の考えだった。


その考えは昔から、一切変わっていない。


俺は30で一度この仕事を離れ、去年復帰し、今年で34になる。この仕事で、ここまで長い空白期間ブランクは致命的と謂えた。


。というか、他人から恨みを買う事という理由ワケもあり。


の間すら、日々トレーニングに勤しみ、体力維持に努め、何かの拍子に命を落とすというヘマをしない様に心掛けていた。今思えば、これも職業病と謂えるだろう。


しかし、今日――。


その努力は、無駄だったのかもしれないと、悟ることになった。


それは、あの壁――「21号室」の壁。朽木の様にボロボロとほころび、崩れ、腐っていくのが判った。怪物が相手とはいえ、俺は衰えを確かに感じていたのだ。


其れはブランク云々うんぬんではなく、より明瞭で、を指し示すものだった。



 一度も浴槽として使われず、クッションだらけの小汚い寝具と成り果てた物。


その近く――壁に設置された小さなモニターには、玄関外にある薄暗い廊下、窓の外のネオン、リビングにあるソファー等。様々な箇所に設置された監視カメラから、暗く、淡く、冷たい映像が、延々と映し流され、未来おのれへの憂虞を煽る。


普通の生活を送っている人間からすれば、ただの行き過ぎた防犯で済まされてしまう其れ等は、しかし、俺にとっては命綱も同然だった。


この代わり映えの無い映像は、『平生へいぜい』を意味し――つまり自身が生きている『証明エビデンス』の役割を担っているのだ。


家まで尾行されていない証明。誰にも家が特定されていない証明。俺が存在している――生きている証明。


だからこそ、この代わり映えの無い映像が『変わる』時、殆どの場合で其れは『死』を意味する。



 だが、それは所詮しょせんただの自己満足や気休めでしかなく。


一人の人間では、もうどうしようもない――“運命“には、きっと誰も逆らえないのだ。アダムとイヴから受け継いだ原罪肉体から逃れた者が居ない様に、それは人類に等しく与えられた“呪い“なのだ。



 その様な価値観を持っているにも関わらず、今迄割り切れていなかった自分が確かに――脳裏に巣食っていた。それは、不定期に現実にあらわになり、自分の脆弱性をこれでもかと再認識させる。


然し、皮肉にも今日の出来事から『俺は精々、生にしがみ付く事しか出来ない人種』だと謂う事を確かに理解してしまったのだ――だが、ここでその事に気付けたのは幸運だったのかもしれない。



 幸い、自身が脆弱だと気付く前から、生き残る工夫はしていた。


銃は常に手元。


『寝床は』でベットには『デコイ』。


住所を明かさない為に、誰かを家に案内する様な行動は取らず。配達物はに。


飯は客の多い露店で済ますか自炊――などと、この都市で生き残る為に、様々な条件下で日々を過ごす。



 この家もその“工夫点“の一つだった。


元々この家は、仕事用に貸し出された家で、当時は既に使われていなかった。


そして、モーテル暮らしの日々に限界を感じていた俺は、其れを知るやいなや、署長を説得し、部屋の改造許可を得て、住むことにしたのだ。



 仮に、この犯罪都市と成る寸前の都市で普通の家を借りた場合。


統合管理された識別番号ナンバーから個人情報が抜き出され、家や人間関係までもが丸見えに。最後には、寝首を搔かられる危険性も、付き纏う羽目になる。


しかし、その危険性は今現在も……此処まで生き残る工夫をしていても、すぐ其処に存在し続けている――そう、俺は臆病なのだ。


恐らく。この都市の誰よりも臆病。


故に俺は、脆弱なのだ。



 だから俺は、全てに怯える生活が嫌になり、署長と口論をしながら無理に仕事を辞めた。そしてそれが、最初の退職となった。


『若気の至り』とは言えない――30歳じゃあとは言えないだろう?


ただ、血塗られた平生にちじょうに気が狂いそうになったのだ。狂気に呑まれる――そんな兆候も少なからず在ったと思えた。だから、逃げ出した。


だが、この仕事を長年し過ぎた所為で、“人殺し“から抜け出せなくなっている自分が居るのも、また事実だった。今も時折、手遅れだったのではと、考える。


それは幾度も繰り返し、重なる『憂鬱』――いや、それこそ未来への『憂虞ゆうぐ』だろうか。



 サイレン音が止み。思索から、また悪夢の淵――現実に戻される。


最悪という言葉は、恐らく俺の人生の中で、胸中でも、でも一番使われている言葉かもしれない。


今もまた、その言葉が延々と流れている。


サイアク、さいあく、さぃあく、サイあく。


今も、まだ。最悪な気分だ――。



 セカンドライフ――異郷の、東国のことを思いながら、名産品である緑茶を淹れる。すると幾分いくぶんかは気が紛れる。


若い頃なら、無法者アウトローの溜まり場になっているバーで酒をふっかけ、拳を振り回し、目の前に在るもの全てに当たり散らして、ゴミ箱か豚箱で目を覚ましていただろう。


だが今は、ある人物との出会いにより、礼節と平穏を重んじる様になったのだ。


無論、茶を淹れることすら面倒に思える時もあるが、それでも好んで飲むのには、セカンドライフで出会ったその人物とのエピソードが関係しているからだ。


彼とは東国で知り合った。

名は『ガルダフ・N・ジーヘア』

農家で、その家族にも会った。


彼は退役軍人なれど、温厚且つ人当たりが良かった。加えて、気丈な奥さんと彼の仕事を、前向きに手伝っている親孝行者の息子。


つまり俺は、『普通の家族』との約二年間続いた交流で、すっかり『穏和』に取り込まれていた為だ。


彼は、俺が小さな家を購入しようとしていた所に居合わせた、後の隣人だった。


彼は『是非、案内しよう』と言い、田舎なりの豊かな土地や穏やかな気候、様々な長所を紹介してくれた。



 今の時代、木を見ずに大人になる子も居るぐらいに草木の減少が著しい。それなのに、東洋には茶葉の棚田があり、金色の小麦畑があり、桃色の木も在った――理想通りの桃源郷だった。


一方、このくには再開された宇宙開発が功を奏し、十数年前、高度成長期に突入。その影響で、至る所では再開発が行われ、スプロール現象も起きた。


建物の殆どがビルとなり、近年では本物の草木や動物を直接見ることは無くなった、と言っていいだろう。


今の子供達は作り物の草木しか見た事がないとまで言われている次第だ。


そして、俺もまた草木を見たのは数年ぶりだった。



 母国には無いその四季の彩りと、華やかさからくる陽気は、あっという間に俺を魅力した。今ではそれが、新たな郷愁きょうしゅうとなって燦然さんぜんと現れている。


初めての感覚だった。


産まれも育ちも、このねじれた街だった俺は、郷愁とは無縁で――毎日を生き残るのに必死で、それまで何かを思索する余裕なんてなかった。


あの時が、転換点ターニングポイントだったのかもしれない。


真人間になれる最後のチャンスだったのかもしれない。



 俺は今一度、仕事を辞めようとしている所を引き留められた。そして、その状況をどんな形であれ容認している。


最初の退職のに至っても、この街から出られずにいた。この街以外での生き方を知らなかったからだ。


用心棒やヒットマンじみた事して、無法者アウトローになりかけた。


結局のところ、俺はガルダフの様な善人にも成れず。幸せな家庭も築けないのだと悟った――いや、本当は初めから識っていたんだ。必然だと。


俺の初めての郷愁は、募る憂鬱の影に呑まれ、曇りガラスの向こう側に、淡くなって消えた。

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