第2話 冒涜の化身 前編

 夜中0時――雨脚は未だ弱まらず。


人々の往来も、デジタルサイネージの電子音も、相変わらずうるさひしめき合っている。


これからだ――。


これから、この深遠な都市の――その奥の奥に居る蟲が蠢く。



 至る所から放たれるネオン光。小型ドローンを利用し宙に浮かぶ公衆型広告デジタルサイネージ


ボロ布を被った浮浪者に、識別番号失効者ロストナンバー。ギラつく程に宝石を身につけた成金から、性病持ちの不細工、クズゴミ


太陽の下をのうのうと歩けない魑魅魍魎が、いきがって闊歩かっぽする百鬼夜行。


――故に情報過多。


この夜もまた、目紛めまぐるしく廻り――俺は雑多な路を新品同様の愛車でけ抜け、46Σモーテル近くの裏通りに駐車した。



 『傘は――そういえば、旧車から荷物を移動させている最中だったな。仮に有ったとて、手を塞ぐことになるから滅多に差すことは無いが……』


――自身でも判る程にたるんでいる。


以前の俺ならこれすらもいましめにし、準備を怠らなかっただろう――それこそが、この都市、この職で長生きする秘訣でもあった。


だが俺は「この程度」と、深く考えず。車のキーをサンバイザーに挟み、指紋認証でロックをかけ、小走りでモーテルの受付へと向かった。



 店主らしき男に歩み寄る――少なからず、受付に居るのだから、何も知らない訳はないだろう。


俺は何時いつもの様に偽名を使い、怪しまれない様に接触を試みる。特に、情報不足の今。店主がという可能性もぬぐえず、油断ならない状況だった。


事実。遠目からも判る程度に店主は挙動不審で、辺りを幾度も見渡し、如何いかにも怪しかった。普段の俺なら、言葉を交わすのさえ遠慮したい程、不安定な人物に思えた。


『手っ取り早く、脅してやろうか。』


そんな考えさえ浮かぶ程に。



 開幕。俺はあたかも、他愛ない急な用事で駆けつけたように振る舞い。入り口で外套がいとうに付いた水気を手で軽く払ってから服のを開け、カウンターで暇をしていた店主と思われる細身の男に話しかけた。


「――こんばんは。私はスレイン。君は店主オーナーか、管理人だろう?」


「だ、代理です……」


店主オーナーが逃げたか……恐らく、標的犯人に脅され、ビビって逃げた――


だが、犯人がそれを放っておく筈はない。


奴等は今迄いままでうまく逃げ隠れていたんだ。それぐらいは予見出来るはずだ。店主も今頃、何処かで野垂れ死んでいることだろう。


「――そうか。代理君、夜分遅くに申し訳ないね。灯りが見えたので、やはり今日のうちに済ませようと思って、立ち寄った所存なんだ。


……実のところ、知り合いに用があってね。彼が此処ここに泊まっていると聞いて、仕事終わりに駆けつけて来たんだ。クローミオって名前、知らないかな?」


勿論もちろん、クローミオなんて人物は俺でも知らない。当てずっぽうだ。仮に同名の者が居ても、姓をいてから「違う」と言ってしまえば良い。



 男も、こんな時間に客は来ないと思っていたのだろう。代理は見た目通り弱気で、落ち着きがなく。


もたれ掛かっていたカウンターの椅子から、不格好に、飛び起きる様にして立ち上がり。咄嗟とっさにパソコンに手を伸ばしてから、そのまま早口で下手な対応を始めた。


「え、えーっと……調べてみます。御友人の苗字ラストネームは? 何号室に泊まっているのかは聞きましたか?」


『私』は毅然とした態度で、且つ威圧感のない様に、店主代理とモーテルの様子をうかがいながら、偽りの事情をベラベラと話し始めた。


「話すのは気後きおくれするが……友人はでね。仕事柄というのもあるが、普段から偽名を使うような人物なんだ。


ほら――解るだろう? あまり人前で言えるようなモノじゃないんだ。


だから今、の名前を使っているかも、彼が何号室に泊まっているのかも、私には分からない。


先ずは、そうだな……埋まっている部屋を教えてくれないか? 後日また、訪ねるかもしれない。」



 上辺だけの事情をたらたらと駄弁だべりながら、俺は一先ず、犯人の性別を男性に絞って調べることにした。


理由は勿論、犠牲者が男性で、撃たれる前に何があったのか詳細が不明な分、男との取っ組み合いに負けて撃たれた可能性もあったからだ。


――無論、女性が犯人という可能性も、念頭にあった。だが実際には、この男に鎌をかけてみようという思惑故の行動だった。



 然し、それは無用だったようで。店主の感情は平生へいぜいの不安定さを残しつつ――だがこの「鎌」に関しては予想以上に穏やかで、『本当に何も知らないのか? 将又はたまた相当に騙すのが巧いのか?』等と、俺の思考を濁らせる程だった。


或いは――間抜けすぎて気付いていないだけかもしれないが……結局、両者ともてにはならないという結論に至った。


店主代理の隙だらけの様子から、単なる杞憂きゆうだと悟ったのだ。



 店主は数少ない顧客を、PC内に在る顧客名簿で調べつつ、先程より落ち着いた様子で受け応えをした。


「『埋まっている部屋』ですね? 了解しました。少々お待ちください――あっ、そうだ。お客様の特徴等は把握していませんが、例の偽名なまえで多少は区別が出来るかもしれません!


もちろん、自分は分かりませんし、プライバシーの問題で、貴方に見せる訳にもいきませんので、何か手掛かりがあれば……」


「構わないでくれ――」


食い気味に応える――その言葉には僅かに力が込められ、愚鈍な彼への苛立ちが、幾許いくばくか溢れ出していた。


「――今は先ず、言われた事を済ませてくれないか?」


雨で蒸れ、冷え、気落ち、疲れ、怠惰増し、それを掻き立てる愚鈍店主に、焦らせた俺は苛立ちを抑えられず。声を低く、強調し、急かしてしまった。


――この手の人種にという行為はマイナスだ。特に、それが脅しでなくとも、彼等はそう受け取り、落ち着きが無くなることがある。


その可能性に気付くのには一秒もかからず。


言葉を放った瞬間。神経質と言われても反論出来ないぐらい直ぐに、思考が今一度鈍った。


『遅延した――』



 予想通り――店主代理は落ち着きを欠き。またせわしなく、無駄に多動し、PCを必死になって操作する。


「あっ、す、すみません! えっと……データによるとモーテルで運営している25部屋ある内、1〜13号室までは埋まっています。それ以外は空室となっており、21号室は閉鎖中です。」


早口だが……聞き取れた。


「閉鎖中の21号室」――今迄の事柄を知っている俺が、その言葉に何かの“ひっかかり“を感じない筈がなかった。


『被害者が襲われた部屋か?』


しかし、それを訊くにはまだ段階が踏めていない。怪しまれる可能性がある……と謂うより、怪しまれる可能性がある。


『余程の馬鹿者じゃなければ、夜分遅くに押し掛け、質問責めをする俺は相当に怪しく思えるだろう。


何か探りを入れられる前に去るべきだが……まだだ。まだ早い。必ず、手掛かりが有る筈だ。情報を得なければ。無駄足だけは勘弁だ。』



 「じゃあ、先ずは1から13号室までの客の――名前だけを教えてくれないか?」


「名前だけでしたら……」


一先ず、現在宿泊中の客の名前を抑え、後日探りを入れた際に、活用出来るよう備えることとした。


その他の理由として、犯人がまだ宿泊中という可能性も視野に入れたかった。


厳密には、「名前だけの宿泊」としてへやを暫く取っておき、おとりに使っている可能性のことだ。


犯人が交戦的な人物ならば、有り得ない話じゃない。



 俺が、そこまで入念に対策する理由は、他人からすれば不可解……とまではいかないが、理解し難いだろう。


だが、その本質は至極単純で、俺が常日頃、必要以上に用意周到――悪く言えば神経質と謂われる程の生活を送っているからだ。


それは一種の職業病でもあり、来歴故の賜物でも、この仕事で生きていく秘訣でもある。



 「そうだ! すっかり忘れていました! 最近、このモーテルもベッドセンサーを取り付けたのですよ。ほら、知ってますかね?」


また途端に代理が声を上げ、俺は否応無しにそれに合わせた。


「元は医療・介護の現場で使われていた、最近ではルームサービス時の在室の確認や、安全保障等にも活かされているアレか……特に、最近ではその流行があると耳にした事がある。」


「そうです! これを利用して、センサーがオフになっている方には連絡をしてみますね……」


店主はそう言いながらカウンター上の受話器を手に取り、もう片方の手で部屋別に割り振られたボタンに伸ばし、連絡しようとする素振りを見せる。それを確認した俺は、空かさずその行動をとがめた。


「いや、それは望ましくないな。第一、こんな夜分遅くに電話なんて鳴らしたら、客足は更に遠退とおのく。場合によっては、怒り狂った客が殴り込みに来るかもしれないな。


それに――言っただろう? 友人はなんだ。警戒心が異様に高く、仮に私が、私の声で、私自身の名前を出したとて、直接確認するまでは信じもしない男だ。


それ程に変人なんだ。電話なんてしたらどうなるか……頼んでおいて悪いが止めてくれ。私は素直に朝まで待つことにするよ。」



 犯人の影が見えていた俺は、がつくのを恐れていた。だがそれは、ありふれた「死」への恐怖からではなく。何方かというと、論理に基づく思考から生まれたモノだ。


当然だが、いくら俺が銃の扱いに慣れているとはいえ、若し相手がマフィアやカルテル。またはそれらに近い何らかの組織で、何十人もの武装した人間が襲ってきた場合。俺に為す術はない。


もっと慎重になるべきだ――正確な情報を得るには、特に細心の注意が必要だった。



 店主は少し不審がるような、そんな渋い顔明らかにしながらゆっくりと受話器を置いた。


「えぇ、分かりました……」


店主は間抜けだが、それでも今の行動を怪しまれた可能性はあった。「友人」の為に名簿まで出させた男は――夜分遅いというのもあるが――然し電話はダメだと言うのだから、不審ではあるだろう。


『やはり無理があったか?』


――いや、怪しまれたなら“とことん“してしまえば良い。幸い、店主の両手は見えている。カウンター下に銃を隠している様子も見えない。辺りに怪しげな人影も見えない。


俺は意を決して、件の話を口にした。


「最後に――21号室には何が?」

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