第28話 遺志 前編

 外景を遮断する朱色のカーテンが、若干の輝きを帯びる――だが、太陽光の様な暖かみは感じない――感じ慣れた冷光だ。ホテルの終夜灯、噴水の電光飾イルミネーション、街灯の人工光だろう。


光は淡く。外からの人気もまた、殆ど感じられなかった。夜の人々は既に自分の住処へ帰ったのだろう。


時折、外からは飛行車の飛行音が聞こえる。朝帰りの飛行車内には腐った金持ちと、それに纏わり付くハエが乱れ生きているのだろう――経験から来る予想だ。


そういう奴は、善良な人間が道端で塵屑ゴミクズと一緒に野垂れ死んでいる時に、その血に塗れた汚い金で遊び呆けているのだ。


――だが、野垂れ死んだ人間を気にする輩はそう居ない。


それもそうだろう。


政府から与えられた『即時死刑執行権』という殺戮兵器は、市民を守る筈の警察や特捜部に与えられた。


その結果――戦争でもないのに、“人が人を容易く殺す“という狂気の邦が出来上がってしまったのだ。若しかしたら、この時代は『人類史上最も“死“が身近な時代』なのかもしれない。


 俺が社会不適合者なのは言うまでもない。人殺しを生業としている人間が、社会に適合する筈がない。それでも、俺が“仕事“を出来ているのは――この世界が狂ってしまったからだ。


様々な事象を確認する度、その認識は明瞭になる。


無計画に広がる市街地や、飛行車と地上車で分けられた駐車場。多様な人のなり、街の至る所に在る“偽物“。言葉や概念。一種の熱のような見えないモノにまで現れている――俺の仕事は特にそうだろう。


つい、この間まで俺はその“死“を体験しながらも、然し無頓着でいた。その認識は皆同じで、俺がそうであった様に、この世界を疑問視することも、問題視することもなかった。


それが今の“普通“だったんだ。


この邦、この“世界“は――狂ってるのだ。


 俺はグラスをカップホルダーに入れ、背伸びをする様にして椅子から立ち上がった。それから、ガンベルトを着け直し、近くの手摺てすりにもたれていた。


その際何を思ったのか、読書をしていたダッチは本から視線を移し、精神分析擬きを始めた。


「落ち着きがないね。焦燥……追い詰められている様にも思える。それにしては判断力も欠けちゃいない。冷静を装っているのか……そもそも、冷静ですらないのか……」


普段の俺ならば、それでも黙っていただろう。然し酒の所為か、それこそ冷静でなかったのか、俺は饒舌になっていた。


「――思考は明瞭だ。然し、冷静ではないだろう。冷静とは真逆の――復讐とも生き甲斐とも違う。まだ言語化されていない感情で昂っているんだ。故に思索し、類推し、絶えず行動している。今は常にその意識が在る。」


「だから外套も脱がず。スツールに座り私と話している時さえ、ガンベルトを外さなかったと言うのかい? 多少は酒の所為もあるのだろうと、考えてもいたが、やはり君に於いてはそれに尽きないのだね。」


彼はまた、その分厚い本に視線を戻した。


 俺は会話を続けることもなく、カーテンに遮られ、“掟“にも遮られた外景を眺めながら、ただ黙っていた。


疲れではない。彼の分析には辟易へきえきしていたが、それも理由としては弱い。例の熱情が理由でもない。


――


そうあらわすのが合っているだろう。冷雨の夜に街を歩いては、クズと呼ばれる様な手段で人を殺し、家に帰れば命を震わせ、銃を抱え、浴槽で眠れない夜を過ごす。


あの頃の非感情的ノン・エモーショナルな俺に戻りつつあった――或いは、これが“殺意“というモノなのかもしれない。


今迄は『あくまで仕事、あくまで自己防衛』として、殺しを“合理化“していたが今は違う。


複雑怪奇なこの事変に関与してから、全てが変わっていった。


俺自身は勿論、人間関係、環境。それらの動向、思考パターンまでもが変わっている様にさえ感じられる程に。


然し、今になって火が着いたところで、熾火からは一向して弱くなるばかりだ――もうすぐ終熄しゅうそくだ。


その頃には、灰にもなりきれない“はみ出し者“が出来上がるのだろう――だが、それが俺の“在るべき姿“なのかもしれない。


 車のスピードが落ちるのを体感する。扉の隙間からは、黄金都市ディタッチメントの鉄臭い冷風が入り込む。


車が停止するのを体感すると同時に、彼は立ち上がり、入り口を開く。そして腕を伸ばし、俺が出る為の動線を確保しながら、別れを告げた。


「また会おう“アル“――あぁ、最後に質問を……いいかな?」


既に椅子から立ち上がり、扉の目の前に居た俺は若干苛立ち、眉間にしわを寄せながらもうなずき、了承した。


「――君は今でも、人殺しをいとわないのか? これが終わったら君はどうするんだい?」


訊くのか……だが、今でなければならないのかもしれない。


今迄俺は、何度もその問いに答えてきたつもりだった。


『異郷に帰る』または『仲間と酒を飲む』などと、れた御託をその場凌ぎで並べてきた。


――然し、はどうだ?


負の遺産――されど、その“負の遺産“である遺志や仲間のお陰で、様々な事象に連なる謎が解き明かされようとしている。


その過程で、俺は僅かな意思を持ち、人並み以下の同情心を得た。それがどれ程の影響力を有しているのか、自分でも解らない。


だが少なからず、意思の無い曖昧な返答はしない。弱々しくも、明瞭な意思を持った俺は――


「――厭わない。邪魔者は誰であろうと撃つ……俺にはその“意思“が有る。の事はに決着をつけてからだ。」


「……そうか、“意思“か。」


彼は口角を少し上げ含み笑いを残し、そのまま俺達は別れた。

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