序章
冷雨の陰翳
第1話 栄華と狂乱の都市 前編
冷雨の降る夜10時――終夜灯が点灯し始めてから、時間はそう経っていない頃。
往来では、夜特有の不穏な活気が徐々に
その裏では、政府の殺し屋と犯罪者が引鉄を引き、その
――この日常は恐らく、もう変わることはないだろう。
州は都市開発の資金稼ぎとして、
然し、他の州とは違い、犯罪率は下がらず。あろうことか、近年ではその大都市が聯邦で最高の犯罪率を叩き出している始末。
だが、「大都市」と謂ったように人口も多く。聯邦からの支援により、技術力も一都市が持つソレを、軽く凌駕している。
様々な大企業の本社ビルが立ち並び、空には自動操縦で並び飛ぶ飛行車が空をコマ送りにする。
故に、この「
『
事ある
大都市は廃れた街から造られた。当然、出来上がるまでの時間と金・労力は相当なものだった。
当然、建物も全て新しい訳じゃない。
此れもその一つ。
街中にひっそりと佇む五階建ての
今は
署長の席には太った男が、フォーマルな服を着崩しながら、
対面する話し相手は、雨に濡れ、色褪せた人工革の外套を身に付けた、荒れた
「それで……ゲライン君。この
格好だけは小綺麗な男が、
彼こそが俺の上司――つまり、「ゲライン・A・シェダー」の上司である「デルビン・ガント」なる男だ。通称は、デル署長。
このいけ好かない男との付き合いは、この態度を見慣れる程には長い。
『……それにしても、さっと許諾すれば良いことを、
全く……全てがシームレスに済まされる今の時代に
日々の疲れや世の中への不平不満、その他諸々を合わせた苛立ちが、早くも俺に作用して、会談そのものに対し、疑問を
一方、署長は俺の目の前で、葉巻の煙を深く含み、「ふう」と吐きつけながら、
そこが俺の気に障る点だ。
デル署長の余裕――その根源を知っているからこそ、気味が悪いのだ。
俺がそのように思考しつつ、
「――君だって、伊達に特捜をやっていた訳じゃあるまい。今更辞めたところで、一体何の為になるって言うのだね?
私に言わせれば、君が帰ってくることは明白だ――何たって、前例が有る。どうせ君は戻ってくるよ。」
その物言いは
「前例なんぞ当てになりませんよ。それに、アレは……いや、話を戻しましょう。
以前から、何度も言っていますが、この
人口も、今や世界で指折り。その上、この
実際、既に政府は毎月の死亡者数を正確に判断しきれていない。量が多すぎて、処理出来ていないのです。
それは去年と一昨年――それ以前のデータも同様で、以前より大幅な誤差が生じていると
その中に私が含まれていても、誰も気付くことは無いでしょう――尤も、私は家族も恋人も居ない孤人ですが、それでもそんな死に方は、
署長はまた葉巻を深く吸い、『ふう』と吐いて煙を漂わせてから話を続けた。
「然しだなぁ……今時、君の様な“優秀な人材“を引き入れるのは厳しいんだ。何せここら辺は、その類の公的な教育環境が整っていない。
それに、君の元ペア兼教育係は現在も行方不明だ。彼女の穴を埋める前に、君にまで去られてしまったら、十二の面目は丸潰れになる。
更には、年々特捜員になる人間が減っている――法改正の後に減ったというのに、更にだ。故に、十二では君と組める実力者は居ない――君も知っての通りだ。
然し――だからこそ、銃の扱いが上手く、犯人の痕跡・証拠の発見や尾行・追跡に長けた、君の様な人間が、広告塔としても、特捜員としても必要なんだ。
それに今は、政府から『即時死刑執行権』が与えられて久しい。君が犯人を撃っても、誰も文句を言うまい。その
それでも君はまだ、「人を撃ちたくない」などとほざくのかね?」
『――もう人を撃ちたくない。』
俺は数日前、署長にそう告げて退職届を提出した。
だが、それでも俺は「人を撃ちたくない」とほざき、退職願った。
このまま――途方もない殺しで、つまらない人生を終えたくはなかったのだ。
『せめて最後くらいは華やかな方が良い。』
それが僅かに残った、俺の
『面倒だな。この仕事も、この生活も、何もかも……全て
ふと、俺は懐古していた。
昔、一度目の退職での事や、署長と会う前の事。彼女の事や、親友との出会いを――
だがそれは、懐古を謂うには少し
『――何時からだ?』
自分自身に問い掛ける。
『何時からこんな
答えなど、とうの昔に忘れた――もう、人格すら残らない程に昔のことだ。
……いや、それ自体が答えなのかもしれない。無意識下だが、全て俺が行った事――全て俺の責任。
『俺は何時から……どうして、人殺しになった?』
「なるべくしてなった」なんて、その時の俺が認められる筈がなかった。
――それが、俺の罪だった。
以前の俺はただの警官で、ありふれた愚かさを持ち、人の為になると思って仕事に励み、それが最適解だと思って疑わなかった――まるで、法こそが啓示かのように。
無駄なことを考えず、毎日好きなように生きて、芯なんてない人生を送り。それなりに仲間も、知人も居て、
そして何より――
あの頃は、見たいものだけを見ていられた。
そして俺は、“I.Ex.P“施行後、間もなく署長に「警察で腐らせるのには勿体ない」と口説かれ、警官を辞めて特捜をする羽目になった。
当時は若気の至りで、警察の融通性の無さに不満があり、刺激を欲していたのだ。
最初は夢の都市だと信じていた―俗語で謂うと、“シティ・ドリーム“だ。
だが夢は所詮、夢だ。
現実はいつもはっきりしない。
然し、それでも判る程に都市の貧富の差は激しく、治安も最悪。
ギャングにマフィア。カルテルやヤクザが貧民街を牛耳り。悪徳警官や汚職政治家が、野垂れ死ぬ善人の
皮付きの銀行家共は、
季節による寒暖差の烈しい海上に、実験場として発現した未来都市は、蜃気楼で歪み、分光するネオンの船に浮かぶ。
然し、中では全てが捻れ、曲がり、
故に
2062年、現在――科学技術の脅威的な進歩により、時代の変わり目とも謂えるこの年は、数人の天才と、大勢の奴隷によって築き上げられた――驚異的な速度で進歩する技術と、不条理を帯びた残虐性に富む犯罪が、人を触媒にして混じる年だ。
州政府の対応は良くも悪くも、全てを変えた。夢を具現化した際に、悪夢さえも発現させたのだ。
そして俺は、その実態の殆どを見た――まるで監視者のように。
地獄だった――。
「では、こうしよう。今、手間取っている仕事がある。たった一つだが、大きな仕事だ。
これを最後に終わらせてくれたなら、部下にも新人にも示しがつくし、宣伝にもなる。そうしたら私は、黙って君を見送られるだろう。どうだね?」
署長が短い足を机の上に乗せ、組み、背筋を伸ばしながら、また葉巻を吹かす。
「俺がその提案を受け入れるメリットは何かあるんですか? そんな大きな仕事をして万が一死んだり、後遺症になる程の大傷でも負ったのなら意味がありません。」
――とは言ったものの。映画やコミックのような、フィクションじみた事態にならない限りそんな事にはならない――
だが署長はそれについて言及しないだろう。
何故なら以前、退職(署長は休職だと言っているが)した際と全く同じ手だからだ。
そしてまた、あの時と同じように、俺は逃げ隠れ、話も終わる。
これだけ長く付き合っていれば、その
故に場合によっては、この都市――いや、この
何故なら、この太った
そして、それこそが俺の気に触る点でもあり――彼の余裕の正体でもある。
だが前回同様。直ぐに逃げ
署長は口と鼻から煙を
「理由としては恩返しでも、金稼ぎでも、何でもいい。正直なところ、やってもらわないと特捜全体が困る……と言っても
『――困る? 今、困るって言ったのか??』
先述の通り、署長は顔が効く。舌も三枚どころか、千枚百枚だ。この都市でそこまでの人脈を有する彼は、小さなフィクサーともいえるだろう。
そして彼は困るような事態があった際、その人脈を最大活用し、この根元を
人使いが荒いとも言えるが、人使いが上手いのも確かで、企業警察は勿論。市・州・郡・更にはFBIからもシッポを隠す術があるという噂を有す、恐ろしい人物だ。
つまり、常識の範囲内で彼が困る事は決してないのだ。
『そんな彼が困るって言うのなら、俺には到底無理な案件の筈だ……なら何故、署長は無茶を承知で言うんだ? 俺を辞めさせたくないから? いや、俺を死なせたいから?
……無いな。ただそれだけで、こんなしょうもない事を吐き捨てるほど、彼も暇じゃない。だとすれば――何か考えがあるのか?』
俺は一先ず話を聞き、それから判断をすることにした。
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