Talio Umwelt ―聯邦の鈍―

空御津 邃

プロローグ

独白

第0話 皮肉屋







 「人は産まれながらの咎人つみびとだ」














 旧約聖書にて人類の祖とされるアダムとイヴは、知識の実を食したが為に、人類は今もその「原罪」を被っているのだという。


この時、神は生命の実を食べられまいと二人に様々な苦痛と衣を与え、エデンを追放した。


また、そこで記される「衣」は「肉体」としても捉えられ──要するに今こうして我々人類が肉体を持って生きていることこそが、原罪の証といえる……らしい。


「興味深い話ではあるが、全くもって理解し難いな。」


以前はそう思っていた。罪が知恵の実を食したことにあるのだと思っていたのだ。「肉体」がどの程度の「罰」なのかすら考慮出来ていなかった。


しかし、皮肉にもその答えは“全て”を失ってから知ることとなる。


人類の罪は何だったのか。人類は如何にして「原罪肉体」に縛られているのか──そして人類が、如何にして「生命の実」を創り出すのか。



 2062年──栄華と狂乱の時代。世界の中心的存在である聯邦アメリカは、宇宙産業と謂う名の巨大科学ビッグサイエンスを新たに計画プロジェクト・実施した。 


その計画の源流は、2019年には既に存在し、実現可能でもあった「スカイフック」或いは「テザー推進」と呼ばれる方法。


「宇宙空間に巨大な振り子を作り、宇宙船を投げ飛ばす」と考えてもらえば判り易いだろうか。


エネルギーの大幅な節約を可能とし、故に大量の物資を地球外に運び出す事を実現する画期的な方法だ。


聯邦はその方法を利用し、貴金属や地球に殆ど存在しない宇宙の資源を含めた、太陽系の資源を驚異的な早さで集め始めた。


先ずは金星Venus、次に火星Mars。それから水星Mercury土星Saturnと徐々にその範囲を広げ、近々火星に人が送られるという話もあれば、太陽へのダイソン球建設を最終目標とした水星基地建設の構想もある。


人々はそれをアポロ計画の続きだと賞賛し、その未来に夢を見た。宇宙局の予算は増し、同国の民間宇宙開発企業への出資者も後を経たない。


然し、他国からすれば面白い話ではない。 



 当然。諸外国共々、こぞって手を出し始め、再び科学競争が始まった──と思われた矢先。テザーを利用する為には、専用のシャトルを造る必要があるという、「テザー推進」の大前提が行手を阻んだ。


加えて、テザーを利用する際にも、超スピード故に誘導が必要不可欠である等の難点があり、それを解決するには時間も費用もかかった。


その為、聯邦アメリカ政府と宇宙局NASAはそれを踏まえて事前に設計、建造、実行し、一時的な独走状態へと持ち込んだ。


その計画は大成した──予想以上だった。


そして、この事変は聯邦を大きく変えた。

高度成長期の訪れと、第二次冷戦ColdWarⅡ──新たな技術戦争の幕開けだ。


 社会環境も変わり。適正技術とされるものは日々進歩し、人口の増加率も上昇に傾向している。


そして、聯邦の経済は世界に影響する為、今回は世界経済が潤い。

発展途上国が増加、世界の平均国内総生産GDPは高まり、人類は新たな世界を迎えようとしていた。


然し、栄華ばかりで済むほど世界は甘くない。

新たな問題が擡頭たいとうするまで、そう時間はかからなかった。 



 時代が動く時、活気付くのは犯罪者も然り──と謂うように。

犯罪のレパートリーに科学技術を用いた多様性が生まれ、政府はその対応に追われるようになった。


だが今は、人も技術も発展に発展を重ねる時代。数のある変質的犯罪を前に、対応策を講じたり、新法を制定する時間すら惜しまれた。


そこで政府はに還った。


罪刑法定主義の起源とされるハンムラビ法典の、同害刑に基づく法を施行したのだ。

その名は「即時死刑執行権Immediate Execution Penalty」──通称「I.Ex.P」


それも「刑罰の限界を定める」という元来の同害報復とは違い。重犯罪者には死をもっつぐなわせるという曲解の下、歪な姿形になって発現した──或いは、意図的にそう書き換えられたのだろう。



 即時死刑執行権I.Ex.Pの施行は、当時高度成長期に乗じて警察国家を目指そうとしていた聯邦にとって、大きな賭けであった。革命のきっかけになり得たからだ。


然し、それでも施行されたのは「実験」的な意味合いも兼ねていたのだろう。


即時死刑執行権は始めからその姿で完成していた。そして聯邦政府は、実験的に幾つかの州に高い権限を与え、施行させた。それも、州及び都市に多額の報酬と技術提供をし、都市開発に協力するという形で────。 



 執行権限は、一部の警察と法施行により独立した特捜部に与えられ。対象の重犯罪者を「その場で死刑を執行する権利ちから」を与えた。


人が人を裁く────人の手に余る“同害報復Talio”。 


 無論、それが悪法かどうかは人によって違うだろう。事実、例外を除けば施行した殆どの州と都市の犯罪率は低下している。「傷付けなければ、傷付けられない」──ある意味では、新たな相互監視社会ともえる。


だが、事実はそれだけで終わらない。


「人殺し」が法によって正当化されるという異常。

それに反対する無法者と市民に、もはや境界など無く。度重なる報復の波が、犯罪者を尚も生み出し続けている“事実”────。


人々には贖罪しょくざいする猶予も、死者をいたむ余地も与えられていない。未だに皆、世界の進歩へ追いつくのに必死で、他人の理解へ時間を割けないでいる。


人類は進化の果てで孤独になった。 



 進化と堕落が混ざり合い、下水の様によどむ世界──冷雨降る夜中に男が独り。傘もささずに、特捜署の前で小さく、佇んでいた。


靴に付着した暗赤色の液体が、冷雨によって洗い流され、男の視線はそれを待つかのように下へと垂れ落ちている。


終夜灯ネオンランプの冷光を反射する瞳に力は無く。表情筋によるしわも少ない。


色褪いろあせたガンベルトを付け、人工革で造られた長い外套コートまとい、黒茶色の無精髭ぶしょうひげと髪を濡らす──時代遅れな体裁ていさいの男。


男の名は「ゲライン・A・シェダー」


「KinkCity」──小国に匹敵する人口と高い経済成長率を有しながら、即時死刑執行権I.Ex.Pを施行して尚も高い犯罪率──これまでの全ての“例外”とされる魔都に住み、特捜として執行した犯罪者は数知れず。


精神は既に摩耗し、執行した中に市民善人が居たかどうかにも、興味を示さなくなっている。恒常性を保った男──或いは人理のタガが外れた男。


大それた目標や、多額の資金・借金がある訳でもなく。多数の“K”のように電子彼女に耽る訳でもない。時折、奇人が起こす奇事を、銃を用いて終わらせる、最後の受け皿──人種。


“死”に慣れてしまった男は、今でも厭世えんせい的人生の真っ只中に在る。


飛行車のテールランプ、キャバレーの終夜灯ネオン、ガラスに反射する電子広告デジタルサイネージ、ビルの隙間の朝日までもが、全て色褪いろあせ、淡い鈍色にびいろに視えるほど──もやに似た幻──しくは、ノイズ混じりのテレビの様に、現実味のない三人称で描かれる世界。 


「生きているだけの人間」


いつしか男はそうなってしまい、外道に逸れ、尚も抜け出せずにいる。比例して、自身の生きる意味さえ失いつつある。


死生しせいの波に晒されすぎた人間の末路は、何時いつの時代も変わらない。 



 然し、未来を見ない男には予想以上の因果未来が待ち受けていた。誰も予想し得なかったような、不自然・不条理極まりない怪事。


──世界と人の在り方を改変する怪事。


同害報復環世界Talio Umweltの本質が、そらの裏から待ち構えていたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る