番外 あの夏の日の恋の終わり

バスを降りるとさぁっという波の音が聞こえ潮風が心地よく私のほほを撫でた。

帰ってきたんだ。この町に。

私は高校を卒業し大学進学とともにこの町を出た。

私は逃げた。

彼からも。

そしてこの町からも。

数少ない友達のアドレスも全部消去し持っていた写真も思い出と共に全部捨てた。

そして最小限の荷物をトランクに積め家を出た。


都会は人で溢れ時間がものすごいスピードで駆け抜けていく。

そんな慌ただしい日々の中でずっと息苦しさを感じていた。

(苦しい。息ができない。)

そして結局この町に帰ってきた。

鼻から空気を吸い込み深く吐き出す。

あぁ懐かしい…

まるで母が私のことを包み込んでいるような優しい空気だ。

「あれ?もしかしてお前って」

どこか聞き覚えのある声が聞こえ思わず振り返る。

「春斗?」

「やっぱり…お前急に連絡とれなくなるから心配してたんだ。」

「黙って出ていってごめんね。」

「いや、元気そうでよかったよ。安心した。…でもお前なんかあの頃とは変わったな。」

「そりゃね、何年経ったと思ってんのよ。」

「まぁそりゃそうだよな。お互い年取ったよなぁ…」

「春斗はなにも変わってないよ。」

無造作な髪型も。

笑うとえくぼがでるところも。

優しいところも。

なにも変わってない。なにも。

「そうか?そういえばこの間草野に会った。あいつも変わらないな。大手の証券会社勤務なのに未だに独身らしい。」

「へぇそうなんだ…。」

(独身…か)

その言葉にちくりと胸が痛む。

きっと彼もあの時から変わっていないのだ。

私と同じようにあの時から時間が止まったまま。

「春斗はどうなの?恋人とかいないの?」

「いない。」

「えっ?」

「誰と付き合ってもお前のことが頭から離れなかった。俺やっぱりお前のことが好きだ」

やっぱり春斗はなにも変わらない。

その目。

私をまっすぐ貫くような目だ。

「お前は」

「え?」

「お前はどうなんだ?」

「私は…」

「…また逃げるのか?」

その言葉が心の奥深くにつき刺さる。

逃げる。そうあの時と同じだ。

でも今はあの時とは違う。

はっきり言わないとダメだ。

私のためにも。そして春斗のためにも

「ごめん。私お腹に赤ちゃんがいるの。職場の上司だった人との子供。奥さんがいるから結婚できないんだけどね」

「お前それって…」

「私春斗が思っているような人じゃないよ。だから私のことはもう忘れて…」

その瞬間ふいに手を引かれ強く抱きしめられた。

「春斗!?ちょっといた…」

「お前バカだろ。どうしてそんな…」

どうしてだろう。

これまで色んな人と付き合ってきた。

その中には結婚寸前までいった人もいたけれど結局ダメだった。

そんな時出会ったのが彼だった。

彼は草野のような熱くて優しい人だった。

会った瞬間草野と彼の姿が重なって見えたのだ。

頭のなかでは分かっていたのに、どうしようもなかった。

どうしようもなく彼に惹かれてしまった。

「どうして…どうして俺じゃダメなんだ…どうして草野なんだ…。」

今すぐ彼のことを抱きしめ返せたらどんなにいいだろう。

そうしたらきっと幸せになれるのに。

わかってるのに。

「春斗離して。お願い」

ゆっくり手を離す。けれどその顔はうつむいた。

「ごめん。春斗が私をずっと好きなように私も草野がずっと好きなの。」

ただ波の音だけが聞こえる。

「幸せになって。誰よりも。」

背を向けて歩きだす。春斗は追いかけてこない。


波の音が聞こえる。

今はその音が私の泣き声のように聞こえた。

どうして私達は傷ついてばかりなんだろう。

どうしてだれも幸せになれないんだろう。

私は優しくお腹を撫でる。

ここに小さな命がいる。

私は一人じゃない。

そっと祈りをこめる。

どうかあなただけは。

どうかあなただけは幸せになれますように。


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ある夏の日の恋のはなし 石田夏目 @beerbeer

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