初めての共闘

 右の翼の機能が落ちたからといって油断ができるわけではない。左の翼はまだ無傷で、相手の警戒も強くなっている。

 不意打ちを狙っても片翼すら潰しきれない。そういえば、警戒を高めた相手の翼を無力化する難しさがわかるだろうか。


「―――! ――――――――!!!」


 まず動いたのは【サイファリス】だった。身体を飛ばせたまま、甲高い鳴き声を上げてより激しく翼を動かす。鳴き声と共に口から漏れ出たのは。


(吹雪ッ!)


 ほとんど本能で、ライトとウタのふたりが左右に飛び退く。一秒遅れで【サイファリス】から見ると直線上に凍った道が伸びた。

 恐ろしいことに、地面は凍るだけでなく大きく抉れている。それを視界の端に入れてすぐ、ウタが槍を構えて【サイファリス】の前へと踊り出た。


「――ッ、ハァッ!」


 槍を地面に突き刺し、全体重を乗せて身体を浮かす。完全に身体が宙に浮けば生まれる僅かな隙。それを【サイファリス】は逃さない。


「っていうのが、狙いなんだよねッ!」


 正面をウタに任せて【サイファリス】の後ろに回り込んだライトが、にやりと笑みを浮かべて言った。近くの木に足をかけて駆け上り、幹を蹴って身体を宙へ。それでも【サイファリス】には届かない。身体が落ちるよりも前に別の木へ手を伸ばし、枝へ捕まるとぐるりと回転。その枝に足をかけて、再び飛び上がる。

 二度、三度とそれを繰り返す間、ウタは変わらず魔獣の注意を引き付けていた。

 身体を浮かせ、相手の攻撃を誘う。繰り出す技は〈裂留さきどめ〉。数ある守護槍の技の中で唯一、槍ではなく自らの肉体で相手の攻撃を受け止めるもの。

 槍を支えとして地面から足を離す。一見無防備に見えるが、技として繰り出している以上本当の意味での隙ではない。ただのフェイントだ。

 飛んできた氷の礫を足で弾き返す。わずかに漏れたものが服を裂くが身体に傷がつくようなものはない。

 バランスが崩れ始めるよりも早く重心をずらして地面に刺さった槍の穂先を持ち上げる。支点を槍から自らの両足へ変更。その間も、槍の軌道を利用して礫を弾く。

 一度翼から飛び出す礫が止まった。瞬間、ウタは身体を近くの木の裏に滑りこませる。その後地面が抉れるほどの吹雪が再び。


(ダルクの予想通りじゃねえか)


 もし翼と吐息。両方が氷結能力の起点ならば使

 森に入る前の話し合いで、ダルクはそう言った。三人はそれを前提としてこの魔獣の前に出てきたのだ。

 もちろん、同時に攻撃を行ってくる可能性もあった。その場合は一度撤退し、作戦を立て直す手はずになっている。

 だが、この様子なら撤退の必要はないだろう。ウタはそう判断して、再び【サイファリス】の前に立った。

 そうこうしているうちに、ライトが十分な高さに達する。狙うは右の翼の付け根。空中戦における基本の型、〈第四の拳フォースフィスト〉の構えを取って、ライトが叫んだ。


「ダルクッ!」


 その声に応えるように、どこからか数本の針が飛んできて【サイファリス】の左の翼、その付け根へと浅く刺さった。敵意と違和感を察知した魔獣が身体を回転させようとするが、右の翼が十分に使えないためかその動きは遅い。


「―――――!!!!!」

「シッ!」


 軽く息を吐きだしてライトの拳が突き出される。翼を折るには足りない、だが、針を深く打ち込むには十分な威力で。


「ッ!」


 十分に針が食い込んだことを確認して、ライトはすぐに距離を取った。だが今度は少しだけ間に合わない。


「―――――――――――――――――――――――!! ―――!!!! ―――!!」


 悲鳴を上げて翼を強くはためかせた魔獣。その余波で宙に浮いた身体が吹き飛ばされ地面にたたきつけられる。


「――ハ、ァッ!」


 受け身を取ったとはいえ高さがある。打ち付けられた身体はぎしりと嫌な音を立てた。肺から空気が吐き出され、それでもなんとかすぐに体を転がし木の陰へ逃げ込む。


「さい、あく」


 漏れ出た言葉は無意識だった。油断していたわけではないが、不可避だったわけでもない。


(そりゃ、初めての共闘だって思えば十分なんだろうけど)


 ここまで来たら無傷で終わりたかった。息を整えながらそう思う。


「ライト、」


 ふと、声がかかる。顔をあげれば心配そうにライトを見るダルクがいた。落ちたライトを見て、針を投げた位置から移動してきたのだろう。座り込むライトに合わせるよう、ダルクもしゃがんだ。


「ごめん、へました」

「そんなことは構いません。それより、身体は」

「大丈夫。折れてはない。ヒビはいってるかもしれないけど……あと数分ならいつも通り動けると思う」

「……いえ、あなたはこのまま休んでください。おそらく今ので、翼は無力化できました。ここまですれば十分です」


 ダルクが上を向く。つられてライトの視線も上へ移った。その視線の先には苦しそうに翼を激しく動かしている【サイファリス】がいる。


「あれ、結局なにしたの」


 針を打ち込んでほしい。

 それだけしか告げられていなかったライトとウタは、あの針にどんな意味があったのか知らない。


「神経と魔素器官、あとは骨を狙いました。骨の針は折れたかもしれませんが、神経と魔素器官に刺されば、どうにでもなります」

「怖ぇ女」


 いつの間にか近くまできていたウタがそう言った。「おう、ライト。派手に落とされたな」そう笑う彼の顔に、焦りや心配といった感情は見られない。


「まぁ、受け身はうまく取れてたみてぇだし、酷くてヒビだ。大人しくしとけば問題ねぇ」

「さすが、守護槍」

「だろ?」


 にぃ、とウタは笑った。守りを主とする彼は冷静かつ正確にライトの受け身を見極めていた。

 だから焦りも心配もなかった。そこまで致命的なものでなく、無事だとわかっていたから。


「課題は色々あるが……俺ら初めての共闘だ。そう思えば、十分だろ」


 少し前にライトが思ったことをウタが口にした。

 その視線はライトではなくダルクに向いている。言外に、お前の作戦が悪かったわけではないと伝えたがっているようだ。

 そんな視線の意味を正しく理解して、ダルクはひとつ息を吐きだした。


(切り替えなくては)


 ウタの言う通り課題は多い。だが、後悔するのは今ではない。

 頬を軽く叩いて立ち上がる。それから、もう一度【サイファリス】を見た。


「……落ちるまであと数十秒といったところでしょうか」


 言って、針を取り出し右手で構える。左手には布が一枚。ダルクはその布で針の先を軽く拭き、一歩前へ出た。

 ライトはまだ知らないが、ダルクの暗器闘技は本来のそれよりも暗殺術に寄っている。

 なるべく多くの武器を仕込むことが必要とされる暗器闘技は、武器と肌が密着することも多いため基本毒物は用いない。針やナイフに毒を仕込むことを躊躇わない暗殺術との大きな違いといえるだろう。

 だが、ダルクは暗器闘技の使い手でありながら毒も用いる。武器のすべてに毒を仕込むのではなく、必要に応じて毒を塗布する形だ。

 持ち運べる毒の量は多くない。そのため、戦う相手によく効く毒が必ずしも手元にあるわけではない。

 ただ今回はあらかじめ赤鷲型レッドイーグルが相手だとわかっていたので、保険で毒を仕入れていた。その保険が、今生きている。


 もがき苦しんでいるとはいえ、【サイファリス】は完全に無力化されたわけではない。たとえこのまま地面に落ちたとしても、這いずり、鋭い鉤爪を振り下ろし、吐息を用いてこちらを攻撃してくるだろう。

 それでも勝ち筋がないわけではない。だが、そうなるよりも早く、勝負を決めることも不可能ではない。

 許されるのは三秒にも満たない短い時間。すなわち。


(【サイファリス】が落ちるその瞬間、絶対に避けられない、弾かれないタイミングで毒を打つ)


 ダルクはそこまで力強いわけではない。今回の作戦も、針の打ち込みをしてくれるライトがいたから成り立っただけだ。全力でナイフや針を投げても、分厚い皮に浅く刺さるのが精一杯でそれ以上は望めない。

 ただし、柔らかい箇所もいくつかある。普段であれば相手も急所を隠すように柔らかい部分を守ろうと動くが……翼を失ってしまえば、それも不可能だ。


(狙うは、眉間)


 赤鷲型の眼球は意外と硬いので針を刺すのに向いていない。だが、瞳と瞳の間は、一般人にはあまり知られていない弱点となっている。

 翼が使えるときは、本能なのか、ほぼ必ず眉間に向かった針が翼に弾かれてしまう。

 だが、翼が使えなければ。

 針を弾くものも存在せず。


 ──そして、およそ十秒後。

 ひときわ高く鳴いた【サイファリス】がその巨体を傾けると同時に、銀色に輝く針が打ち込まれた。

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