サイファリス

 魔獣はまず、その特徴によって七つの種に分けられる。その後、形状や生態などを基準に型という分類がなされ、個別名持ちネームド以外の魔獣はこの型で呼ぶのが普通だ。

 たとえば【サイファリス】は種でいえば獣種ビーストに分類される。動物が何らかの理由で魔獣に変異したと考えられている種だ。

 他の種と違い、その姿は馴染み深いものが多い。型の数も多く、場所を問わず生息が確認されている。

 とはいえ動物と姿かたちが変わらないというわけではない。その姿は必ず歪で、魔獣と戦わない一般人であってもすぐに見分けることができる。

 赤鷲型レッドイーグルと呼ばれる個体は通常の鷲に比べて巨体であることが多く、また名前の通り全体的に赤みがかった羽毛を持つ。通常の動物との見分けがつきやすい型のひとつだといえるだろう。

 個別名持ちネームドであってもこういった特徴は変わらない。氷結能力を持っているからといって羽毛が白や青になることはなく、体長も三メートルを優に超える。


 故に、その身体は目立った。


 能力のせいで凍った木々は白く染まり、雨でも降ったのか地面にはうっすらと氷が張っている。

 銀景色ほどではないが、白に染まった世界。

 そこに、真っ赤な大鷲が一匹。

 人間たちが【サイファリス】と名付けた魔獣だ。

 休息を取っているらしく、魔獣は羽をたたんで地面に座り込んでいた。警戒は続けているようで、鋭い瞳はゆっくりと左から右へ、右から左へと動いている。

 周囲に他の魔獣の気配はない。それでも魔獣は警戒を緩めなかった。


 果たして、それが功を奏したのか。


「!!!!!!!!!」


 大鷲が突然翼を広げて飛び上がる。鋭い鳴き声が木々を揺らし、周囲に冷たい風が流れ始める。

 警戒を強めてまなざしを遠くへ。だが、数秒遅い。警戒するよりも早く魔獣の半分ほどしかない大きさの何かが迫っていた。


「――――――――――――――――――――――――!!!」

「シッ!」


 魔獣の鳴き声に重ねて、それが息を吐きだして回し蹴りを繰り出す。

 対魔格闘技のひとつ、〈蒼天墜スカイダウン〉をベースとした蹴り。本来ならば一度敵を空中へと打ち上げてから叩き落すため繰り出す技であり、小さな体の魔獣への使用を想定したものだ。

 そのためか、三メートルを超える巨体への効果は薄い。魔獣はさらにひとつ叫びをあげてぐるりと旋回。その勢いで攻撃を繰り出した人間を地面へと叩きつけようとした。

 だが人間――ライトも予想はしていたようで、コンマ数秒の差で相手と距離を取り、近くの木の枝に一度ぶら下がる。そして地面へと降りて「あっっっぶな!」と声を出した。


「『あっっっぶな!』じゃねーよ! この馬鹿! ドアホ! オマエ今、技続けようとしただろ!?」

「いけるかな、って思っちゃって。まあほら、こうして無事だし!」


 言い争いながらも構えの体勢を解かないあたりはさすがというべきか。大きな舌打ちをしたウタが「クソッタレ、説教はあとだ!」と叫んだ。


「右は時間の問題だ! 次行くぞ、次ィ!」

「了解。……それにしても、ダルクはすごいね。もう効果が出始めてる」


 そう言ったライトの視線の先には、旋回を中断しこちらをにらみつける【サイファリス】がいる。口元からは白い霧――おそらくは冷気――が漏れ出し、翼がはためくたびに氷の礫が生まれ落ちる。

 本来ならばすぐにでも急降下して攻撃するだけでなく、ダルクが読んだ通りの氷結能力で仕掛けてきてもおかしくない。

 しかし、魔獣は一定の高さを保ったまま二人に近づこうとしなかった。


(まずは、私がこれで片翼のを止めます)


 この森に入る前の作戦会議で、ダルクが言い放った言葉。


(赤鷲型だけではなく、翼を持つ魔獣のほぼ全てに言えることですが……彼らは翼に、魔獣特有の器官を持っています)


 それは神秘や魔法などの言葉で語られる、人智を超えた能力とよく似ている。人間には存在しない、動物にも存在しない、魔獣だけが持つとされる力。


(魔素。それが魔獣の身体を駆け巡る力の源だと言われていますよね。それを、一時的に止めてみせます)


 三メートル越えの巨体を、少ない羽ばたきで浮かせているからくりが魔素だった。研究はほとんど進んでいないが、筋力増強の他、多くの身体能力に影響するといわれている。

 個別名持ちネームドの特殊能力もこの魔素によるものが多い。物理法則や常識を無視した、説明のつかない事象。そのほとんどが魔素を原因とする。

 魔素は魔獣の体内を循環している(と言われているが、真相は定かではない。なにせ、目に見えないものだ)。ダルクはその循環を止めるといったのだ。


(それだけで、相手の飛行能力は落ちるでしょう。それだけではなく、【サイファリス】の氷結能力が翼を起点とするものならば、そこにも効果が見いだせるはずです)


 どうしてナイフ一本で循環を阻害できるのかは二人にはわからない。ダルクからは「終わった後に説明します」とだけ言われている。


(少し離れた場所からわたしがナイフを投げます。おそらく相手はすぐに気づいて飛び立ってしまうでしょうが、あの大きな体です。完全に避けるには至らない。そしてナイフによって傷ができた場所を気にしているうちに、ライト、あなたに攻撃を繰り出してほしいのです)


「一時的に魔素が薄くなった場所を、ピンポイントで殴ることで魔素を流す器官を破壊。それ以上魔素を流せなくする……ね。よく思いつくよ、本当に」


 言葉にしてしまえばそれだけのことだった。多少の知識があれば簡単に思いつく方法だ。

 しかし、実際に行うとなると難しい方法となる。

 まず、魔素を薄くする――ダルクの言葉を借りるならば「一時的に魔素を止める」ことが難しい。仮にそれがうまくいったとしても、直後、相手が大勢を立て直しこちらに注意を向ける前にピンポイントで魔素の流れが悪い場所を叩くというのは、あまりにも無謀だ。


(ホント、恐ろしい)


 ひゅう、とライトは口笛を吹いてダルクを讃える。

 流れが悪くなる箇所には自分が目印を置くと言った彼女。

 そして――その言葉通り、ナイフを同時に二本投げ飛ばし、魔素の流れを阻害するだけでなく目印も作り出してみせた彼女。


「暗器闘技って、あれも必修?」

「いや、俺の知る限りだとダルクとその師匠くらいだぜ」

「だよねぇ」


 ライトは翼に刺さったナイフを、回し蹴りによってさらに強く打ち込んだにすぎない。威力よりも、次の行動への切り替えのしやすさと、技のスピードを重視した選択。その結果繰り出されたのが〈蒼天墜〉だった。


 流れを見極めそこにナイフを投げるだけならば、容易とまでは言わずとも、知識と努力があればなんとかなる。

 真に驚くべきは、流れをとめるナイフと目印となるナイフが同じタイミングで投げられたことだ。

 相手の回避行動を予想したうえで阻害用のナイフがどう当たるかを正確に把握し、さらに魔素の流れがどう変化するかを予測。予測地点に命中するよう、軌道の違うナイフを放つ。

 回避行動の予想。ナイフを投げ、どの箇所に当たるかを把握。魔素の流れの変化。これらひとつひとつの要素は知識と訓練でどうにでもなる。

 だが、それを同時にひとつのミスもなく行うとなれば。

 才能か、血の滲むような努力か、はたまたその両方か。

 無意識のうちに、ライトの顔に笑みが浮かんだ。あぁ、なんて良い仲間と巡り会えたんだろう。

 叶うならばダルクとも一度手合わせをしてみたい。その時はどう動こうか。考えれば楽しいだろうが今はそのときではないと気持ちを切り替える。


「それじゃ、左も落とそう」


 ウタに、というよりは自分に対してそう言って、両の拳をあわせる。

 戦いは、ここからが本番だ。

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