EP1 鏡合わせの馬鹿

死なないつもりで、死ぬ覚悟を

「うるせぇ! 文句があるならここで俺らをぶっ殺して止めりゃあいいだろうが!」


 ガンッ、と木製のテーブルに拳を打ち付ける音が響いた。何事かと酒場中の視線がそちらへ向く。ライトもつられて、音の発生源へと視線を向けた。

 一人の男がテーブルに身を乗り出して腰を浮かせていた。成人して間もないくらいの年だろうか。左目を隠すように前髪が伸ばされている。揺れた髪の隙間からはちらりと包帯が見えた。

 焦げた茶の髪色は大陸ではそう珍しいものではない。ただ、前髪で隠れていない右目が透き通った青色なのが特徴的だった。青い瞳も珍しいというわけではないのだが、彼の瞳はどこまでも澄んでいて綺麗だった。

 もっとも、その奥に見え隠れしているのは怒りの炎である。澄んだ色だからこそ、怒りがよりはっきりと見て取れるのだろう。

 少し離れた場所からでもわかるほどのものだ。目の前の、ライトには背を向ける形で座る、件の男と対面した青年はもっと強くそれを感じ取っているに違いない。その証拠に青年が「こ、ころすって……」と震えた声を出した。


「出来ねぇってか!? なら文句言うんじゃねぇよ!」

「も、文句じゃない。ぼくは、ただキミを心配して……」

「心配? ふざけんなよ、ここでグズグズしてるクソカスに心配なんざされたくねぇ!」

「ひッ」


 男の口は非常に悪かった。その怒気もあり、どこのチンピラだと言いたくなるような口調である。

 対面する青年は震えあがってしまっている。同情のざわめきが広がり出した。男に対する厳しい視線も飛んでいる。

 ライトもまた、男をじっと見つめた。だがそれは男を責めるような視線ではない。


(さっきの言葉、)


 口調は荒かったが、チンピラの軽い、中身のない怒鳴りとは違う。もっと別の重みをもった訴えのように聞こえたのだ。

 そこに込められた想いを見極めるため、ライトは男から視線を外さない。他の非難の視線も男には刺さっているはずだが、気づいていないのだろうか。彼は怯えて震える青年に「いいか!」と叫んだ。


「俺らはな、。行けるところまで行ってやる、殺せるだけ殺してやる、進めるだけ進んでやる! 絶対に死んでやらない。最後までたどり着いてやる! けど、そのためなら命は惜しくない。そういう覚悟だ。……それを、その覚悟を、ここでただ諦めてるだけのやつに否定されたくなんかねぇんだよ!」


 叫ぶというよりは、吼えるような訴えだった。ざわめきは気づけば収まり、誰もが男の言葉に聞き入っていた。


 そして、誰もが二人が何を話題にしていたのかを理解してしまった。


「夢物語だっていうなら、そう思ってればいい。確証もないのに、勝手に諦めてればいい。ここで、俺が【魔獣の母】を殺すのを待っていればいい。だけどな、それを俺らに押し付けるな。俺らの覚悟を、そんな簡単な言葉で否定するな!」


 彼にそのつもりがなくても、酒場にいる全員がその言葉を自分に向けられたものとして確かに受け取った。馬鹿なやつだと思っている人も中にはいるだろうが、誰もそれを言葉にすることはなかった。

 それだけの覚悟と信念が、男の言葉には込められていた。

 そして何より、どうしようもないと口で言いながらも、みな彼のような存在に希望を抱かずにはいられないのだ。

 しばらくは誰も何も言わなかった。感情的になった心を落ち着けるための、男の少し荒い呼吸がやけに大きく聞こえた。


 静寂を作ったのが男なら、静寂を破ったのも男だった。呼吸が落ち着ていきたところで、彼は小さな声で――それでも静かな酒場では十分すぎる声量で――「それだけ本気なんだよ」と言った。

 先ほどまでの荒々しさはそこにはなかったが、言葉に込められた想いは変わらず伝わってきた。

 男はテーブルに立てかけていた槍を手に取った。それが彼の武器なのだろう。

 ちらりと周囲を一瞥して、ひとつ舌打ちをこぼす。ただそれ以上は何も言わずに、彼はそのまま無言で酒場の出口へと向かっていく。

 誰も男を止めなかった。そうして彼は酒場から出て行ってしまった。

 ぱたんと扉が閉まる。困ったように客が顔を見合わせて、再び静寂が訪れる。


「お騒がせして、もうしわけありません」


 凛とした声が、男のいた席から響いた。

 ハッとして、誰もがまたそこを見た。ライトも同じように男が去った扉からそこへと視線を動かし、言い合っていた二人の席にもう一人少女が居たことに初めて気づいた。


「わたしの連れが、失礼いたしました。彼に代わって深くお詫び申し上げます」


 少女は立ち上がると、ぺこりとお辞儀をした。肩口で切りそろえられた茶の髪が揺れる。


「食事代はここに置いておきます。釣銭は、迷惑料としてどうかそのままお受け取り下さい。……けれどもどうか、彼の言葉はしかと覚えておいてください」


 テーブルの上に麻袋が置かれる。カチャリと金属音がした。袋の大きさからして、彼女の言葉通り食事代には多い金が入っているのだろう。


「わたしたちは、生きる覚悟と命を賭ける覚悟をもって【魔獣の母】を殺すのだと決めたのです。何の覚悟もなく流され諦めた方々に、それを無理だ無駄だと言われたくはない」


 さきほどの男のように吼えるのではなく、彼女は淡々とそう言った。だがやはりそこには、男の言葉と同じ重みがあるように感じられた。


「――楽しい晩餐に水を差したことは謝罪します。それでは」


 彼女はもう一度頭を下げて、男と同じように酒場から出ていった。

 扉が完全に閉まると同時に、ゆっくりと酒場のざわめきが戻り出す。店主がテーブルの上に置かれた麻袋を確認しに行き、数人の客が残された青年に声をかける。


「あんな、やつら」「どうして」「何があって」「本当に」


 交わされる会話はいつもより静かだった。あの二人の態度と言葉を考えれば当然といえるだろうか。

 ライトはそんな酒場をひっそりと抜けることにした。今ならまだ、男は無理でも少女には追い付けるだろう。


 店員に代金を渡して酒場を出る。大通りと路地、少女たちがどちらに向かったかはわからないが、ライトはひとまず大通りを見ることにした。

 路地に入られていたら追うことは難しい。逆に大通りに出たなら、その姿をまだ確認できるはずだった。


 見つからなかったら諦めようと思っていたのだが、少女の姿は以外にもすんなりと見つかった。

 酒場から大通りに出てすぐの場所に大きな木がある。待ち合わせ場所としても利用されるそれのすぐ横に、少女と先に出ていったはずの男がいたのだ。

 男は木の下にあぐらをかいて座り込んでいた。立ったままの少女が彼に向って何か言葉をかけている。

 不機嫌そうに眉を寄せていた男は、少女の言葉を受けるとすねたように口をすぼめた。視線を斜め下へと動かして少女の瞳を見ないようにすると、何かをぼそぼそと呟く。

 その内容は、さすがにライトの耳には届かなかった。ただ、酒場で声を荒げていた時の様な激しさはないように見えて、ライトは彼らに近づくことを決める。

 数歩進んだところで、ふと男の方が顔をあげた。ライトと視線があう。遅れて少女も振り返った。


「……なんだよ」


 ライトをにらんで男はそう言った。一方で少女は「あなたは、酒場にいた……」と言う。それを聞いた男が「あ!?」と声をあげると武器を手にして立ち上がった。


「まだ俺たちに文句があるってのか!」

「違う、そうじゃないんだ」


 慌ててライトは弁明した。ライトに二人を馬鹿にするつもりなどない。むしろ、用件はその逆だった。


「僕はキミたちにお願いがあってきたんだ」


 武器を持ったまま男は怪訝そうな顔をして、ちらりと少女に視線をやった。どう思う、と視線で尋ねているのだろう。

 少女は何も言わず、じっとライトを見ている。観察するような視線は冷ややかで、男のものとはまた違った怒りを含んでいるようにも感じられた。


「その、もしよければ、という前置きがつくんだけど……」


 冷たいまなざしを受けながらもそう言う。用件はひとつ。ただ、その願いを口にするのはライトにとっても覚悟のいることだった。

 一拍置いて深呼吸をし、ライトは二人の目を見た。そして、ゆっくりと口を開き、同じ夢を持つ彼らへの願いを口にする。


「僕も、果てへの旅に同行させてもらえないかな」


 それがライトの伝えたいことだった。

 酒場で声をあげた男を見たとき、そして彼が立ち去った後に少女が訴えた言葉を聞いたとき、ライトは確信したのだ。

 彼らならば、自分の願いを馬鹿にしないと。


「世界の果てを目指すのは、一人だとやっぱり無茶だろう? だけど、誰かを誘うにしても本気で付き合ってくれる人はなかなかいない。それで困ってたんだ」


 果ての自殺、なんていう皮肉まで存在する現代だ。本気で世界の果てに向かおうとするものは少ない。

 死ぬ可能性の方が高い、もっと言うのならば「死なずに戻ってこれる可能性がほぼゼロに近い旅」に出ようとするのは少数派である。まったくいないわけではないが、ライトの知り合いは「無理だ」と言って旅への同行を拒むものばかりだった。


「僕はもう少し南……チノっていう町の出身で、同じ夢と覚悟を持っている人を探してここまできた。そうしたら、キミたちを酒場で見つけて、あの言葉を聞いて……キミたちなら、この願いを笑わないでくれると思ったんだ」


 


 それは、ライトが生まれ故郷を出た時に抱いた覚悟と同じだった。


「僕は、僕の手で【魔獣の母】を殺したい。……いや、この言い方だと誤解を招くね。とどめは僕じゃなくてもいい。ただ、僕は【魔獣の母】を殺したい。魔獣を消し去るために、世界の果てにたどり着きたい」


 二人はしばらく黙っていた。武器を手に持ち警戒した態勢も変わらない。

 やっぱり突然過ぎただろうかとライトが後悔をし始めたところで、少女が「ふふっ」と笑いをこぼし、男が「ったく」と言って再びどかりと座り込んだ。


「アンタ、馬鹿だな」


 キミには言われたくないよと、ライトは男に返した。

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