10 イベントとあやかし界の異変
一周年記念イベントがもうそこまで迫っていた。
「くらげさん、ポスターもう一枚印刷してください!」
「了解。サイズは前と一緒でいい?」
「大丈夫です!」
拓人たち常連高校生たちも、アルバイトとして手伝ってくれている。各所にポスターを貼らせてもらったり、無料珈琲チケットを配布したりした。
そして当日。告知に努めたかいあって、たくさんのお客様が来店し、星草堂はいつになくにぎやかになった。可愛い猫耳メイドさんの二人も好評だった
午前中のメインイベントである海月と仲間によるお話し会は子どもたちに大好評だった。ひさしぶりのよみきかせに海月は少し緊張したが、図書館司書時代の仲間たちに助けられてとても楽しくできた。
桐野は、遠くで見守っていたら、同じような距離で見守る品の良い老婦人に気づいた。
「あのこはよいお友達を持っているわ」
老婦人はつぶやく。桐野を振り返り、微笑んだ。
「ああ、はじめまして。深草と申します。星草堂先代店主です」
「あ、どうも。海月さんにはいつもおせわになっています」
「お店にも活気ができてなによりです。自宅がそこですから、」と婦人は近くの邸宅を示し、にこりと微笑んだ。
「お店が若い子たちでにぎわっているのを時々見させていただいています。これからもどうかよろしくお願いいたします」
「もちろんです、わかりました」
桐野は、大きくうなずいた。
珈琲試飲イベントも好評だった。こだわりの強そうなご婦人に、この味ならまた来るわ、と言ってもらえ、海月は内心ほっと胸をなでおろしていた。
お昼の休憩の後は、桐野の弾き語り公演がまっている。もちろん海月にはものを食べる暇などなく、会場設営準備等に走り回っていた。
「くらげちゃん、休憩しな」
見かねた桐野につかまって、海月は強制的に休憩を取らされた。携帯食をかじり、ポットに入れたお茶を飲む。ほっとして、自分がけっこう疲れているのを感じた。温かいお茶がぴりぴりとしていた神経を癒してくれる。海月はほう、と息を吐いた。
「ありがとうございます」
「ちゃんと休憩しないともたないよ。緊張してそれどころじゃないのはわかるけどね」
こういうイベントの裏方は、目まぐるしく忙しい。それは桐野もよく知っていた。だからこその休憩時間なのだ。
海月はもう一度息を吐き、微笑んだ。
「ありがとうございます。リセットできました」
「午後から、楽しもうね」
海月は開場のアナウンスを終え、マイクを置いた。さっき着替えた舞台衣装は、華やかで。着慣れなくて、緊張する。
耳元でしゃらしゃらと鳴る耳飾りが心地よかった。
そして、桐野のライブが始まった。
最初は、桐野の弾き語り。来客層を考えて、年配の客にもわかるような曲なども演奏したり、桐野の選曲の配慮はぴったりはまっていた。
皆が盛り上がったところで、桐野のMCが入る。
そして、特別ゲストとして『ねこの@しっぽ』名義の海月が呼ばれた。知っている若者を中心にざわめきが走る。海月は極力観客を見ないようにして、ピアノに座った。
演奏はとても楽しかった。
新曲『白と黒のダンス』を披露するころには海月の緊張もほぐれていて、大変に楽しくなっており、飛び入りメイドのほたると琥珀の踊りもあって、大いに盛り上がった。
桐野のライブは、結果、大成功だった。
満員に立ち見まで出た会場は、いまだ拍手がなりやまない。舞台袖に引いた桐野と海月は、眼差しを交わして笑顔を深めた。
アンコールの声がきこえてくる。
桐野が、水分を取りながら、海月に笑いかけた。
「先に行ってきなよ」
「き、桐野さんの曲を皆さん求めておられるんですよ」
「うん。だからさ、僕が一曲歌うから、もうちょっと一息つく間、くらげちゃんが挨拶とかしてていーよ?」
にっこりと邪気のない笑顔で桐野が言った。
「……してて、いいんですか?」
「だって、君の客だろ? みな日ごろの君に感謝して集まってるんだよ」
桐野は、海月の伴奏で歌ってた間のことを思い出した。結構な人数が桐野の歌ではなく、海月のピアノに意識をもっていかれていた。 彼女はこの人たちにちゃんと愛されてる。そう思って、なぜだかうれしくなったのだった。
「わかりました。ちょっとごあいさつしてきます」
といって舞台袖である厨房から星草堂をのぞいたが皆の期待に満ちた顔にひるむ。桐野は笑って、海月の背中を軽くたたいた。。
「僕も一緒に行くよ」
「アンコールありがとうございます」
桐野はきらきらした笑顔で手を振った。
「まずは、本日の主催者、店主の星村さんにご挨拶いただきますね。では、どうぞ」
マイクを手渡すときに、お客さんには見えないように、桐野がぱちんとウインクした。海月は笑みが浮かび、肩の力が抜けた。
「本日は、星草堂書店の一周年記念イベントにご来場いただきありがとうございます。おかげさまで、すべて大盛況です。協力してくれたスタッフの皆、スペシャルゲストで歌ってくださったキリノアオトさん、そして、何よりも、ご来場くださった皆様。皆様のおかげで、新生星草堂はこれまでやってこれました。これからも、焦らず弛まずコツコツとやっていきたいと思っております。どうか、今後ともよろしくお願いいたします」
ぱちぱちぱち。会場に温かい拍手が満ちた。
「ありがとうございました。ではキリノさん、お願いいたします」
「どうも。じゃあアンコールいただいたんで、最後に一曲歌わせてください」
にこにこと桐野は舞台の中央に立ち、ギターを構えた。
「愛する人へ」
桐野の、大事な人を想うオリジナル曲だった。歌詞からどことなく桐野と祖母の姿が連想されて、海月は感動が止められなかった。舞台の袖で心が震え、涙がこぼれる。
客席からも、鼻をすするような音や、感動している様子が伝わってきた。曲がおわり、会場は大きな拍手で包まれる。
海月は感情がこもりすぎないように気を付けながら、終演のアナウンスをした。
「本日の演目はこれにて終了いたします。お忘れ物のないようにお気をつけてお帰り下さい。本日はご来場いただきまして、本当にありがとうございました」
「ありがとうございましたっ」
桐野も満面の笑顔で手を振り、ステージを去る。満場の拍手で、イベントの幕は下りた。
桐野には控室代わりの母屋の一階で休んでもらい、その間に海月は会場の片づけに奔走した。来客の常連さんなども手伝ってくれて、割合に早く通常通りの営業ができそうな形まで片付いていった。いろいろな協力をしてくれた関係者たちに頭を下げて回っていると、そのまま商店街のお偉いさんたちが海月を祝宴、という名の打ち上げ飲み会にさらっていった。ほたると琥珀が、「あとはまかせるにゃ」と手をふって見送られた。
一息ついて会場を覗いた桐野は、君も打ち上げに、と誘われたが丁重に遠慮させていただいた。
お手伝いに来ていた高校生たちも、夕方には帰宅した。
昼間が嘘のように静まり返った夕闇の星草堂で、桐野はひとり、余韻にふけっていた。
ひたすらにギターを弾く。メロディが、曲が、あふれてとまらなかった。
天井をみあげてためいきをつく。
「あー…………」
自分の心の動きが、そろそろ自覚されてきてしまった。
「やばい、なあ」
きっと彼女には弟のようにしか見られていない。年下だし。
「止まる、かな」
今はいろいろ恋愛とかしてる場合じゃないんだ。
でも。
「意志の力で止められたら、苦労しないよなー」
はあ。
夜の気配がだんだんと濃くなっていく星草堂で、桐野はひとりため息をついた。
※
星草堂の店内でひとりギターを奏でる桐野を、カウンターの内側で猫耳少年少女が眺めていた。
ほたるが、テーブルを拭きながらあくびした。
「タクト、楽しかったって。よかった」
「そうだね」
桐野のギターが響く。
「あっちは重症、だね」
琥珀がコップを磨きながら肩をすくめた。
※
からんからん。猫のドアベルを鳴らして、店主が帰ってきた。
「ありぇ、いてくだしゃったんでしゅね」
赤い顔をして、お酒の匂いがぷんぷんしている。相当酔わされたようだ。
「うん、おかえり、くらげちゃん。酔ってるね?」
「んー……。酔ってましぇん、といいたいでしゅが、酔ってましゅよね…。てゆーか熱もあるかもです」
海月はにへら、と笑った。
「え、熱!?」
「んー。相当頑張ったので、おそらく熱はでるとおもいますよぅ。むかしっからそうだったんでしゅ」
たしかに、海月の体は熱かった。それにふらふらしている。額に手をあててみてその熱さに桐野はぎょっとした。
「くらげちゃん、寝てるのはどこだい」
「んー。母屋の2階の奥の部屋で……。本棚の、隅にふとんをしいてねてます…」
「じゃあそこまでいこう」
「おふろはいりたいな……」
うわごとのように海月がつぶやく。桐野はちょっとあきれてつっこみをいれた。
「それは熱が下がってからがいいと思うよ」
「えー。やだなあ…。今日めっちゃがんばったんですよ。そんな日は熱いお風呂にはいらなきゃー」
完全に酔っている。酔っている病人なんて手におえないな。次の日起きて、記憶があったらもだえるだろうな。想像して桐野は苦笑した。
「病人はおとなしくしてなさい」
「んー。わかりましたぁ……」
ふらふらな海月をかかえて二階に上がる。そこはほぼ書庫だった。
「君どこに寝てんのさ」
「ここでしゅよう?」
書架と書架の間に、布団を立て折に半分に折ったくらいのスペースがあり、寝袋や毛布らしきものが敷かれていた。桐野は頭を抱えた。
「実家、帰る?」
「むりでーす」
「だよね。タクシーとかよぼうか」
「やだ。おかあさんにおこられる。女の子が酔っ払ってはしたないって。わたしもう大人なのに! おばさんなのにー」
「きみはおばさんじゃないよ。ともかく、あーもうわかった、ちょっとまってろ」
桐野は部屋の入口あたりの本の入った箱をどかして片付けて、何とか布団を一枚敷くスペースを作った。
そこに海月を横たえる。
荒くなった息が、体調の悪さを表していた。
「アイスノンとか買ってくるよ」
と背を向けかけたが、何かが服にひっかかる。桐野が振り返ると、海月の指が、桐野の袖をにぎっていた。離さない。
「いっちゃ、やだ」
とろんとした目で、泣きそうな顔で、ねだられた。これは理性に対する試練だろうか。
「すぐにもどってくるから」
「やだ……。ねるまで、そばにいて」
「ああもう、わかった」
桐野はあきらめて、枕元にどかっと座り込んだ。海月の頭をなぜる。袖を握る手をそっともう一方の手で包むと袖から離し、その手でにぎった。熱くて、小さな手だ。
子守唄を小さく優しくくちずさむ。
ほどなくして、海月は眠りに落ちた。
桐野は微笑んで、もう少しだけ髪を撫ぜ続けた。
「氷枕、買ってきたよ」
帽子をかぶった琥珀が近くのドラッグストアの袋をさしだした。
「たべもの、買ってきた」
フードをかぶったほたるが、スーパーの袋をさしだす。
「ありがとう、琥珀、ほたる」
翌朝、海月の呼吸が落ち着いてきたのを見届けて、桐野はほたるに、後のことを頼んで帰った。
※
ひらりひらりと、色づいた葉が舞う。
桜姫の宮殿で、藤姫は床に就いていた。
青ざめた顔で横になった藤姫を、桜姫は心配そうに撫ぜる。
「……逝ってはならぬ」
「さくらさま」
「ならぬ。樹木の寿命など、あってなきがごときもの。負けてはならぬ」
「桜様。……泣かないでくださいませ」
「泣いてなどおらぬ」
「そうですね」
藤姫は、そっと袂から出した手巾で桜姫の頬を拭った。
「私は、負けませぬ」
「そうだ。負けてはならぬ。わらわはまだ、そなたに返答もできていない」
「そうですね。いつでも、お待ちしております」
藤姫はやつれた頬でにっこりと微笑んだ。
来客を告げられた。
緊急事態だという。
桜姫は御簾を降ろして、来客を通した。
琥珀が青ざめて現れた。
「桜姫様。お力を貸してください!」
紅葉姫みらいの木が枯れかけているのだという。
秋口から紅葉姫は呼んでも現れず、徐々に木の葉が弱り、今は茶色く病んでいるようだ。
紅葉姫は、四季姫のひとつ。一大事だ。
桜姫はため息をついて立ち上がった。
「藤。すまぬが、少し離れてもよいか」
「ええ。お仕事の方が大事にございまする。行ってらっしゃいませ」
「すぐ戻る。何か不調があったらすぐに知らせを」
「お気遣いなく。最近は体調もいくぶん良いのですよ」
身を起そうとする藤姫を優しく撫ぜて、桜姫は微笑んだ。
「いいから、寝ておれ」
「わかりました。行ってらっしゃいませ」
藤姫は横になったまま桜姫を見送った。
――――海月。車の用意を頼む。
鏡が突然光り、要請を告げる。ほたるが首を傾げた。
「さくらさま?」
「そうね。……ほたるちゃん、拓人くん。悪いけどお店、頼める?」
ちょうど勉強しに来ていた拓人が微笑む。
「わかりました。お任せください」
桜姫と琥珀を車の後部座席に乗せ、海月は出発した。
「桐野さんの実家の方でいいんですね」
ナビを操作して、設定する。
琥珀はひどく青ざめて、うつむいていた。
「あの、好きな子になにかあったんですか?」
「……枯れかけてて」
あえぐようにつぶやく。見かねた桜姫が補足した。
「紅葉姫は、四季をつかさどる姫のひとりでもあり、巫女姫なのじゃ」
「はい」
「電子の世界、今この世に置いて若者が好む世界……二次元というのかの。そういった世界とあやかしの世界、そしてこの世界をつなぐ鍵となる娘だ」
「そう、なのですか」
海月は運転しながら頷いた。
「最近の若い子たちは、動画サイトはもう古いといいます。今はいろいろなアプリの時代なのですって。動画サイト出身の人間としては、古いといわれると複雑なのですが。時代の変遷に、そちらの世界も影響をうけていたりするのでしょうか」
「そうよの。時代は変遷する。我が生まれたころにはいわゆる『二次元』、人びとが好み消費する架空世界などこのように大きなものではなかった。皆で共有するものではなかったな」
桜姫は窓の外を眺める。
「最近のことじゃ。ゆえにまだ若い紅葉姫がつかさどることになったのじゃ」
車は琥珀の家の近くの神社に着いた。
階段をのぼる。
神社の森の中で、紅葉姫の木の前に琥珀が案内した。琥珀が足しげく通ったのだろう、枯れ葉が踏み固められて道ができている。
木の前で、海月は息をのんだ。
白いはずのしめ縄が、泥のようにこびりついた黒い汚れで今にも落ちそうだった。
「これは」
桜姫がにらみつける。
「玄冬王。呑まれたか」
「水鏡よ」
桜姫は意識を集中し、顔の前で手を合わせた。水色の光が手の間に集まっていく。
手を開いていくと、その場に浮かぶ水の塊ができた。形を安定させてふう、と息を吐く。
「映せ」
すっと表面を撫ぜると、そこに別の空間の情景が映し出された。
「みらい!」
琥珀が息をのむ。
岩場のようなところで、緑の髪の少女が手枷につながれていた。
少女はうつむき、目をとじたままだ。髪の色はよく見ると色が落ちて、枯れ葉のように黄色くなっている部分がある。肌も殴られた後のような斑色に、茶色い痣が広がっていて、無残な様子だった。
「斎場が、このように汚れているなど……っ」
桜姫は神聖な斎場であるはずの岩場の淀み、汚れに憤っていた。本来ならば水が流れ植物が生い茂り、動物が歌う楽園のような場所のはずなのだ。
「最近、水が少ないってみらいは言ってた」
琥珀が歯を食いしばりながらつぶやいた。
「皆の関心が減ってきたって。祈りが少なくなったって。だけど、ちゃんと流れているから、それを守るのが自分の仕事なんだって!」
握りしめたこぶしが、震える。
「なんで、枯れてるんだよ」
桜姫が、水鏡越しにすっと手をかかげた。淡い桜色の光が髪を揺らす。掌にあつまって、はなたれた。
水鏡の画面を潜り抜けて、岩場へ光は届き、はじけて広場中を覆う。きらりと一瞬水が見えた気がしたが、何事もなくそのまま光はすいこまれて消えた。
「このままではならぬ」
桜姫が、すっと目を細めた。
おそろしい気迫が、桜姫から発せられていた。
海月は思わず、三歩ほど後ろに下がった。
「琥珀。由加神社に即刻参るのじゃ。獣の君の力を借りよ」
「はい」
琥珀は白くなった手を再び握りしめた。
「ここからではどうにもならぬ。我が屋敷より異界の道をたどり、直接岩場へ行くのじゃ。何としても紅葉姫を助けねば」
「ありがとう、ございます!」
帰りの車中は始終無言だった。琥珀は耳を尖らせてうつむき、桜姫は何やら集中しているようだった。
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