8 新曲


 海月は、その足で実家に帰っていた。実家の方が近かったのと、作曲のための道具はすべて実家に置いていたからだった。親たちが寝静まった深夜、音を消しヘッドホンをして、ひたすらに曲を作り始めた。久しぶりの感覚だった。

 心に浮かぶのは、いつぞやの桐野の路上ライブで感じた迫力や、先日の合奏の高揚感。楽しくて楽しくて、心の底から力が湧いてくるような音楽のちから。人を幸せにする魔法のちから。それを今日触れ合った黒猫と白猫の姿にのせて、曲に落とし込む。

 そして、花火。深草堂での、桐野との時間。ふとわきあがる想いが、海月の自覚の有無とは別のところで、意識の内側から曲の中に零れ落ちていく。

 海月は一心不乱に鍵盤をたたいた。


 真夜中に、メッセージが来ていた。珈琲休憩中に開いたメールに、海月は微笑んだ。

 

――――曲、作ってる?


「もう。エスパー? ……ふふ」

 こちらの様子を透視でもしているのだろうか。桐野と呼吸が合っていることに、嬉しさがこみ上げる。一心不乱に創作をしていたこともあり、心の壁がいろいろと開いていて、油断したら余計な感情がこぼれてきそうだった。

  海月は楽しく返信を打つ。

  

――――こんばんは、桐野さん。曲はちゃんとつくってますよ。


――――そっか。楽しみだな


――――もうすこし、時間がかかりそうです。


――――了解。邪魔しないで寝るよ。おやすみ。


――――おやすみなさい。


 子どもが楽しみにしている遠足の前日のような桐野の様子に、海月はふふっとわらって、またパソコンに向かって打ち込み始めた。



 次の日の、下校時刻。

 みのりが店に顔をのぞかせた。

「あ、朝開いてなかったのに。さてはくらげちゃん遅刻? くらげちゃんが寝坊なんて珍しいねえ」

「うう、言わないでみのりちゃん」

 久しぶりに実家に帰って、油断したのだ。朝の渋滞をなめていた。海月が星草堂についたころには、桜ケ丘高校では始業のチャイムが鳴っていた。

 そのあとも、今日は一日いろいろあったのだ。海月は笑顔に若干の疲れがにじむのを止められなかった。


  ※

  

 朝、走って店に着いたら、いつも週刊誌を買いに来るおじさんが店の前で待っていて、海月は恐縮しながら雑誌を手渡した。荷ほどきをし、今日の新刊を並べて。ふらふらする頭を押さえた。

 寝坊どころか、昨夜は一睡もしていない。メロディが頭をかけまわり、寝ることができなかったのだ。

 おおあくびを三回と、居眠りでこっくり舟をこぐのを2回やったあげくに、海月は潔く休むことにした。来客があってもカウンターで人が寝ていたら困るだろうし。客足が落ち着いた十時から十二時まで臨時休店の張り紙をし、鍵を閉め、二階で横になった。

 十二時前に、メッセージの着信で目が覚めた。

 

――――今日は、お休み?


(桐野さん!?)

 あわてて二階の階段窓から一階をのぞきこむと、ガラスのドアのむこうで桐野が手を振っていた。桐野の祖母と、他にはおそろいの帽子をかぶったかわいらしい少年少女の姿があった。

 

 超特急で身だしなみを整えて、海月は店を開けた。

「おはようございます」

「うん、おはよう」

 桐野はにこにこと応じた。

「めずらしいですね、もう大阪に?」

「ううん、みんなで近くのショッピングモールに買い物に来たんだよ」

「ああ。なるほど」

「つれてきたよ」

「ありがとうございます」


「こんにちは、星村さん。早速にきてしまいました。中を見せてもろうてもええじゃろうか」

「あ、はいどうぞ。いらっしゃいませ」

 祖母ハツは、嬉しそうに星草堂の中を見回した。

「まあ、素敵なお店ねえ。こんな書店があったなんて」

「ありがとうございます。本はお好きですか?」

「ええ、昔はよく読んでいたんだけどね」

「ちょっと見させていただいても?」

「どうぞ、おかけになってごらんくださいね」

 お茶の準備をしながら海月はにこやかに応じた。

 ハツは俳句の本を手に取って、椅子によっこらしょと腰かけた。

 お茶を出して、散らかしたままだったカウンターに帰ろうとしていたら後ろに桐野がそっと忍び寄ってきた。

「曲、できた?」

 後ろから不意にささやかれて、海月は飛び上がった。

 とっさにカウンター上のUSBメモリを後ろに隠す。

「それにはいってるの?」

「えっと、あのですね……」

「聞かせて?」

 押しの強い笑顔で、桐野が迫る。海月は観念して差し出した。

「徹夜ハイで作ったので、ものすごく乱れてて申し訳ないです」

「いいよ。生まれたての曲を聴けるなんて、楽しみだ」

 桐野が、肩に担いだ鞄からミニパソコンをとりだす。その場でパソコンを開こうとするので慌てて押しとどめた。

 思わず息切れしながら、必死に訴える。

「どこか、ちがうところで、聞いてください。恥ずかしくて死んじゃいます」

 顔を真っ赤にして訴える海月がかわいくて、くくく、と笑って桐野はUSBメモリをポケットにしまった。

「じゃあウチでじっくり聞かせてもらいます。ばあちゃん、帰ろう」

「はいはい。この本をいただきます、海月さん」

「まあ、お気遣いいただなかなくても。でも、お買い上げありがとうございます」

 海月はハツが立ち上がる間に、本とお金を受け取りレジに戻ると、会計を済ませて本を星草堂特製の紙袋に入れた。

「ありがとうございました。また是非いらしてくださいね」

「ありがとう。お邪魔しましたね」

「またきます。ほたるをよろしくです」

「ええ、もちろん」

「みんな、またくるにゃ」

 ちょっとさみしそうなほたる。海月はそっとほたるの手を握った。

 さりげなく、買い物袋は桐野が持っているのをみて、海月は仲の良い祖母と孫の姿に微笑んだ。

 背伸びをして、完全に吹っ飛んだ眠気を確認。海月は微笑んで、テーブルの上を拭いたり、朝できなかった掃除をはじめた。

 (よし、再開店だ。)

 だけどふとした拍子に桐野に渡したアレが脳裏をよぎって、そのたびごとにしゃがみ込みたくなった。

(ううう。恥ずかしい。やっぱり抹消すればよかったかな。)

 海月は一人悶えて、消耗していた。



――――めっちゃいい!


 夜遅く、メッセージが入った。

 


――――すごい! これ、ぜったい歌いたい! 大急ぎでアレンジ仕上げるよ、待ってて!


(こ、高評価……! どうしようやばい心臓が)

 海月は胸を押さえてうずくまった。

(返信、しなくては。)

 気持ちだけが空回っていく。


――――こんばんは、早々にご連絡ありがとうございます。このたびは大変な高評価をありがとうございます。不出来なものではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。


 後から見直して、商業メールのようなそっけなさにまた頭を抱えるのだが、この時の海月は必死だった。


――――かたい(笑)

――――おやすみ、早く寝てね

――――ありがとうございます。お世話になります。それでは失礼いたします。


 桐野はスマートフォンの画面を見てくくくっと笑った。まっすぐに不器用な彼女が可愛すぎる。

「さあ、神曲の仕上げだ」

 もう一度機材に向かおうとすると、もう一通メッセージの着信の音がした。

 

――――ありがとうございます。おやすみなさい。


 ふわりとわらう海月が見えて、桐野は微笑んで、神曲の調教にとりかかった。


 ※


 じゃじゃーん。

 桐野が星草堂にpcを持ち込んだ。

『クロとシロのダンス』を披露する。


「こんな感じで、どうかな?」

「すごいです。こんなに素敵になるなんて!」

 つたない海月のピアノのメロディが、しっかりとした楽曲に変身していた。奇跡だ。

 桐野も興奮していた。 

「これ、オケ呼んで合わせたいなあ。さすがにここではちょっと無理か。僕、大阪に持って帰ってもいい? メンバーと録ってくるよ。何なら動画職人さんにも声かけてもいい?」

「おまかせします。その曲は桐野さんに差し上げます」

 海月はにっこり笑った。すでに別物だと思った。桐野の曲に昇華されている。

 しかし桐野は真面目な顔で首を振った。

「いやいや、ねこの@しっぽさんの曲だよ、これは。じゃあ、楽しみにしててね!」

 桐野はるんるんと大阪に帰っていった。

 海月は、自分の手を離れて曲が転がっていくことに身震いした。わくわくする。

(そうだ、せめてピアノの伴奏はがんばろう)

 ピアノの練習を、また再開した。

 

 

 秋も深まり、みらいの髪の色もずいぶんと紅葉に染まっていた。水鏡の向こうに琥珀をみつけて駆けそうとする。

 壮年の、黒い鎧を着た男性が、その細腕をつかんだ。

「紅葉姫」

「っ。……玄冬王殿」

 射抜くような目線で、みらいをその場に縫い留める。

「なりませぬ。あのような、小物に関わっては」

 まるでゴミを語るかのような蔑む口調に、みらいは恐怖を感じた。可愛くて幼い猫の精を思い描く。まだ生まれて20年もたっていない、ひよっこの精霊。

 彼に危害が及ぶこと考えると、みらいは玄冬王に従うほかなかった。

「神殿にお帰り下さい」

 一見穏やかそうな玄冬王だが、その声に潜んだ妬心や邪な心が隠しきれていない。

 黒い鎧からはみ出た影が、痣のように顔を覆っている。

 そのよどんだ瞳に紅葉姫みらいは息をのんだ。

 


「ねえ。珍しい本を入荷したの」

 海月は、手伝いに来ていた琥珀にその箱を見せた。

「先代の店主さんのご友人にいただいたのだけれどもね。何か、呪文のようなものが書かれているのよ。可愛いのだけれど、何の本なのかわからなくて」

 緑色の表紙は布張りで、肉球と、五芒星の刺繍がされていた。タイトルは『猫神術』脇に小さく、『素敵な猫になるための十五章☆』と書かれている。

「お店に出しても大丈夫かしら?」

 琥珀はぱらぱらと、本をめくった。

 猫の動きが絵で表現されている。そして脇には漢字と肉球の絵やひげで構成された呪文のような文章。

 半ばごろの挿絵を見て、琥珀は目を見開く。

 猫が、人になっていた。

 何かの動きをして、手から光線を発しているようだ。

 脳裏に先日の夢がよぎる。

 緑の髪の少女と、岩のような大男。

(彼女を、守らなきゃいけない)

 そのためには、いつまでも平穏な家猫の精だけではだめなのだ。

(強くならなきゃ!)

 琥珀はきゅっとその本を握り締めた。

「海月さん。僕、これほしいです」

「え?」

  高そうな本だけど。きっと琥珀にしか需要はないのではないだろうか。

「その。代わりにいっぱい働くので、この本を売っていただけないでしょうか!」

「あら、まあ」

 驚いたように海月はまばたきした。

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