6 海月の正体
「桜姫様。お茶に、行きませんか」
藤姫が言い出したのは、秋の初めのことだった。
二人の姫が人を装い、訪れたのは星草堂書店。
「ようこそ、星草堂へ。何なりとお申し付けくださいませ」
お冷を置きながら、海月は挨拶した。
桜姫は感嘆のため息をつきながら店内を見回す。
「この店の清涼感。自然と、あやかしが過ごしやすい空間が保たれておる。やはり海月、そなたは巫女の血筋をひいておろう」
「あら? そのような疑惑があるのですか? 確かに私の実家は長くあの地に住んでいたと思いますが、詳しいことは存じません」
「実家とはどこじゃ」
「
「ああ、なるほど。歌舞音曲に才があったりせぬか」
「……好んではおりますが。才というほどのものではございません」
「ふむ。一度舞わせてみようか……」
「桜様。人の子を惑わせてはだめです」
藤姫が唇を尖らせる。そのとおりだ、と桜姫は藤姫を撫ぜた。
品書きを広げて、藤姫が期間限定茶を指す。
「わたくしはこの、葡萄のお茶にいたします」
「では我もそれにしよう」
お茶を待つ間、お冷に口をつけつつ二人はゆったりとした時間を楽しんだ。
藤姫はにこにこと桜姫がご機嫌に語るのを眺めている。
ガラス窓の向こうに揺れる柳の枝に、桜姫は知人を思い出したらしく話題にあげた。
「柳の君は元気にしておるのか」
「先日、蒲公英の君と再会したそうですよ。夫君のゆずり葉の君とたくさんのお子をなされている姿にまた傷ついたとか言っておられました」
「あれも軟弱よの」
「柳の性をよくあらわしておられましょう。恋い慕う気持ちは一筋縄ではいかぬものなのです」
ふふ、と笑いながら、藤姫は出されたお茶に口を付けた。
「あら、不思議ですわね。甘くはないのに葡萄の風味がいたします」
「お好みにより、お砂糖をお足し下さいね」
海月がテーブルの端にある砂糖壺を指す。
「ありがとう」
「ふむ、茶の風味がよくわかって良い」
藤姫は微笑み、桜姫は我関せずで葡萄茶を楽しんでいた。
「恋、か」
桜姫がぽつりとつぶやく。
「藤、そなたは恋い慕う気持ちを知っておるのか?」
「はい、桜さま。ようく、存じております」
藤姫は優美に微笑んだ。先を越されたような気がして、桜姫は軽くすねたように唇を尖らせた。
「そうか……。我には夫君はおらぬゆえ、わからぬ」
「自然と、湧き出るものでございますよ」
「そうなのか」
藤姫は、遠い目をする。恋い慕う気持ちを思い描いているようだった。
「かなわぬ思いとわかっていても、とどめられぬのです。恋い慕う気持ちに翻弄されて、幸せにもなりますし苦しみに妬かれることもございます。柳の君などはお辛いでしょうね」
藤姫は憂い気にため息をついた。
(なんだ。藤姫の恋うひとは柳の君なのか? あのようなへたれを……)
桜姫は大変に不愉快になって、話を断ち切るように言う。
「新たな恋をすればよいのだ」
藤姫はその勢いに目を丸くして、そして微笑んで頷いた。
「そうですわね」
「海月、馳走になった」
「こちらこそ、ご来店ありがとうございます」
「また来る。そなたも我が屋敷に遊びに来るがよい」
「もったいないお言葉を、ありがとうございます。ぜひまた」
海月はにこりと頷いた。
「藤」
桜姫が藤姫を促す。藤姫は心得ていますとばかりに持参した風呂敷を解いた。
「はい。海月殿。これを」
藤姫が帰り際に、蔦の装飾で縁取られた鏡を手渡した。
「もし可能であれば、お店にお使いくださいませ。悪しきものを退けよきものを護ってくれるでしょう」
「ありがとうございます。ぜひ飾らせていただきますね」
笑顔で受け取り、海月は感嘆のため息とともに蔦の装飾を撫ぜた。
(和風で上品な、素敵なデザイン。どこに飾ろうかしら。)
二人の姫をお見送りした後で、海月は開いている壁を見回した。
※
いつのまにか空が高くなり、涼しい風が吹くようになっていた。秋だ。
桐野の来訪にあわせて、ピアノの海月用特別個人レッスンがはじまった。
長椅子に並んで腰かけて、鍵盤に向かう。
桐野の指が魔法のように曲を奏でた。
「こんな感じの曲なんだけど」
「……桐野さんはピアノをされてたんですか?」
「ううん、独学だけど。僕の相棒はギターだし」
「……ずるい。天才だ」
「そんなことないよ。君にだって弾ける」
「ですけど。私、何年もピアノ教室で習っていましたがそんなに弾けないですもん」
「コツをつかめば簡単だよ」
「……先生。いや、師匠。わたくし星村海月、ふつつかものですが、よろしくおねがいいたします」
ぷっ、と桐野が噴き出した。何かがツボに入ったのかしばらく笑っている。海月は首を傾げた。
「どうかしましたか、先生?」
「なんか、だって……っ、嫁に、来るみたいな挨拶だったぜ?」
かああっ。頬が赤くなった。
「そそそ、そんなつもりはなかったのですっ!!!」
「知ってる……っ。だからおもしろかったの……っくくっ」
「もう、笑いすぎです」
腹をかかえて悶絶する桐野をそのままに、海月は立ち上がり席を離れると、常備している檸檬水を汲んできた。
「ありがと」
笑いの発作をなんとかおさめた桐野が、それを飲み干す。
「ふう。……じゃあ、何か弾いてみてよ」
「え、今からですか」
「うん。気負わなくっていいからさ。今君が弾けるものを弾いて」
さっき爆笑していた人とは思えないさわやかさで桐野が言った。
「……わかりました」
す、と鍵盤に集中する。海月の眼差しが変化した。
最初は、ドから。
鍵盤を指がなぞり、ドレミの歌が流れだす。そのまま気の向くままに、大きな古時計、クリスマスの歌をいくつか、少し前のはやりのポップス。エリーゼのために、トルコ行進曲あたりをなぞったところでもうめちゃくちゃ楽しくなってきた。
はなうたでハモリながら、鍵盤にこぼれ出てきたのは昔作った曲。
懐かしくてたまらなくて、気が付けば歌いながら1曲弾ききっていた。
桐野がぽかんとしているのに気が付いた。
「す、すいませんへたくそな歌をおきかせしてしまって。ピアノは弾けるのですが歌は音痴だから歌わない方がいよって言われてたんですが、つい……」
「『ねこの@しっぽ』さん?」
「…………ハイ?」
(そ、そのような名前は存じ上げませんがががええ知りませんよどなたなんでしょうか。)
などという言葉は音にならずに喉の奥で消えた。
(やってしまった。まさか、あの動画を知っている人がいるとは思わなかった。)
海月は固まったまま、冷や汗が背中を流れるのを感じた。
「『ショコラとみるく』」
どきん。
「だよね?」
「そ。そんな名前の曲でしたか……」
嘘だ。よくわかっている、ショコラとミルクは昔、ほたるを拾う前にうちで飼っていた猫の名前だ。そして海月が数年前、気の迷いで、動画サイトに投稿したオリジナル曲のタイトルだ。
「うん。本人だよね?」
「…………お、オトウトが……」
「兄弟はいないってこのあいだ言ってた」
「あー……。おぼえていてくださったんですね…」
「ねこの@しっぽさん」
たたみかけるような桐野の問い詰めに、とうとう海月は観念して頷いた。
「……………………ハイ」
桐野の顔がぱあっと輝く。
「やっぱり! まじだろ!? 僕好きだったんだよね、ねこの@しっぽさんの『ショコラ』。『あおい自転車』とか、『にゃんことともに』、とかも歌ってみたりしてるんだぜ。また聞いてよ。レスポンス全然ないからもうやめちゃったのかと」
興奮して語る桐野に気おされて、海月はじりじりと後ろに下がった。穴があったら入って蓋をしめて閉じこもりたい、いや埋めてしまってください、といった気分だった。
「やめて、ますよ? もう過去の話です…」
「えー。もったいない。もっとやろうぜ。僕にさ、曲書いてよ。いつでもいいよ。待ってるからさ」
「ええ……。そんな、プロの方に、おそれおおい。もう動画サイトのログインパスワードだって忘れちゃったんです。過去のことなんです」
「いいから。書いて?」
キラキラ輝く目で、じっとみつめられて。
(なんだか……)
子どものようなまなざしに、根負けした海月は頷いた。
「……わかりました。できたら、お聞かせします。期待しないで待っていてくださいね?」
ぱあっと桐野が破顔する。全身で喜んでいるのがわかった。
(わんこみたいだ。かわいい。)
「おっけい。200パーセント期待してまってるぜ」
「……ハードルあげないでください」
ただでさえ、ささやかな趣味のレベルのものをプロの方に聞かせるなど勇気がいることなのだ。(……もう。)
桐野のはしゃぎっぷりに、海月は自分の戸惑いなどどうでもいいような気がしてきたのだが。
『ショコラとみるく』は最初に「ねこの@しっぽ」が投稿したバージョンじゃなくて、それをアレンジした人がいて、動画を作ってくれた人がいて、それで注目されたのだ。最初のものはつたない出来だったと、今でも海月は思っている。その人たちの力も借りずに素でみられるのは恥ずかしすぎる。
(うう。今からでも断れないかな……?)
迷いと弱気が表に浮かび上がり、桐野の顔を窺う。
しかし、とても嬉しそうな様子でにこにこしている桐野にいまさら否と言えるはずもなかった。
「じゃさ、『ショコラ』ひいてよ。僕が勝手に合わせて歌うから」
桐野は長椅子を離れ、肘掛椅子でギターをかまえた。
海月は息を、すって吐いた。覚悟を決める。眼差しが真剣なものに変化する。脳内を流れる音楽に集中して。鍵盤に指を置く。
レの音から、前奏を、奏で始めた。
楽しかった。
久しぶりだったから時々海月のピアノは乱れたけど、二人の息がぴったり合った。桐野が「ショコラ」を弾きこんでいるのも嘘じゃなかったようで、初合わせとは思えないような高揚した音楽になった。
「ショコラ」の後はそのまま「ねこの@しっぽ」の他の曲になだれ込み、ピアノとギターで誘い合って目配せして、笑って歌った。
「ありがとうございました」
「楽しかったよ! こちらこそありがとう」
「……知らなかったです。こんなに楽しいこと」
鍵盤をみつめて、ぽろりと海月の口から本音が零れ落ちた。
(本当に。……人と演奏するのがこんなに楽しいなんて。知らなかった。)
どちらかといえば引きこもり気味なインドア派だった海月は、一人で打ち込んで機械に歌ってもらう世界しか知らなかった。
知らない間に、世界がひろがっていた。
(一緒に演奏するって、すごいことなんだ!)
「また、しようね? 本番もね?」
にかっとわらった桐野に、海月は嬉しそうに笑って頷いた。
「ありがとうございます」
「新曲もおひろめしよう!」
「はい……え、ええ!?」
「作ってよ。待ってる」
「……鬼だ。鬼がいます」
海月はピアノに布をかけながら恨めし気につぶやいた。桐野は笑って、その日のレッスンを終え、去っていった。
※
実家に帰った桐野は、鼻歌を歌いながら洗濯物を片付ける手伝いをしていた。一緒にタオルを畳んでいた琥珀に絡んでいく。
「琥珀~。おまえかわいいな~」
「うにゃあっ」
桐野がぐにっと、加減知らずに黒猫の頬をひっぱった。黒猫はするりと転じて琥珀となり、涙目で逃げた。
「機嫌よすぎ」
桐野は気にせず、ギターをじゃかじゃかと鳴らしだした。
ため息をついて、琥珀は桐野の部屋を出た。
「まわりがみえてない。……アオトにはめずらしい」
ため息。
琥珀の知らない曲が響く。桐野の部屋は防音だが、家の作りが甘いために廊下まではよく聞こえるのだ。
「……アオトの作った曲じゃないね?」
なんだか、楽しいリズムだ。今は隠れているしっぽがはたりと動きそうだ。
「猫好きの音楽、か」
はなうたを歌いながら弾く桐野の音を背に、琥珀は目を細めた。
「ほたるの、ご主人様かな……?」
琥珀が、社会勉強もかねて星草堂にアルバイトに来ることになった。
週に二回、午後の忙しい時間に入る約束だ。
人手不足が解消されて海月は大喜びだし、ほたるも兄と接する時間が増えてたいへんにご機嫌だった。
琥珀は接客対応は少し苦手なようだったが、品出しや掃除、洗い物や買い出しなどこまごまとした作業を喜んでやり、またそれを根気よくほたるに指導してくれたので海月には大変助かる存在になった。
夕方に来店する高校生からも好評で、琥珀はたまに話しかけられては困惑したように朴訥とした返答をかえしていた。
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