3 あやかしの世界と春を司る姫



 和装の女性が星草堂の前に立った。

「ほしくさ堂とな。草など出されたらいかがいたす」

「桜さま、それはないかと思いますわ」

 藤色の着物の女性が困ったように微笑んだ。

 からん、と猫の形のドアベルが鳴る。

 いらっしゃいませ、と店主が微笑んだ。

 落ち着いた雰囲気の店内だ。二人は窓際の席にかけ、さりげなく店内を見回した。

「さて。このあたりから迷い仔のにおいがしたのだが、本日は不在と見える」

 桜姫がつぶやいた。

 品書きを眺める。

「お決まりですか」店主が水と手拭きをそっと供する。

「では、この桜茶とやらをいただこう」

「わたくしも、おなじものを」

 藤姫がにっこりと微笑んだ。

 桜の花びらの塩漬けが入った緑茶。桜の風味のお茶の底に、、花びらが揺蕩うさまは風情があった。桜姫は微笑んだ。

「ほう。よい風味じゃ」

「まことに。風流ですね」

 二人は静かにお茶を楽しみ、会話を交わした。

「たまにはこのようなおでかけもよいものですね」

「書物も気になるのう」

 店の半分を占める書棚を眺めながら桜姫がつぶやく。

「何かお求めになりますか」

 ふむ、と桜姫は店主を見た。

「娘。装束に関する本はあるか」

 海月は片付けの手を止めて、微笑む。数冊の本を見せた。

「和装についての書籍でしょうか? たとえばこういった雑誌がございます。こちらはその雑誌をまとめたものです」

「ほう」

 海月は二人の風格のある装いを見て、もう一冊付け加えた。

「こちらは由緒ある着物についての本です。それぞれに高級で入手は難しいのですが、せめて紙面で見たいとのことで編集されたそうです。よろしければご覧くださいませ」

 ほう、と桜姫は書籍をぱらぱらと眺めた。絹のかけらの見本が貼りあわされている。懐かしく、見たことのあるような柄もある。 

「藤、これがよい」

「桜様、お持ち帰りに?」

「屋敷で見るのも一興」

「では娘さん、こちらをくださいませ」

 その場で控えていた海月は微笑んで応じた。

「かしこまりました。しばらくお待ちくださいませ」

 女性たちは満足げに店を出ていった。

 着物を召した、茶道の家元のような風格のある難しそうなお客様を無事歓待できて、海月はほっと息を吐いた。

  

  ※


 翌日、ほたるが兄猫の琥珀とともに、桐野に連れられて帰ってきた。兄猫の少年も人になるらしく、黒い髪をふわふわと漂わせた中にぴくぴくと動く耳を持つ、琥珀色の目をした可愛い少年だった。何ならしっぽもつけてほしいような色気のある猫耳少年だ。見た目はほたるとそっくりなのに、ほたるよりもはるかにしっかりして見える。

「これから、頻繁に行き来できた方がいいかなと思ってね」

 桐野は二人にバスの乗り方を教えていた。ほたるだけでは心もとないが、琥珀少年なら大丈夫そうだ。桐野はぽんと琥珀の帽子に手を置いた。

「さて、僕はそろそろ行かなきゃいけない」

「駅ですか?」

「はい。大阪で、仕事が待っているんですよ」と桐野はギターを担ぎなおした。

「では、みんなでお送りしましょう」

 海月は『外しています』の看板を掲げると簡単に戸締りをし、みんなで駅へ向かって歩き出した。

「ほたるはちゃんと、満喫してきたのね?」

「うん。いっぱい話してきたよ。うづき、ただいま。さみしくさせてごめんね?」

「もう、大丈夫よ、ほたるってば」

 一晩とはいえ離れたのは久しぶりで、軽い喪失感にぼんやりしていたのは海月だけの秘密だ。

「良くしていただいていいるようで、本当に良かったです。妹をこれからもよろしくお願いします」

「あら、琥珀くんはしっかりしてらっしゃるのね。こちらこそ、よろしくお願いしますね。……ほたるちゃんを帰してくださってありがとうございます」

「うづき。あたりまえなの!」

 ほたるがぽこぽこと海月を殴った。海月は確信犯で笑う。

「ごめんごめん、ほたる」

 わいわいと、会話しながら歩く10分はあっという間だった。

「じゃあ、ここで。琥珀、気を付けて帰るんだよ」

「わかってる。アオトも気を付けて」

「では、星草堂さん。よろしくお願いします」

「はい。いってらっしゃいませ」

 三人で、駅の改札の向こうに桐野が向かうのを見送った


 また、星草堂まで歩く。ひんやりと冷えた店内に戻って、ほっと息を吐いた。もうすぐ夏だ。

「さて、琥珀くん。何か飲みますか?」

「ありがとう、海月さん」

 正体は猫さんなんだし、と海月はあえてなにも風味をつけていない水を出した。

  猫は柑橘類の香りを好まないことが多い。だがさすがにお出汁をだすわけにもいかず、とりあえずの真水となった。ちなみにほたるは麦茶を愛飲している。

  琥珀とほたるはおいしそうに飲み干す。海月も作りおいた麦茶で喉を潤した。

  

「あの、海月さん。僕たち、行かなければいけないところがあるんです」

 一息ついたところで、琥珀がほたるの手を握ってきりだす。

「あら」

 どうみても緊張しているその様子に海月は目を丸くした。

 琥珀もしっかりしているけどまだまだ幼い様子だ。

 正体は猫だ、あまり自分のエリアから外に冒険に出ることがないのだろう。

「私も、ついて行ってもいいかしら?」

 二人で行かせるのは心配になって海月は申し出た。

 琥珀はほっとした顔でへにゃっと笑った。

「ありがとうございます。道を、教えていただけると助かります。ここの地区を守る神社に行きたいのです」

「ああ。あの神社ね、いいわよ、すぐ近くだわ」

 海月は簡単に戸締りをすると、二人とともに店を出た。


 二人とおしゃべりしながら昔風の建物の並ぶ道を行く。ほどなくして、建物の間に鳥居と階段が見えてきた。

「ここだね」

「ここだよ」

 長く続く階段の前でほたると琥珀は手をつないだまま、息をのむ。

 ひげがぴんと張るような気配がそこには満ちていた。

「いこう、コハク」

「うん」

 二人は顔を見合わせて、頷いた。

 海月はそっと後ろをついていく。邪魔はしたくない。しかし心配なのだ。

 二人と保護者海月は、異界への入口を目指して階段を上り始めた。

「まさか、こんなにちかくに不思議な世界があったなんて、ね」

 海月はぽつりとつぶやいた。

 鳥居をいくつもくぐり、祭殿に挨拶して、裏へと回る。

 三つ目の鳥居の裏に、しめ縄が掛けられた岩があった。

「ここだ」

 琥珀が緊張した面持ちで岩に手を伸ばす。

 手はするりと岩に吸い込まれていき、そのまま態勢をくずして岩の中へと落ちていった。

 琥珀と手をつないでいたほたるも、ほたるがとっさにしがみついた海月も一緒に岩の中に転げ落ちる。

 と、そこには広い境内と、立派な庭、そして広縁のある和風の朱塗りの建物があった。

 しりもちをついてあたりを眺めていると、小紋を着た女性が三人の前に現れた。

 「ようこそ」

  琥珀ががばりと膝をつく。

「あの、突然すいません! 紅葉の精のみらいに、紹介してもらって、来ました!」

「うかがっております。ようこそ、桜姫の宮殿へ。わたくしは案内役の藤と申します」


 三人が立ち上がると、藤はその身を翻した。

「こちらへどうぞ」


 案内されたのは畳敷きの広間だった。御簾の向こうに人影がある。藤は部屋の中ほどで膝をつくと、頭を下げた。

 あわてて三人もそれに倣う。

「御前。客人をご案内いたしました」

「うむ。ありがとう」

 藤が、するりと御簾を上げる。十二単だろうか、華やかな和服を着た迫力ある美しい女性が、そこにいた。

「ようこそ、可愛らしき仔らよ」

 女性が迫力ある微笑みを浮かべた。

「我が名はさくら。このあたりの春を統べる姫にしてあやかしの名代を任されておる」


(……あれ?)

 海月は内心首を傾げる。

 先ほど藤の方を見たときにも思ったのだが、昨日の和装の客とよく似ている。いや、もしや。

  桜姫がにっと笑って海月に声をかけた。

「娘。先日はうまい茶を馳走になった」

「やはり、お客様だったのですね。その折は、ありがとうございました」

 海月は背筋を伸ばして頭を下げた。茶道を嗜ませてくれた祖母に内心で感謝する。そうでなければとても、気圧されて対応できなかったであろう。

「茶の礼もあるゆえ、只人の娘ではあるが同席を許そう」

 そういうと、桜姫は猫たちに目を移した。

 琥珀がぴくりと震える。

「さて、仔らよ。何か問いたきことがあると紅葉のより聞いた」

「……はい」

 琥珀が、返事をした。とても緊張している様子で、声が震えている。ほたるが、よくわかっていなさげに首を傾げた。

「さくら」

 琥珀が青ざめた。海月も、凍り付く。

(え、ちょっと、ほたる!? いきなり呼び捨て!?)

「申し訳ありません、妹が無礼をいたしました。……ほたる、この方はとても偉い方だ。そのようにお呼びしてはいけないよ」

「……さくら、さん?」

「せめて、さくらさまとお呼びくださいませ」

 脇から、藤の方がにこりと笑っていない声で言った。

(ひいー。おこってらっしゃる)

「さくらさま。ねこは寿命が20年とききました。ほたるは何歳まで生きられますか」

 ほたるは物おじせずに聞いた。つよい。

 海月と琥珀は流れる汗をぬぐいもせずに硬直していた。

 (いざと、なったら。私がほたるをかばって逃げなければ。)

 だが、桜姫は面白そうにくつくつと笑った。上機嫌で目を細める。

「そなたたちは、すでに猫の精霊となっておる。望めば永遠に生きられようぞ」

「とわに?」

「ほたる。ずっと、ということだよ」

 琥珀がかぶせるように補足した。これ以上失言されては寿命が持たない。

 

 いったん下がっていた藤姫が静かな物腰でお茶を出す。桜姫はそれをすすり、一呼吸置いた。

「紅葉姫は息災か」

「はい。彼女、みらいも姫なのですか?」

「然り。彼女は秋を司る姫にして、姫巫女なのじゃ。また別の世界とあやかしの世界、それに人の世界の架け橋となる存在だ」


 海月たちも、前に出していただいたお茶を口に含んだ。ほっとする香りのお茶だった。

「失礼ながら、質問をおゆるしください」

「ふむ、なんじゃ」

「桜姫様。この子たちは、いつから猫の精霊だったのですか? 最初から?」

 海月がずっと疑問に思っていたことを尋ねた。桜姫は妖艶に微笑んだ。

「そなたらが初めて人に転身した折からじゃ。そばに、命を懸けて祈った人間が在ったであろう」

「アオトの、お母さんとお父さん……」

「その者たちが我が子の守護を切に願い、そしてそれが受諾されたのだ。そもそもその子供の血筋にはおそらく巫女の血などが流れているのであろう。あやかしにたいする力があったのだな」

 桜姫は過去を見透かすように遠い目をした。

「いまも、そなたらの霊力の一端はそのアオトとやらにむすびついている。その者が不幸をとげればそなたも不幸になるやもしれぬ。気をつけるがよいよ」

「わかりました。いろいろ教えていただいてありがとうございます、桜姫様」

「よきかな」

 と、このあたり一帯の守護者の姫は笑った。

「それに、藤姫さまにも。ご歓待いただきありがとうございました。」

「ありがとうございます」

 海月が頭を下げ、琥珀も倣い、藤姫が頭を下げかえす。ほたるはよくわからなそうに無邪気に首を傾げていた。

 その度胸が桜姫の気に召したらしく。

「ほたるとやら。また、遊びに来るがよい。我はいつでも歓迎する」

 豪快に笑って、桜姫は御簾を下ろさせた。

 藤姫に案内されて宮殿を退室する。

 帰り道、海月は二人と手をつないで、岩のしめ縄をくぐった。

「ふふ。ほたるちゃんは、本当に不思議の国の子だったんだね」

「うん?」

 何も気づいていない様子でほたるが首を傾げる。

 琥珀が汗をぬぐった。

 「肝が冷えました。……海月さん。妹を、よろしくお願いします」

「ええ、琥珀くん。琥珀くんもまた遊びに来てね」

「ええ、また来ます」

 琥珀はにっこりと頷いた。

 ひとりで帰る琥珀をバス停まで送ると、海月とほたるは星草堂に帰還した。

 

  桜姫は私室で、藤姫の淹れなおしたお茶を飲みながら先ほどの会見を思い出して、くつくつと笑っていた。

「かわいい猫じゃ」

「ですが、桜姫様を呼び捨てにするなど」

 藤姫は不服気につぶやく。

「幼きものの戯言だ。よいではないか」

「よくはございませぬ」

 ぷう、とほおをふくらませた藤姫の頭を、いとおしそうに桜姫は撫ぜた。

「そういえば、あの人の子の娘。ただの娘かと思ったが、それにしては順応性が高すぎるの。あるいは巫女の血筋やもしれぬな」

「そうですね。人にしてはあやかしの世界をすんなりうけいれておりましたね」

「思い起こせばほしくさ堂とやらも、あやかし向きの快適な空間であった」

「また、お供させてくださいね」

「無論。また参ろう」

 桜姫は微笑んだ。

 かこん、と庭の鹿威しが鳴った。

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