2 猫の精


 年上の幼馴染にときどき振り回される他は、海月は本好きな普通の少女だった。学校の図書館と、市の図書館と、それから祖母の開いていた文庫に入り浸っていた。どこにもあまり新し目な本はなくて、ひたすらに古典を読んでいた。たまに入る新刊も興味がある分野はむさぼるように読んだ。

 そんな日々の中で、あれは夏休みだったか。たしか、台風の季節だった。

 降りしきる雨の中で、自動販売機の下で鳴いている猫をひろったのだ。

 みすぼらしく汚れた白猫は、誰かを探して必死に鳴いているようだった。だがあたりには連れらしき影はみあたらない。猫を探している人も見当たらなかった。台風に驚いて家から出てきてしまったのか。海月はとりあえず、このままでは衰弱してしまうと感じて家へ連れて帰った。幸い前に飼っていた猫の備品があったので、温かくしてきれいにしてしばらく様子をみることにした。

 迷い猫保護していますのチラシも作って自動販売機近くに貼ってみたが反応はなく、そのまま白猫は海月の飼い猫になった。

 

 白猫はすぐに海月に懐き、にゃあ、と会話するようになった。猫は不思議だ。気ままに暮らしているのに、こちらがさみしい時疲れたときには寄り添ってくれる。内気であまり感情を外に出せず苦労していた思春期の海月に、白猫はそっと寄り添って支えてくれた。

 

 あれは、いつだっただろうか。同級生から心無い一言を言われたのだったか。いや、何かの学校行事の準備から海月だけ漏れていたのだった。それをすべて終わってから知らされた。

「あれ、星村さんしらなかったの。ごめんねえ」

 同級生の笑い声がこだまする。悪い子たちじゃない。たまたま、ちょっと運が悪かっただけ。

 海月はその場は笑顔でやり過ごしたが、家に帰って落ち込んだ。傷ついて、泣いて、消えてしまいたかった。

 自分がいなくてもだれも困らないって思った。

 親に相談するほどじゃないと感じていたし、実際に相談しても気にするなと言われて終わりだっただろうと思う。

 だけどあの頃の海月には、自分の存在の軽さが本当にただひたすらにつらかった。

 白猫を撫ぜながらひたすらに声を殺して泣いていた。白猫はしばらくぺろぺろと海月の頬を舐めてくれたが、ふと止めて、じっと海月をみあげた。首を傾げて。


「にゃーん」


と高く、一声鳴いた。

  

 そのままふわりと飛び上がり、回転し。


 どしんと落ちた時にはそこには白髪の幼女がいた。

  

「いたい」

 涙目で腰をさすりながら、3歳くらいの少女は驚きに固まった海月を見た。

「……うづき」

 おずおずと、指先を頬に伸ばす。先ほどまで、白猫が舐めていたところ。

「なかないで」

 

  その温かく少ししめった指が触れたときに、海月は直感で理解した。この子が白猫なのだと。

「なかないで」

 にゃあ、と鳴くように。少女がつぶやく。


「ほたる、ちゃん?」


「うん」


 白猫の名前を呼んだ。少女は嬉しそうにうなずいた。

「うづき、なかないで。ほたるがいるよ。だからなかないで」

 海月の目から涙があふれた。乾いた心に温かい言葉が染みていった。何よりも今欲しかったぬくもりだった。

 海月は、ほたるを抱きしめた。

  


 それからもたびたびほたるは人の姿を取った。

 少しずつ、話すことに慣れて。人の姿も成長していった。

  

  

  ※

 


蒼斗あおとは無理をしてるんじゃないかねえ、琥珀」

 祖母は黒猫を撫ぜながら、つぶやいた。

 琥珀コハクはその名の通り黄色い石のような瞳をご主人さまにむけた。

「にゃあ」

「疲れてるんじゃないかね。おじいさんも逝ってしまったしねえ。私も連れて行ってくれたらよかったんじゃけど……」

 ぽつり、と漏れた本音に、黒猫のしっぽがはたりと手を打った。

「にゃっ」

「そうだねえ。私ががんばらんといけんね。蒼斗をひとりにしてしまうからね」

 祖母がため息ととともに黒猫を撫ぜる。

 黒猫がぴくりと耳を澄ました。

 桐野の部屋から、ギターの音が聞こえだした。

「おや」

 祖母の耳にも、蒼斗の歌声が聞こえたようだ。

 ほっとしたように、泣き笑いのような笑みをうかべた。

「ようやく、歌う気になったのかねえ」

 家主の葬儀の後の、沈みこんだ家の空気がゆるりと前へ向いて動き始めた。

 黒猫はうーんと伸びをすると、窓際へ移動して横になった。

  


 桐野が作曲にひと段落したころ、こんこんと扉が叩かれた。

 ふわふわした黒髪の少年が、麦茶を手に入ってきた。

「琥珀。サンキュ」

「アオト。ハツが心配してるよ」

 ギターをラックに置いて、麦茶を一息にあおる。

 ふう、と息を吐いた。 

「……うん、わかってる。僕もばあちゃんが心配なんだ」

 桐野は苦笑いを浮かべた。

「うん。みんな、心配してる。わかってるんだ」

 琥珀の頭をくしゃりと撫ぜる。

 黒髪の中に埋もれた黒猫の耳がへたりと横に動いた。

「そろそろ、動かなきゃな」

 自責するように、明後日の方角を見て桐野はつぶやいた。 



 少年姿になった琥珀は、夜陰に乗じて家を抜け出した。そっと音がしないように勝手口を閉め、小高い丘の上へ向かって階段をのぼっていく。鳥居をくぐって祭殿の奥に入り、お社の森の中にあるしめ縄が張られた木の前に立った。

 

「……みらい」 

 小さな声で呼びかける。

 

 木の洞から、緑の髪の少女がひらりと姿をあらわした。夜の中に映える白いワンピースをひるがえし、はにかんだように微笑む。


「コハク、来てくれたんだ」

「うん」

 背格好の似た二人は手をつなぎ、木のふもとに座った。

「元気だった?」

「うん。コハクも少しは元気が出た?」

「ありがとう。今日はね、アオトが歌ってたんだ。まだぴりぴりしてるんだけどね。ようやく、少しは落ち着いてきたかな」

 嬉しそうな琥珀に、緑の髪の少女も微笑んだ。

「ふふ、よかった。今日はね、かわいい歌が奉納されたんだよ」

「そっか。聞かせて?」

「うん、いくよ?」

 少女が歌をくちずさむ。くすくすと、少年少女の会話は夜が明けるまで続いた。 





 最初の乱暴な来訪から数日後、桐野は照れ臭そうに星草堂を再訪問した。

「この間はごちそうさまでした。いろいろ暴言はいてごめん。珈琲代すら払ってなかった。今払う。あと、この間の本、ある?」

「いらっしゃいませ。取りおいてございますよ」

 海月はにっこりと笑みを浮かべた。

「宮沢賢治の研究書ですと、こちらもおすすめですよ」

「ほう?」

 カウンターまで来た桐野は興味をひかれたようにそちらもぱらぱらと開く。

「それに、こちらの小説は賢治の『銀河鉄道』のオマージュになるんですが、賢治のことをよくわかっておられる方が書いた感じがして、わたしは好きです。おすすめ本です」

「ほう。いいね、なるほど」

 そちらもぱらぱらとめくって。

 桐野は、結局両方を購入した。帰りの電車が短く感じそうだと笑いながら。

「ああ、念のため領収書をもらっておいてもいいですか」

「了解いたしました。お名前はなんと?」

「カタカナの『キリノアオト』でお願いします」

 領収書に個人名。作家業など、申告が必要なお仕事をされているのだろうか。と海月は少し考えた。

「こちらにはご旅行ですか?」

「いえ、実家がこっちにあるんです。今は大阪なんだけどね。祖母が独りになってしまったので、心配で」

「お顔を見せに帰られていたのですね。おばあさまはお喜びでしょうね」

「ええ、まあ。来んでええよ、とか言うけどね。これからもちょくちょく帰る予定なので、またこの店にもよらせてもらうよ」

「まあ、ありがとうございます」

 海月はうれしくて、心から笑んだ。

 桐野もにっと笑った。

「じゃ、また」

 と桐野は帰っていった。

 海月はにこにこと桐野を見送った。


 数週間した頃、桐野は「おもしろかったよ!」と店に現れた。その後も、こちらに来たときは顔を出してくれるようになった。


  ※


 みのりはみごとに常連になった。

 図書部という変わった部に所属しているらしく、部活のない日は星草堂に来て、紅茶を一杯飲んでおしゃべりして帰る。ときどき本も買ってくれるし、同じ部活の本好きの友人も紹介してくれる、すてきなお客様だった。海月はすっかり、若い友人ができた気分で、書店冥利に尽きるな、と考えていた。

 ある日、みのりはカウンターで海月がラミネートしていたカードに気づいた。店のイメージの深緑色で、本のイラストと猫のあしあとがデザインされている。裏面にはバーコードと記名欄。よくみる形のカードだった。

「くらげちゃん、ポイントカードはじめたの?」

「うん。でもちょっとちがうのよ。どっちかというと図書館の読書通帳というか、通販サイトのレコメンド欄というような感じ。買っていただいた、おもしろかった本の情報なんかをおしえていただいて記録させてもらってね、その蓄積からおすすめの本をおすすめという形で双方にいい形にできたらいいなって話してて。何人かのよく来て下さるお客様で試させていただいてるの。みのりちゃんもどう?」

 みのりは目を丸くして、それから自分の買ってきた本に思いをはせた。

「素敵! ……でも今してもきっと私の一覧にはガトーショコラしかない気がする」

 みのりはすでに、製菓のレシピ本を数冊購入していた。なんでも舌の肥えた友人がいるのだそうだ。

「そうね。みのりちゃんはガトーショコラに命懸けだものね」

「そうよ、来年のバレンタインにはプロを超えるの!」

 どうしても、その友人をうならせるものを作りたいのだと言っていた。材料費におこづかいがきえていくから本代も節約しなきゃ、とか。

「ふふ。がんばってね」

(書店としては、本を買ってほしいけどね。)

 学生時代はいろいろなことに打ち込める素敵な時代だ。満喫していて楽しくあればそれでいい。海月は微笑んだ。

 

「あの」

 制服からするとみのりと同じ高校の、男の子だった。おずおずと、スマホの画面を出した。

「この本を、探しているのですが」

「お調べしますね」

 古いギター関連の書籍だった。PCをかたかたとはじき、書誌から取次の在庫状況を確認する。

「ああ、お取り寄せでしたらまだ入手できそうです。お時間がすこしかかってしまいますがよろしいですか?」

「あの。中身を、見てから買うか決めてもいいですか」

「もちろん」

 ほっとしたように、少年は頷いた。

 「じゃあ、お願いします」

 「では入荷いたしましたらご連絡いたしますね。よろしければご連絡先をおねがいいたします」

「丸山拓人といいます。桜ケ丘高校3年生です…」



※ 

 

 星草堂の会員制カードを一番活用しているのは桐野だった。何度も猫のドアベルをゆらしては、来店した。

「桐野さん、こんにちは。次はどんな本にされますか?」

「やあ。君のおすすめがいいな。今は、ちょっと冒険心を求めているかもしれない」

「冒険心、ですか。桐野さんの読書歴ですと、こちらなんかいかがですか? わくわくしますがちょっと渋くもある、大人の冒険小説です」

「じゃあ、それにするよ。いつもありがとう、星草堂さん」

 忙しい中で普段は読まない本に出合えて、桐野は大変喜んでいるようだった。

 

 とある雨の日だった。その日も桐野が来ていて、珈琲を片手に古いロック雑誌を読みふけっていた。からん、と裏口が開いてほたるが顔を出した。

「うづき。乾燥機、行ってきた……あ、おきゃくさま」

 洗い物をしていた海月はほたるに目で来客中であることを伝え、物音に顔をあげた桐野に軽く頭を下げた。そういえばほたるが桐野に会うのは初めてだった。

 桐野は何気なしにほたるを見やり、そのまま驚きに動かなくなった。ほたるの髪と猫耳を凝視している。

「翡翠……?」

 呆然としてつぶやいた。

「ヒスイ?」

 ほたるがぴくりと耳を動かした。ぴくぴくと耳が動く。

「ヒスイ。きいたこと、ある。ヒスイ…ヒスイ…」

 ほたるがつぶやく。

 そして、ぱっと顔を上げて、目を丸くした。

「アオト! コハク!」

 そして、首を傾げる。

「……アオト? ちがう?」

 記憶の中の姿と一致しないのだ。

「ああ、やっぱり。翡翠だね?」

 桐野は満面の笑みで立ち上がった。

 かけより、ほたるを抱きしめる。

「僕は蒼斗だよ。大人になったんだ。もう20年近くになるんだっけか。翡翠、生きていてくれたんだね!」


 ほたるは目を見張ったまま硬直していたが、しばらく桐野のにおいをかいで、それから安心したように顔をうずめた。

「コハクのにおい」

「琥珀も元気だよ。ずっと翡翠を探していた。ばあちゃんも元気だ。……じいちゃんは、このあいだ死んじゃったけどな」

 ほたるが記憶をさぐるような遠い目をする。

「ジイチャン。おこる。こわい」

「はは。そうだな、翡翠はいたずらしては怒られてたな」

 二人の会話は、途切れることなく続いた。

 海月は驚いて、水を流したままで二人の様子を眺めていた。はっと気づき、水を止めて手を洗い、手を拭う。二人の様子が落ち着いてきたのを見計らって、声をかけた。

「あの」

 桐野が、はっとしたようにほたるを抱きしめていた手を緩めた。無意識に一歩下がる。他人がいたことを思い出したようだった。

 海月は微笑みを浮かべた。

「もしかして、ほたるちゃんの本来の飼い主さんですか?」

 飼い主、という言葉に含みを持たせてみた。知らなければ特殊な性癖に聞こえてしまう。ちょっとしたひっかけだった。

 桐野は気づかず満面の笑みで頷く。ほたるが猫であるということを、自然に了解していた。

「ああ、そうです! 台風の日に祖父におこられていなくなっちゃったんです」

 ほたるのことを知っている人。

 本当の、飼い主さん。

 海月がほたるのために探していた、探さなきゃいけなかった人だった。

 海月は苦く微笑んだ。

 桐野は気づかず嬉しそうに話す。

「あなたが保護してくださってたんですか。ありがとうございます。ほんとうにありがとうございます。生きててくれてよかった。また会えてよかったよ」

 ほたるは人前にもかかわらず、くるりと転身して白猫に戻った。

「にゃーん」

 桐野にすりすりと頭をすりつける。青年と少女の姿で抱き合っているよりも倫理的に許される気がして、変な意味で海月は少しほっとしていた。



「すいません。翡翠……ほたるちゃんでしたか、彼女を一晩だけお借りしてもいいですか? この子の兄猫がずっと心配してさがしていたんで会わせてやりたいんです」

「ええ、ほたるちゃんがいいならもちろん」

「いく! コハク、あいたい」

「いってらっしゃい……元気でね」

 家族を思い出してはしゃいでいるほたるに、海月は微笑んだ。

 

 桐野が何かに気づいたように目を丸くした。

「あの」

「はい?」

 笑顔のままで、海月は首を傾げる。

「あの、必ず連れて戻しますから。一晩だけですから」

「あら」

 海月は目を丸くした。

(気が付かれて、しまった)

「……ほたるが、本当のおうちに帰るのでしたら、それが正しいと思うのです」

(悲しそうな顔をしない。ほたるが安心して本当の家族のところに帰れるように。笑え、私!)

 海月は意識して笑みを深くした。

「家族のもとに。帰らなくては。……たまには、私のところにも遊びに来てほしいですけど」

 桐野がとんでもないと首を振った。

「あなたと、20年近く過ごしているのです。あなたのところが本当のおうちですよ」

 ほたるがするりと少女の姿になった。

「うづき」

 ほたるがちょっと、怒っている。海月は目をそらした。

「ほたる、ちゃんとかえるから。いちにちだけ、いってきます」


(……いいの?)

 海月はあきらめたように力を抜いた。安堵のあまり泣きそうになる。

「わかったわ。いってらっしゃい」

 桐野が、ほっとしたように笑った。

 「あなたから大事な家族を奪うようなことはしませんよ」

 「ありがとうございます」

  海月は微笑んだ。

  

  ※


 バス停で、桐野はほたるを連れて降りる。

「しばらく、歩くよ」

「うん」

 日差しも日に日に強くなるなか、汗ばみながら歩く。ほどなくしてほたるにとっても懐かしい家の前に着いた。

 からりと玄関扉を開ける。

「お帰り、アオト……、っ!」

 中から出てきた少年が目を見張った。ほたるが嬉しそうに微笑む。

「コハク?」

「ヒスイ! 生きていたのか」

 にゃおん、と思わず鳴いて、ほたるは琥珀に抱き着いた。

「コハク! ハツ! あいたかった!」

 琥珀とほたるはしばらくもみ合って、そして二匹とも猫に転じた。黒猫と白猫がじゃれあう姿はとても可愛らしくて、桐野は目を細めた。何事かと出てきた祖母に事情を説明する。

「ああ、あの時の仔がねえ。よくもまあ、無事だったもんじゃね」

 桐野の祖母もにこにこと二匹を見守った。


 翡翠が、白猫の妹がいなくなってからの琥珀の様子は桐野も祖母も、今でも覚えていた。四方へ鳴き、駆け出し、しょんぼりとして帰ってきて。いつもの翡翠の居場所だったクッションで、にゃあと鳴いていた。人になって、声がかれるまで捜し歩いてきたこともある。

だけど子供の姿だった琥珀が行ける範囲には翡翠の気配はなくて。琥珀は何度も落ち込んで帰ってきた。その過程で、緑の髪の少女との新しい出会いもあったけど。大事な妹を失った悲しみは、何年も消えなかったことを覚えている。

(いつ頃、あきらめたんだったかなあ……)

 琥珀は、翡翠改めほたるの毛づくろいをしながら想いをはせた。

 すくすくと育っていた妹は、無邪気に琥珀にすり寄ってきて、瞬く間に二十年近くの歳月がなかったかのように仲良くなった。

 琥珀の私室で、ふたりは再び人の姿になった。

「じゃあいまは、優しいお姉さんのところにいるんだね」

「うん。ほたるって、名前をつけてもらったの」

 ほたるが十歳くらいの少女に転身して、琥珀の膝に座る。首を傾げて琥珀を見上げた。

「コハクは、げんきだった?」

「うん」

 可愛い妹の頭を撫ぜる。ちっとも変ってない。

「アオトもおおきくなった」

「うん、そうだね。アオトは大人になったね」

「……じいちゃん、しんじゃった?」

「うん」

 少し寂しそうにほたるが言う。人間の寿命だとわかってはいるけれど、かつてはいた人を想うと寂しくなる。琥珀は気になっていたことを切り出した。

「ねえ、猫の寿命ってしってる?」

「しらない」

 ほたるが無邪気に首を振る。琥珀は続けた。

「猫ってね、20年ほど生きるっていわれてるんだ」

「う?」

「ぼくたち、もうすぐ20歳だ」

「え」

 ほたるが目を丸くした。そうなんだよ、ほたる。僕はずっと寿命について考えてきた。

「でも、僕は死にたくない」

「ほたる、しなないよ? だってうづきが、ないちゃうもん」

 蒼斗だってハツだって、まだまだ、気になるのだ。それに、近所の猫を観察していて気づいたことがある。

「幸い僕たちは人間に変身できる。ただの猫じゃない」

 ほかの猫は、人には変身しない。だからか、数年たったら琥珀よりはるかに行動が老成しだした。小さいころの友達は、動きも鈍くなり、そろそろ痴呆が入ってきたようであらぬ方向に向けてないていることもある。でも琥珀の意識はまだ十代のような少年のままだった。

「うん」

 よくわかっていない顔でほたるが頷く。

「だから、僕らは人間の寿命くらい長生きできるかもしれない」

「うん」

 可愛い妹。彼女の精神年齢を見ていて、あらためて琥珀はその思いを強く持った。

だから。

「今度、詳しいひとに尋ねにいってみようと思うんだ」

「う?」

 こてん、とほたるが首を傾げる。

「僕の友達の、植物の精の女の子がいてね。その子のご主人様というか、このあたり一帯を統べる女王様が美観地区にいるんだって」

「ごしゅじんさま」

「うん。ききにいってみるよ。ねえほたる、海月さんのお店は美観地区にあるのでしょ?」

「……そうなの?」

「柳の道とか水路とか、近くにあるよね?」

「ヤナギ。ある。水、ある。公園、噴水、きらきらしてて好き」

 にこにこと語る妹に、何度も昔光るしずくを取ろうとして妹猫が水路に転落していたことを琥珀は思い出した。

「もう、昔から濡れるの嫌いなのに水が好きなところ、変わってないね。ひす、じゃなくって、ほたるも一緒にいこう?」

「うん。コハクがいくならいく」

 ほたるは全くよくわかっていないながらも頷く。琥珀だってほたるが来てくれた方が心強いのだ。あまり冒険は好きじゃない。

「よし、きまりだ」

 明日、蒼斗が帰るときにつれていってもらおう。二人はそう決めた。

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