終章

 鉄の連なりは闇を突っ切って前に進んだ。ライトがレールを照らし出し、乗り換えさえすれば、幾らでも前に進み、その先にある場所との距離をみるみる縮めてゆく。僕はそうして馴染みのある駅に辿り着いた。それは終電で混み合う少し前だった。

 道しるべのように光が残っている商店街を歩き、それから横道に逸れて自分のアパートを目指す。取るべき道のりは自分でも驚くぐらいはっきりしていた。頭のなかでどう歩けば一番早くそこにたどり着けるか、どの道が何処でどう繋がっているか、その道を取れば何処に行き当たるか、そんなことが自然と頭のなかですっきり整理計算されていた。

 僕は「明日の朝に食べるものはあっただろうか?」と考えながら「何も無ければ買い物に行けばいい」と答えを出している。これといった形も無い考えに耽る前に辿り着く場所に着いている。ポケットから鍵を出してドアを開け、靴を脱いで部屋の電気を付ける、それだけの事だった。「なんて簡単なことなんだろう」そう思いながら僕はポケットの鍵に指を触れ、穴に鍵を入れ、気が付いた。部屋の電気がついている。ドアを開け、足元の靴を見ると見覚えの無いのが一つ、一回りちいさいスニーカーがもう一つ、「おかえり」と聞き覚えのある声が重なって奥から聞こえてきた。

 靴を脱いで上がると彼女とあいつが机を囲んで寛いでいる。

「早かったな」とあいつが言う。

「心配したわ」と彼女が言う。

僕は「ああ、」と言って机を囲むと「お茶か何か飲むもの無いかな?」と聞く。

「ビールならあるぜ」そうあいつが空き缶を指さし、「もらうよ」と足元から開けて無いのを一つ受け取った。

 久しぶりのビールはひりひりと喉にからみ、自然に顔がちいさく歪んだ。

「もう大丈夫なんだろう?」

あいつが聞く

「多分ね、」

そう僕が言うと、あいつは嬉しそうにビールを喉の奥に流す。

「何処に居たんだい?」

そう聞いた僕に、

「彼の所よ」

と彼女はあいつを指さす。

「俺は、手を出して無いぜ。」

にやりとあいつが笑う。

 僕が彼女を見つめる。

「君のともだちに会ったよ。」

そう僕が言う。

「ともだち?」

「肌の黒い少年だよ、さよならも言わずに消えちゃったけど。」

「何処に行ったと思う?」

彼女が聞いた。

「ここよ」

と自分の胸を指でさす。

「呪いはいつか晴れるさ」

あいつが言う。

「つまり、そいつは物事を彼女の思うように運ぶ。でも、結果的に彼女を不幸にする。」

「でも僕は、不幸にならなかった。自分の求めていたものを見付け、手に入れた。」

「それ自体が彼女にとっちゃ不幸だろうからな。」

そう言ってあいつが楽しそうに笑う。

「冗談だよ。それは多分、彼女が自分の為に望まなかったからだ。」

「じゃあ彼女が、他人の為に願い生きればうまくいくって事なのか?」

「そんな事が可能だと思うか?」

僕とあいつが押し黙り、積もっていた沈黙を切るように彼女が言う。

「できると思うわ。」

「無理だね」

そうあいつが切り返す。

「自分の事を考えずに生きる人生なんて物理的に不可能だ。」

「自分の望むものと他人の望むものが重なればいいの。私は望まずに生きても来たわ、可能なはずよ。」

「常に、自分と他人を重ねるのかい?それは自分を殺すのと同じだ、うまくはいかない。こいつがそうだったようにな、」

あいつが僕を指さして言う。

「重ねるんじゃ無いの、重なるのよ。いつかそうなるわ、きっと。」

「いつか・・・理論上はね。」

そうあいつは会話をしめくくった。

 それからの僕らはどこにでもある酒盛りを楽しんだ。しばらくぶりのアルコールはゆらゆらと無邪気に世界を揺らした。あいつは車のトランクからギターを引っぱって来て、歌って踊っての宴会になった。聞けば毒薬のように身体を軋めたはずのビートルズも、ただ「いい曲だ」と客観的に思えた。それは諦めでも嫉妬でも無く、事実を事実と受け入れる素直な心だったように思う。彼女はよく笑った。あいつも笑い、そして僕もよく笑った。

 宴会もひたひたと忍び寄る眠りに誘われながら終わろうとしていた。あいつの弾くギターを聞こうと思いながらも、僕は気が付くと眠気にこくりと頷いており、彼女は服を着たままとっくにベッドに潜り込んでいた。僕の最後に覚えているあいつは『In My Life』をゆっくりとアルペジオで弾き、掠れた声でそれに唄っていた。

「一曲でいいんだ」

唄い終わったあいつは言った。

「これが俺の見て来た世界だ、そう率直に伝わる曲ができるんなら死んだっていい。」

「彼女に頼めばいいさ」

閉じかかった瞼の裏から、僕はあいつに言った。

「そうだな」

あいつがコトリとギターを置く音が聞こえた。

「幸せにしてやれよ、」

自分の重みで横になった僕に、あいつが言った。

「いい娘だよ、おまえにはもったいない。」

もったいないか、勝手なことばかり言いやがって・・・あいつが意識の裏側で「またな」と言うと、バタリとそのドアが閉じられた。


 それから三日後、あいつが死んだ。例のダムの上で車を止め、あいつは飛び込んだらしい。僕と彼女はそれを喫茶店のマスターから聞いた。

「これをあんたに渡して欲しいって言ってね。」

そう言うとマスターはカセットテープとギターを僕に手渡した。

「仕事の方がうまくいってなかったらしいし、借金もかさんでたらしいよ。それでもね・・・」

「これ、かけてもらえませんか?」

そう言って僕はマスターにテープを渡した。彼は黙って頷き、僕と彼女はゆっくりとあいつがいつも座っていた場所に腰を下ろした。

 ごぉーと砂嵐のような耳鳴りがゆっくりと店内に流れ、それからあいつのギターが聞こえた、アルペジオだった。あいつの掠れた声が聞こえた。あいつが唄っていた。俺にはお前が聞こえる、そうあいつが言う。お前の声にならない悲鳴が聞こえる、そうあいつが語りかける。どうすればいい? 唄うしかないだろ? あいつが唄っている。あいつが歌を唄い、僕たちは黙ってそれを聞いた。

「君のともだちは何処に居るんだろう?」

そう僕が聞く。


彼女は俯き、何も言わなかった。


「会おうと思えばいつでも会える。僕らはその準備さえすればいいんだ。」

「そうね」

と彼女が言った。

「これからどうするの?」

そう彼女が聞く。

「働くよ」

そう僕が言う。

「とりあえず働いていた所に行ってみる。しばらく顔を出して無いし、連絡もして無いからね。」

僕らはそれからしばらく黙ってコーヒーを飲んだ。「悪いな、これぐらいしか出すものは無くってよ。」と顎鬚を生やしバンダナを巻いたあいつが言う。

「汝、己の為に歩む勿れ・・・。」

「えっ?」

「何でもないよ、頭に浮かんだだけさ。」

「うまくいくかしら?」

そう彼女が不安げに僕を見つめて言う。

「うまくいくよ、イメージさえしっかりと持てればね。」

そんな僕は彼女ににっこりと笑い、イメージのなかであいつは「理論上はな、」と大声で笑った。














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