第11話

 僕は闇のなかで怒りに震えている。うまくいかない事への怒り、うまくいっている奴への怒り・・・そんな怒りを押さえられない自分への怒りだ。それは痛い、身体的に痛い。腹の奥が壊死を起こしているように、激しい痛みが僕を突き刺す。

 もう2時間も「おれは何なのだ?」と問い詰めている。僕が見つめるのは自分のレコードコレクション、それを部屋中の床に、拡げている。これがおれなのか?これがおれの掻き集めた価値観、おれの全てか?

 それは、ふとした事から始まったかもしれない。それは友人の誕生日に「自分のレコードを」と思った事から始まったかもしれない。ただ単にレコードを拡げていただけかもしれない。それが、どんな価値かを思い起こしていただけかもしれない。そのレコードが「おれの何なのだ?」と思って。それが、いつの間にか「おれは何なのだ?」に変わっただけ、なのかもしれない。


おれはあいつが羨ましい。


 床にまき散らされた、それらはビニールの円盤とボール紙にすぎない。物質だ。ただの物質にしか、見えない。

 退くように、僕のなかで怒りがおさまっていく。その後で、意味の解らない笑いが、身体を揺する。

 その感覚がおもしろくて、僕は笑う。また僕が揺れ、おもしろい、また笑う、また揺れる。僕はいつの間にか声を上げ、床の上でぐらぐらと、笑い転げている。

 闇のなかで笑って、転げて、笑い、笑い・・・転げ回って、笑い笑う、笑い、疲れて、笑い、笑い笑い・・・転げて、疲れ、笑う笑う・・・笑い、笑って、笑い疲れた僕は、息を付き、ゆっくり立ち上がり、床に拡がった「物質」を集め始める。

 腕いっぱいに抱え、僕は外に出てそれを車に乗せる。ドラムセットやアンプが乗るように拡げてあるトランク、そこにそれらを放り込む。何往復も、部屋のなかが空っぽになるまで何度も続ける。

 プレーヤーも放り込む、スピーカーも、ギターも、ベースも、楽譜も、本も、皮ジャンも、ブーツも、スニーカーも、サンダルも・・・途中で訳が解らなくなって僕はやめる。

何を運んでいたんだっけ?


おれはやりたいことをやっていたんじゃ無いのか?

 

 車に乗ってキーを回す。エンジンがかかりスピーカーからメロディーが流れ出す。僕はすばやくテープを引き抜き、後ろに放り投げる。

「おまえも、物質だ」

声に出すと笑いがこみあげてくる。僕はダッシュボードの中や座席の下に転がっていたテープを放る。それが後ろのガラスに当たって音があがる。そんな音がおもしろい、また投げる、また投げて、また投げて・・・ダッシュボードが、空になる。

 僕は笑いながらダッシュボードを閉め。そこに貼ってあったダンシングベア、それに拳を打ちつける。


ボンッと音がする。


ベアはこちらを見て、笑っている。


ボンッと音がする、

やつはまだ笑っている。


僕の顔から笑いが消える。

「なんでおまえはわらってるんだあ??」

僕は

殴り付ける。

「なにがおかあしいんだああ????!!!!」

殴り付ける。

「なあああんだあああああ???おめえええわああああああ?!?!?!」

それを殴り付け、血が滲む。

殴り、殴り、血が滲み・・・殴り付け、

殴り付け、

殴り付ける。

 

それが鋭い音を上げて、ひび割れる。

 

ひびに沿ってテディーベアが皺になり、僕はようやく落ち着き煙草に火を付ける。

エンジンを何度かふかして、ギアをゆっくりドライブに入れる。


あいつがいなかったらこの痛みは無かったかもしれない。

 

 町の灯が出来の悪い花火のように・・・かすんでいる、くすぶっている。

沈黙と共に車を走らせる。

音もしない、声もしない、

何も聞こえない。

車は町を抜ける、山を目指す。

空気が湿り気を帯びて引き締まっている。

細くなった県道を走り、曲がりくねったその先を進む。

 そうして、分かれ道に辿り着く。ひとつは山の上、もうひとつは隣の山に続く道。僕は後者を選び、途中で車を寄せて停める。エンジンを切り、ヘッドライトを消す。

 両側のコンクリート壁は、濃い闇を真直ぐに伸びている。車を降りた僕は闇の先を見つめ、壁の向こうに水を探す。いくら水不足と騒がれていても、その場所はいつも一面に水がある。

 壁から身体を乗り出してその下を覗き込む。10メートルほど下から、ぽちゃりぽちゃりと水の音が聞こえてくる。


あいつはおれを苦しめている。

 

 僕は車の後ろにまわるとトランクを開け、レコードを抱えて壁まで歩く。レコードを一枚、右手で放った。くるくると円盤のように、それは闇に飲まれる。水面に落ちる瞬間を見計らい耳を澄ませるが、その音は、いつまでも聞こえない。「もう聞こえてもいいんじゃないか、」「いくらなんでも・・・」引き延ばされる時間は僕の背後に冷たい何かを想像させる。ふつふつと、ふつふつと・・・そんな気持ちが拡がる前にもう一度レコードを投げる。それはくるくると回り、それでも音は聞こえない。

僕は頭の片隅で見え隠れする何かを認めるつもりは無かった。しかし気が付いた時、僕はその何かにしっかりと背骨を握られていた。意識らしきものは、そこには無い。そこにあるのは僕のなかの傾向のようなもので、それが忠実に僕のやるべき行為を繰り返している。レコードを放り、レコードを放り、スニーカーを放る。

僕は「そう言うことか、」と自分に残された頭で考える。「そう言うことか、」「そう言うことか、」「そう言うことか、」僕というレコードに致命的な傷が入り、僕が繰り返される。「そう言うことか、」「そういうことか、ソウイウコトカ、」「ソウイウコトカソウイウコトカソウイウコトカ・・・」レコードが何枚も闇に放り込まれた。


あいつはそれを楽しんでいるんだ。


そのうちにプレーヤーが放り込まれた。そのうちにスピーカーが放り込まれた。ギターが放り込まれた。ベースが放り込まれた。そのうちにブーツが放り込まれた。ガクフが放り込まれた。カワジャンガホウリコマレタ。


おれは、あいつが憎い。


 僕が大きく口を開け、こぶしを喉の奥に押し込む。「ああ・・・こいつはこの僕を放り込もうとしているのだ。」冷たくぬるぬるした手が内側から、ぐしゃりと僕を捕まえる。ずるり、ずるりと、粘液のようなものを残しながら僕は、僕に引きずり出される。


おれは、あいつが羨ましい。


 引きずり出された僕は頭上から自分を見つめている。そんな硬質の殻になった目は空洞に見え、そんな自分に恐怖すら感じたがどうすることも出来ない。そして、そいつが壁の向こうに僕を放り込んだ。


あいつが憎い。


 闇に投げ出された僕は重力も無くふわふわと漂う。早く底に辿り着きたいのだが、僕に重さというものは無い。闇を爪で引っ掻くように、何かを感じようとしている。

 そこには、先に辿り着いたものたちが漂っている。それを感じたい、手を伸ばす、指を伸ばし・・・指先にそれが触れる。

 

あいつが、憎い。


 それは始め、身体にさらりと馴染み、風のような想い出をくれる。そして、それが僕を侵食する。皮膚がそれと反応してドス黒く変色する。黴のようなものが湧き出て弾け、その胞子がふわりと闇に消えていく。

 僕はその時に気付く、「溺れているのだ」と。周りは純粋な闇に化けた水だ。その水に想い出が白影のように漂い、僕を侵食する。その身体がぬめるような感覚が、痛い。痛く、たまらない。僕は溺れている、腐敗している・・・。


あいつを、殺したい。


「おれはおまえに殺されたんだ!!!」

叫んだ僕の口から肉片が飛び散った。僕の腕から黴がわらわら生まれ、それが全身に菌糸を張って拡がる。水を吸って膨れた腕が白く濁り、視界も濁失される。顔がぶくぶくと音を上げて泡立ち、たるんだ肉が頬を重くする。オレハ、オマエニコロサレタンダ!

 突然、僕は身体を震せ腹底から液体をぶちまけた。テーブルの灰皿やカップが茶色い水に揉まれて溢れ、それが床に落ちてかん高い音をあげる。押し止められない力が僕のなかで自分という枠を蹴破り逆流し始める。

 彼女がさっと立ち上がり、僕を抱え、ゆっくりと、胸に、手をあてた。「大丈夫よ・・・」そう囁くと、手の平で鼓動を聞かせてくれる。

 弾ける音は僕を興奮させ、それから・・・ゆっくり落ち着かせてくれる。細かい響きを感じる度に肩から力が抜け、意識が遠退いていく。彼女に身を預けながら吸い取られるように脱力し、何処かでプツリと何かが切れると、僕は皮張りの椅子に倒れこんだ。


風がひとつ吹く、夜が来る。


 窓から忍び込んだ暗いそよ風に、僕は意識を洗われ取り戻した。

「おはよう、」

そう声のする彼女はシルエットでしか目に映らない。

「大変な夢でも見てたのかしら?」

近付いてくる彼女、僕にその顔はまだ見えない。

「夢じゃないさ、ほんとうの事。全部覚えてるよ、」

やっと彼女の目が見える、透き通った闇のような色。

「覚えてるのね、よかった。」

彼女は僕の髪を優しく撫でる。

「よかったのかな?」

「いいことよ、これで前に進めるでしょ?」

天井を見つめる。

「あいつを殺したいと思った。それがいいことかい?」

「認めることが大事なのよ。」

そう彼女が言う。

「どうなるのかな?」

ため息をつく。

「思いどおりになるのよ。なにもかも、良いにしろ悪いにしろ」

彼女がため息をつく。

「もう寝ましょう・・・疲れたわ。」

「どうしたらいいか、わからないよ。」

「わかってるはずよ、それを認めたくないだけ。前に行くしか無いの、そのとおりになるんだから・・・。」

彼女がちいさな頭をすべりこませる。さらりと暖かい身体がベッドのなかでふれ、「もう眠ろう」と思った僕は彼女の言うように、そのとおりになる。

 

その夜、久しぶりに夢を見た。


 僕は幼い男の子だった。食べる、飲む、寝る、遊ぶ、それ以外に興味を持たなかった頃、そんな僕が森を歩いていた。僕は何かを探している。何かは知らない、よく見慣れたもの、それを探していた。苔の森、その木々の間をすり抜ける。その木陰に何かは隠れているかもしれない、その根元に?ポケットのなか?握っている手のなか?僕は探しながら歩いていた。

 僕はみどりと踊っている。僕がゆれると苔の地面も揺れる。ふわり、ふわりふわり。ふわり、ふわり。その女の子はすぐ隣にいた。あまりにも自然に、そこにいた彼女はあたりまえ、僕は気にもかけなかった。僕らは手を握っている。ふわりふわりと森を歩いている。ふわり、ふわりふわり。

 その女の子に覚えは無い、でも僕は落ち着いている。彼女を知っているのだ。あくまでも自然に、僕たちは何かを探している。

「見付けた?」

「まだよ、」

「歩く?」

「うん、」

僕らは森を歩く。僕らが立ち上がり、後に残される茶色いキノコ、そこに座っている、緑のハッパ。

僕らは森を抜け、川岸に辿り着く。

「ここに探しているものはある?」

「無いわ、」

「歩く?」

「うん、」

僕らは川づたいに歩き、丘のある草原に辿り着く。

「ここは?」

「違うの、」

「歩く?」

「うん、」

僕らは小川を乗り越え、向こう岸に入る。

「こっちかな?」

「そうかも、」

「歩くの?」

「そうね、」

僕らは落ち葉の小道を踏み締め、その先に進む。枯れ葉が舞っており、枝が絡むように伸びている。

「この先に何があるのかな?」

「知らないわ、」

「でも歩くの?」

「そうよ、」

前も後ろも同じ風景が続く、遠くで降っているのは雪だろうか?近付いてみると白く黴びた枯れ葉だった。先に進むほど木の幹は細くなっていく。

 身体が隠れるほどだった木が、腕を回せるぐらいになり、両手でつかめる程度になる。そんな木に手を触れると、それが悲鳴を上げて倒れていく。静かな森に響く悲鳴、それが遠くで別の悲鳴に変わる。どこかで木が倒れているのだ。

「わたし、覚えてる。」

「この辺りを?」

「見覚えがあるわ。」

「来た事があるの?」

「この先に池があるのよ。」

僕らは歩みを進める。

 それは池と言うにはあまりにもちいさい、水底に泥と落ち葉を敷き詰めたちいさな沼だった。森は静まり返る。森が僕らを見据えている。僕らは静かに水面を見つめている。

 彼女が僕の手を振り解き、急に水辺へ歩みを進める。

「駄目だよ!」

僕は彼女の背中に声をかける。

「近付いちゃいけない!!」

僕は彼女に追いつこうと駆け出すが柔らかい泥に足を取られる。彼女はくるぶしまで泥に取られ、それでも手をつき足を引き抜き、水辺に近付いていく。

「わたしの赤ちゃんなの!」

そう女の子が声をあげる。

「わたしが生んだのよ!!」

泥にまみれながら差し出す少女の手、それに呼応するように水面が揺れる。

 底に沈んだ落ち葉の影で何かが暗く蠢いている。ゆらりと水に揺れるそれは、ちいさな赤ん坊の手だ。その手から、暗く短い指が5つ、しっかりと生えている。

「戻ってくるんだ!!」

僕は必死だった。喉が裂けるほど大声でどなり、森が揺れて幾つか悲鳴をあげた。ちいさな手は膨らんだ腕に続いており、その先に柔らかい頭がある。その赤ん坊が水のなかを這って、その手を伸ばしている。

 少女はもう立ち上がれないほど地面に飲まれていた。でも彼女はあきらめない、顔を泥に押し付け、闇の赤子に手を差し伸べる。「わたしのもの」「わたしのもの・・・」そう少女はつぶやいている。僕は目を閉じ悲鳴をあげた。「僕の探していたのはこんなものじゃない。」水辺の細い木が倒れ、それが激しく水面を叩く・・・僕の夢はそこで終わった。

 

 目を覚ますと彼女は消えていた。彼女の着替えもハンドバッグも、馴染みを覚え始めた彼女の持ち物は全て消えていた。そして彼女の代わりに浅黒い肌の少年が一人、部屋の隅から僕の目を見据えて座っていた。

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