第9話

気が付かないうちに僕はその眠りから醒めている。そこに寝起き独特の瞼の重みは無い。目に映っていた風景が最後に見ていた夢と繋がっており、夢だと思っていた景色がただそこで現実、そう意識が認識したに過ぎない。

 僕は空を見つめる。頭の後ろで腕を組み、僕が見上げるツートンカラーの空、青い空と白い雲。それは上質のオイルパステルを練り込んだように見える。僕の意識が、ゆっくり空と同調している。起きていても何一つ変わり無い、身動きなどする必要も無かった。

 僕らは北側の丘に寝転がっている。僕ら?こぶしほどの高さに草が群生する、その丘。そう、僕ら。フワフワと繊維を寝かせて二つの身体を受け止める、その草むら。ほら、彼女が隣で横になっている。胎児のように手足をすくめ、すぐにも生まれそうな彼女・・・その呼吸はちいさな肩にはっきり見て取れる。

 彼女はそこに、眠っている。どんな夢を見ているのだろう?淡い色彩の唇、その端を持ち上げ微笑んでいる。ジーンズとワンピースに身を包んだ彼女、とても幼く見える。自分というものを守る術を知らない、そんな生き物に見える。

 ほんの一瞬、彼女がぼやけて目に映り、僕がはっと息を飲む。大丈夫・・・彼女はそこにいる。


彼女を見つめる僕、風が吹いて、彼女が目を覚ます。


「ずっと私を見ていたの?」

「そう、」と微笑む。

「何かおもしろいものでも見付けた?」

「かわいい女の子を見付けたよ。」

彼女が嬉しそうに、目を細める。

「おなかがへった。食べるものは無いかしら?」

「さあ・・・歩いてみないとわからないね。」

「行きましょう。」

彼女が立ち上がった。

 陽当たりのいい丘を駈け下りる。彼女が走り、ワンピースの裾が揺れる。彼女は歯を見せ振り返り、帽子を飛ばされないよう両手で押さえている。柔軟な肌着から伸びた素足が、飛ぶように地面を蹴る。無防備に覗くそれがまるで別の生き物のように、僕の意識を誘っている。そこに、麦わら帽子に白いワンピースの少女がいる。

 僕らは丘を駈け下り、落ち葉の敷き詰められた森を走る。川づたいに黄金色の草原に抜け、浅瀬で肥った鱒を捕まえる。

 僕らの手を幾度もすり抜け、しかし被いかぶさるように、放り上げるようにその魚を捕まえて、少女が弾けるように歓声を上げる。僕はコヨーテのように雄叫びを上げる。

 それが草原を駆ける、水面を走る。それが森の木々を抜ける、丘を駈ける、それが山にこだまする。こだまする・・・それが、こだましている。


転換場所、移転、OFF、移動、ON・・OFF。


 目を覚ました僕は起き上がり、タオルで滲んだ汗を拭く。カーテンから光が差し込み、跳ね返る。その破片のなか、彼女の裸体がベットの上でシーツと絡まっている。僕はそれを横目にキッチンへ・・・冷蔵庫を開けるとペットボトルを取り出し、2口ほど飲んで元通りに閉める。

 ベッドに戻ると「わたしも欲しい」と彼女が言い、僕は冷蔵庫に歩みを踏み、扉を開け、取り出し、扉を閉じる。彼女が起き上がってペットボトルを両手でかかえ、喉を鳴らして飲みおろす。溢れた水が胸の間を流れる。

「おなかへったわ」と、

ペットボトルを僕に手渡す。

「何も食べて無いからね。」

僕がペットボトルのふたを回す。

「おいしいお魚食べそこなったの。」

「まるまる肥ったやつかい?」

水がポチャリと音をたてる。

「塩焼きが良かった?」

「できたら蒸し焼きの方が良かったわ。」

「キノコと一緒に?」

「そう、キノコと一緒に。」

 僕らは国道沿いのレストランに行く。背広を着た何人か、コーヒーをすする眼鏡の女性、ゆったりと歩き回るウエイトレス、あまり混み入ってはいない。僕らは席に付くとホットケーキとクラブサンドを注文する。

 彼女は浸かるほどシロップをホットケーキにかける。

「こうすると活き活きするのよ。」

「ホットケーキが?」

「そう、お魚さんみたいにね。」

僕は音をたててクラブサンドにかぶりつく。

 食事を終えると散歩する。

お腹が消化していることを確認しながら歩く。

「いまお腹がホットケーキ」

「僕はクラブサンド」

「コーヒーが飲みたい」

僕らは缶コーヒーを買う。

「買いたいものがあるの」

僕らは商店街に向かう。欲しいものがある、行きたい場所がある。僕らはたどりつける、手に入れることができる。何か見落しているだろうか?空虚さがそんな僕らの後を歩いている。

 彼女は下着とTシャツを買った。タオルは僕のを使えばいい、石鹸なら余るほどある。僕は何かを忘れてはいないだろうか?大事なこと、とても大切なこと・・・使命?


彼女が紙袋を抱えながら微笑んでいる。


なるほど、いま僕は彼女といる。彼女が笑う。僕も笑おう、上手に笑おう、笑ってみよう。

 時間は切れ間無く流れる。流されるぐらい浸かっているにも関わらず、僕らは振向く余裕すら・・・無い。思い出そうとすると頭が痛む。何をやっていたのだろう?光に赤味が増し、僕らがオレンジ色に染まる。もうこんな時間だ・・・時間は、僕らの為にも存在しているのでは無いのだろうか?

 突然に夕暮れを向かえた僕らは公園のベンチに座る。途中で買ったお茶を飲みながら日が沈んでしまうのを待つ。彼女はりんごのジュースを買った。それでもよかったなと思いながら僕はプルタブを開けて彼女に渡す。

 僕らはそれを半分も飲まない。それ以上飲んでしまうと手のなかの重みが無くなって不安になるからだ。そんな気持ちは夕暮れ時が一番強い。昼間は昼間の自分がある。夜は夜で違う自分になれる。その切り替え時が一番つらい。

 だから、僕は缶の重みに自分を重ねる。それを、時間をかけて体内に取り込めたなら、僕は自分を飲み干すことができる・・・そんな気がする。

 彼女は何を考えているのだろう?幻想と現実を重ねようと必死な彼女に見覚えは無い。斜めに首をかしげ見つめる公園の砂地、必死に見開かれている眼。少しでも現実を掬おうと・・・なぜ僕らは光の多い時間にそれを試みないのか?多分、気付かないのだ。多すぎる現実の光にその輪郭すら見ることができない。その必要が感じられないのだ、きっと。

 

光、光、光、それが確実に失われていく。


 すっかりと夜が染み渡った頃、僕らはその公園を後にする。缶に残っていた液体を喉の奥に落とし、空き殻をゴミ箱に放り込む。夜は生地のように僕らを包み込み、身体に良く馴染む。それは外気と僕らを一つにし、目に映らない存在へと変質させる。

 僕らは口を利かずに歩いている。そうする必要がそこには無い。僕らは一つの存在で、ひとつの意志がそこにある。僕らはひとつのイメージで、そうやって部屋に戻る。


ONOFF、ONOFF・・・ONOFF、ONOFF・・・。

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