九話:自覚

 聖銑学園の生徒であれば、近接する学生寮に立ち入るのにそう多くの手続きを必要としない。ノートに名前を書き、読み取り用の魔鉄器に登録証を記録させるくらいだという。

 校外からの来客となれば追加で何やらあるようで、それなら電話か何かで用事のある相手を校外に呼び出してしまうほうが易い。寮生は最も簡単に、登録証をかざすだけで出入りできるからだ。


「けーくん!」


 携帯端末を耳に当て、門の向こうで透花がぴょんぴょこ跳ねている。景はちょうど暇を持て余して寮を出ていくところで、たまたま透花がそのタイミングでかけてきたために応じられた。


「こんにちは、透花先輩」

「会いたかったよぉー」


 通話を切って端末をポケットに入れる。登録証を使って門を抜けると、駆け寄った透花が飛びついた。


「わっ!? ちょっと重、くないけど透花ちゃん」


咄嗟に背中を支えると面白がって景に全体重を預ける。宙ぶらりんの幼馴染みをよいしょと下ろせば「よいしょって言ったー!」とブーイングが飛んだ。


「何かあったんですか」

「やだなぁ、けーくんに会いたかったからですよぅ?」

「何かしでかしたんですか」

「してませんー!」


 フグのように頬をいっぱいに膨らませて、透花は景の腕を引いた。腕が絡めば行き場のない指先をも絡めそうになるけれど、危うく思い止まる。知ってか知らずかけらけらと、透花は体を離して横断歩道を渡っていく。ピアノを弾くような足取りで、白から白、白から白へ。


「俺がいなかったらどうする気だったんです」

「んー? どうだろ……まぁ、会えたからいいじゃん! 運命ですよぅ、運命!」

「またそういうこと言って」


 じゃじゃじゃじゃーん、と口ずさむ影を踏む。

 どこへ行くのかと追い続けると、やがて慰霊碑の並ぶ広場にたどり着く。透花は荘厳な気配をものともせずに、相変わらずよく跳ねた。


「宿題、答えは出た?」

「それが本題ですか」


 神社にお参りするように、透花は景の腕をぶんぶん揺らし肯定した。されるがままにぐらぐらしながら、先の『それでいいのか』に答える。


「……ひとつだけ思うのが」

「うん」

「俺、あのひとの名前を呼びたいみたいです」


 はあー、と五秒かけてため息を吐き、透花は肩をすくめてみせる。わかってないなぁ、という風で、事実、景には何がわかってないなぁなのか分からなかった。


「天ヶ瀬のお姉さんと契約しちゃえばいいのに」

「あぁ、一回やってもらいましたよ」


 と、今度は景が肩をすくめて答える。そうなんだー、と労るように撫でられても抵抗しなかった。


「この透花先輩が契約したげよっか?」

「契約解消なんかされたら、菖蒲くんが泣きますよ」

「それは見たいなぁ!」

「それに」

「それに?」


 促されて、景は息を吸い込んだ。親しい間柄でも、それを訊くには抵抗があった。


「……魔女体質者が魔女になるってことは、その、兵器になることと一緒なんでしょう」


 しん、と場が静まり帰った気がした。けたたましい蝉さえ鳴りを潜めて、その魔女兵器の答えを待っていた。

 透花は不思議そうな顔をしていた。少し考えて、どこか切なげに笑う。


「うん、そーらしいね。魔女ボクらは一生モノの道具あいぼうなんだ」


 その声は誇らしげにも聞こえて、景はなんとなく納得がいかなかった。兵器になることは、はたして喜ばしいことなのか。


「……でも、契約しなきゃただの人でしょ」


 呟く景に、透花はきょとんと瞬きをした。いつものふにふにの笑顔に戻って言う。


「それはそうですけどぅ。けーくんずっと誰かと契約できればなんでもいいやーみたいなスタンスじゃなかった?」

「……そうでしたっけ」


 かつて契約交渉もした相手にそう言われると気まずくて景は目を逸らした。視線の先の慰霊碑は、何も語らない。

 視界の外で透花が宥めるような声を出す。ベンチに座ったのか、その声は低いところから景を突いた。


「ただの人なんて言ってもね、魔女ボクたちを魔女たらしめるのも製鉄師のOWありきでしょ?」

「なんかそれ前も聞いたなぁ……」


 あれは光と景が初めて出会った日だったか。こよりはナンセンスだと笑い飛ばしたけれど『OWを消してくれるって点では、俺らドヴェルグにとっての魔鉄、製鉄師にとっての魔女は一緒』というのもまた事実。


「ただの、人……」


 ぼんやりと輪郭さえ無かった思考が、ふと一つの解に行き当たる。一に一を足すような、簡単で、けれど証明しがたい結論。

 瞬間、膨脹した感情が胸を突く。背中を突き飛ばし、鼓動をも支配してその感情は行く先を求めた。

 焦燥。

 世界が軋む音がした。パズルの最後のピースを正しい場所に嵌めた音。挿した鍵が回り、ずっと閉ざされたままのとびらが侵入を許す音。あるいは水面の泡が弾ける音。


「──あ、」


 透明だ。

 あるいは光だ。

 見えていないようで見えている。見えているようで見えていない。

 存在としては無に近しく、しかしすべて有の存在を認めるモノ。

 心の芯から溶かされるような、強い陽射しに目が覚めるような、自分の存在を最も認識し易くなる感覚。希望の具現。思い起こされるその姿が、鮮烈に、じりじりと魂を焦がしていく。


「あ……ぁぁあああ、ッ!?」


 激痛。脳をそのままミキサーにでもかけられているようだ。ぐしゃぐしゃの感覚では上下左右も眩んでしまって、堪らず踞る。付いた膝に小石が刺さるのも、きつく握った手のひらに爪が食い込むのも、痛みとして届かない。長時間日光に晒されていたはずのアスファルトの熱も感じなかった。ただ頭の真ん中がドロドロに灼けるようで、それが思考や痛覚を邪魔している。


「けーくん! どうしたの、ちょっと、けーくん!?」

「ああ、いっ……!」

「うぅー兄さん、いや救急……あ、もしかして」


 声のほうへ、縋るような気持ちで見上げたそこには、──誰もいなかった。右を見て、後ろを振り返っても、誰もいなかった。誰も。

 困惑していると不意に、顔を引き上げられる。


「っ、眩し……」


 それが誰の仕業なのかは考えるまでもないこと、のはずだった。

 けれど前触れもなしに動かされた視界の真ん中は、ギラギラとけたたましく照りつける太陽。人影なんてなければ、そもそも頭だか頬だかを押さえつける手の温度を、感触を、少しだって感じられない。

 再び、その空間は険しい声を発した。


「やっぱり……焦点が合ってないよ」

「え……?」

「これ、この指、何本か判る?」

「な、何本も何も、透花ちゃん」

「いる。いるんだよ。ボクは、ここに」

「はは、は……嫌だなぁ! 冗談きついですよ! だって」


 前に人なんかいない、と証明するため手を伸ばす。そこでようやく、気付いてしまった。普段ならちゃんと見えているシャツの袖が、登録証が、どんなに睨んでも見えない。愕然と見下ろせば、影さえもなくなっていた。

 世界にかげが無い。

 瞬間、景は自分自身が存在を見失ったことを理解してしまった。

 ヒュッ、と喉の奥から音が漏れる。


「……なんで、そんな、こんなのって、だって、ああ、冗談じゃない……っ!!」


 世界に拒絶された。そんな直感があった。言い様のない嫌悪感が臓腑を握り潰そうとしてくる。吐き気がするほどに、この歪んだ世界は脅威そのものだ。


「う、そだ、嘘だ嘘だ、嫌だ!! 信じるもんか、こんな……俺、俺はここにいる!! いるよなあっ!?」

「……ねぇけーくん、ひとつ、訊きたいことがあるんだけど」


 声だけの幼馴染みが話しかけてくるのもまた、景の恐怖心を煽った。これは、ともすれば幻聴の類いなのではないかと、疑心に生じた暗鬼が問う。ああ、あるいは悪い夢であってほしい。


「嫌だ、嫌です、聞きたくない……何も、聞きたくない、見たくない……!」

「駄々っ子ちゃんめ~……」


 なんとでも言え、と。言葉は声になっていただろうか。

 息苦しい。否、苦しいのは呼吸だけではあるまい。り潰すような頭痛は未だ絶え間なく襲いかかり、時おり視界を白黒に明滅させる。しかしむしろ、今やその気が触れそうなほどの痛みが、今の景を一応の形で保っていた。


「いいから聞いて。位階が上がったんだよ、多分」


 透花がそう言った。朧気な距離感のせいで彼女がどこにいるのかもわからなかった。

 呼吸さえ覚束なくて、景は酷く咳き込んだ。


「……っ、なんで、契約者だっていないのに」

「それはわかんないけど、まぁ皇国にも生まれもっての振鉄位階だとか冥質界が見えちゃってる人がいるとかって都市伝説もあるし……?」

「都市伝説なんかどうでもいい!」

「はいはい、いい子だから冷静になろうねー」

「俺は冷静です……!」

「わかった、わかったから捨て犬みたいな声ださないでよぉ……」


 子供をあやすように、甘やかに、透花はゆったりと囁いた。


「ね、さっき、何考えてたの? そうなる前だから、えぇと魔女と契約どうたらーみたいな話をしたとき。けーくんこそ心当たりあるんじゃないの?」

「魔女と、契約……」


 昼下がり、缶を抱えて見上げた金糸雀色の髪。鏡のような両目に、自分を映してほしいと思った月夜。初めて名で呼ばれた日に見た葉桜。

 色彩が、激情を纏って再生される。記憶の中、あらゆる景色はプロミネンスより熱く、幾千の星々よりも輝かしい。

 視界が眩んだ。脳内に警鐘が鳴り響く。

 しかし想いは天道虫のように、光を求めた。


「……行かないと」

「あっこら、けーくん!?」


 不安定に揺らぐ陽炎の向こう。

 一歩、また一歩と、進むほどに色彩が狂っていく。真夏の重たい青天井が死んでいく。道端の夾竹桃の、咲き誇る赤が死んでいく。さながら世界が喪服を纏っていくようだ。信号の赤も青も同じ色だった。

 その窮屈な世界は不意に、ほんの一瞬、ラジオの周波数が合うように整合化される。


 が、すぐにノイズがかかっ た。



 モノクロ写真が 端から燃えていく  ように  色無き世界は遠くから   灰に帰して


    白く



 白く




   染まって









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