八話:禍と福

「さ、行こうか景!!」


 実妹からの辛辣なコメントも意に介さず、世間受けのいいアイドル顔が導く。目深に被ったウサ耳キャップの下、レモンソーダのCMみたいな爽やかな笑顔は、その実かなりはっちゃけている。

 景はレモンの皮だけ齧ったような顔をして大きく息を吸った。


「絶……………………っ対イヤです」

「溜めたなぁ」


 菖蒲は景を取っ捕まえるようにして肩を組み、親指を立てた。誰かを口説くときのようなイイ顔で嘯くことには。


「お化けなんてないさ!」

「わかってますけど……」


 お化けなんて嘘か鉄脈術さ。そんなことは言われなくとも知っている。なお次の台詞は読み流して構わない。


「だいたい三層世界論によって『お化けなんてないさ』が一応証明されたってのに、やれ幽霊だユーマだと言うだろ。たまらないね! まぁ三層世界論あれは俺たちにはある程度身近だが、こういう体質でなければお化けに等しき別世界と思うのも致し方ない。しかし、しかしだ。あそこを見ろ、鬼火、鬼火って五世紀も前から科学的に証明がされていて……!」

「み、見ないし聞かないから!」


 滝のような早口に揺さぶられながら、景はその腕から逃れるべく抗った。

 三層世界論とはこの世界マテリアル歪む世界アストラル、そして向う側カセドラルを総称し、その互換性を論ずるものである。この世界論の理屈では神も仏もユーマも居らず、それはカセドラルからの干渉であると見られている。ゆえにお化けなんてないさ、とは言うのだが。

 べらべらと耳許で聞くに耐えない科学知識が語られる。あとは聖玉に勝てれば完璧、とも謳われた先々代生徒会長の秘匿された欠点が、このオカルト趣味だった。

 イーファン君に頬を寄せ、透花は甘えたように光を見やる。


「ごめんなさい。兄さん、これと決めたらそれしかない馬鹿か猪みたいなヒトで、なかなか止まらないので待ってやってね」

「ううん、大丈夫。興味深いわ」


 と、言い終わりもしないうちだった。


「分かりますか!! この面白さが!!! 今年のテーマは病院ですよぉ!!」

「ひゃっ!?」


光と透花の間に割って入るように菖蒲が顔を出す。


「ぜひ行きましょう天ヶ瀬のお姉さん! 透花も景も分かってくれないんです」

「ぼ、ボクは別に! わーって驚かされるのが嫌なだけですけどー!?」


 反駁した透花のポシェットが当たり、顔を上げた景は幼馴染みの暴挙に気付いた。頭のネジが緩みきった菖蒲のパーソナルスペースが狂っている。


「あっ、ちょっと菖蒲くん近いんじゃないですか! 離れて離れて!」


 思いきり引き離せば、酔っ払いのように今度は景に絡み始める。


「なんだ一緒に来るか? 天ヶ瀬のお姉さんにいいとこ見せ……」

「られたもんじゃないですよね」

「そうだな」

「元はと言えば菖蒲くんが原因ですからね!」


 バーカバーカと謗るも糠に釘、蒟蒻に斬鉄剣を向けるがごとし。風が抜けるように流された。


「いってきまあああす!」

「また後でね」

「いってらっしゃーい」

「また後で」


 散々騒いで、結局光と菖蒲が待機列に向かって行った。菖蒲は止まることなく身振り手振りで何事かを語り続けていたが、それで往来の邪魔にならないのが不思議だ。


「……行っちゃった」

「……行っちゃいましたね」


 残された景と透花はしばらく行列を見ていた。寝ぼけた蛇のように、その列はだらだらと動いていく。

 やがて見飽きたのか透花が沈黙を破った。


「……アイス食べる?」

「食べる」

「りょ。買ってくるからけーくんお茶買ってきてよ」

龍茶堂りゅうさどうの500ミリのやつで合ってる?」

「うんうん、よろぴー」


 二手に分かれ、少しの後に合流する。

 廃病院とこの先のアトラクションの間、道幅のわりに自販機と屋台が立っているだけで、ベンチの類いはなかった。


「まぁ、なんかのアトラクションに並んだつもりってことで」

「じゃああのいきなり落っことされるやつ二周目のつもりで!」


 楽しげに宣言して、透花は景に青いアイスクリームを差し出した。地上60メートルからの急降下がそんなに気に入ったのだろうか。


「はいどうぞ。……そういえば、けーくん今日は手袋してないんだね?」

「あぁ、うん。ちょっとは見えるから。というか、最近はそのほうが多い気がします」


 と、交換に緑茶のペットボトルを手渡しながら答える。コーンの赤い包み紙を支える手は、景には影のようにあやふやに見えた。

 黄色い氷菓を舐め、甘露な冷涼に透花は頬を緩ませる。


「ふぅん? いいことじゃん?」

「どっちもそう変わらないですけどね。だって、空気や影なんか気にして生きてないでしょう」


 ひらひら手を振って答える。ぼやけた手のひらの向こうで、ポップコーンでも拾い食いしたのかよく肥えた雀たちが跳ねた。

 川面のように澄みきった目で景を見て、透花は呟いた。


「半袖着てくればよかったのに」

「あんまり格好いいの持ってなくて」

「そこは気にするんだ?」


 透花がくすくすと上機嫌に体を揺らすたび、その胸に抱かれるイーファン君が頭を揺らした。垂れ耳が振り子のように行き来する。


「ところでさぁ、天ヶ瀬のお姉さんってけーくんの何なの?」

「何って?」

「友達じゃないんでしょ?」

「うん。……うーん……」


 一番それらしいのは雇い主と労働者だろうか。だが手を繋いで歩くことだってあった。それが正鵠を射ている、とはどうにも言いたくなかった。


「……なんなんでしょうね」


 菖蒲と透花のように契約者ではないし、もちろん兄妹でもない。景とこよりのような友人関係にあるわけでも、多分ない。景と透花のように先輩後輩の関係でもないし、恋人だったわけでもない。


「──あぁ。でも、好きなんですよ」

「片思い的な? 元カノボクに言うことなのかー?」

「透花ちゃんが俺に恋を教えたんだから」

「むーぅ……そうじゃないんですよぅ……」


 コーンの端をさくさくと食べきり、紙を握り潰した右手で景を指す。桃色に染め上げられた髪が向かい風に膨らんだ。


「『それでいいのか』ってこと!」


 言葉の真意を咀嚼しかねて、景は首を傾げる。手の内ではアイスが液体に戻りかけていた。


「まぁ彼女がいるだけで、俺は幸せですから」

「本気で言ってるー?」

「どういうこと?」

「うーん、けーくん嘘つけないしなぁ……。だからね、お姉さんがとられちゃってもいいのかって話ですよ」

「と、とられるもとられないも、俺のものじゃないし……」


 妙にどもってしまったのは口の中の水分を奪う間食のせいに違いない。

 ゴミ箱にコーンの紙を押し込むと指先が濡れている気がしたが、気のせいなのかどうかがわからない。着色料のブルーでは、景の輪郭たり得ないからだ。

 手鏡で前髪をチェックしながら、透花は景の方を見ずに話す。


「ボクが言うのもなんだけどさ、兄さん顔はいけてるし、頭いいし、人並みにスポーツもできるよ。スポーツは多分だけど」

「知ってますよ、俺も幼馴染みですからね」

「知ってるのは知ってるよ、ボクも幼馴染みだからね」


 そーじゃなくてですよ、と腰に手を当て、振り向いた透花は授業中の教師のように景の正面をゆっくり歩いた。


「あのモテ野郎と好きな子が、二人きりで、それもお化け屋敷ですよ。なんか思わないの?」

「なんか、なんかって……楽しんでたらいいなぁ……?」

「……けーくんはさぁ、おつむが弱めなのかな? 一人っ子のくせに」

「一人っ子関係ありますか?」


 教鞭よろしくちいちいぱっぱと振っていた指をまた景の鼻先にかざして透花は頷く。鏡色の目は景を映さないけれど、その視線は真っ直ぐに景を見ているはずだ。


「ありありのオオアリクイっす! ……っとと、ごめんなさい」

「……なんか、急に混んできてないですか」


 場所が場所だけにあまり人がいなかったのが、次第にざわざわと流れを作り始めた。


「あれじゃない? パレード的な」

「あー、パレード的な」


 どこからともなく現れた開襟シャツのスタッフたちが速やかに通路を作っていく。なるほどそれで妙に道幅が広かったわけだ。


「逃げてよう、けーくん人混み嫌いでしょ」

「うん、そうしましょう」


 端へ端へと歩いて避ける。しかし寄ってきた人々も日向にはいたくないようで、二人と同じ日陰へ日陰へと攻めてくる。透花が「暑苦しーなぁ」とこぼす。


「だいじょーぶ?」

「……大丈夫。このまえ花火に行ったときなんか、ほんとに平気だったんですよ」

「暗い上に人混み? なんで行っちゃったかな」

「行きたかったから」

「大概けーくんも猪突猛進だよね」

「ははは、菖蒲くんには負けますよ」


 軽口に応じながらも、景は自身が消耗していくのを自覚していた。

 視界を埋める色、色、色。それらは無色の景に眩しすぎた。まるでみにくいアヒルの子。景の翼は黒く濁って情けない。


「あっ、今どこって通知入ってる。一応写真撮って返信しとくー。けど分かるかなぁ……」

「待つしかないですかねぇ」


 というか今は動きたくない、という意図を読み、透花が「なるりょー」とゆるく反応した。

 観客たちが体を揺らし見るパレードの縁、その愉快な魔法に置いてきぼりにされている。そんな感覚が果てなく孤独で、寂しかった。


「しんど……」


 目を伏せる。華やかなフロートも、振りまかれる笑顔も、見なければきっと辛くない。雷に怯える子供のように耐えていた。

 けれど。

 ほんの小さな魔法のような、小さな声が届いた気がした。「景」と呼ぶ声が、照らし出すように聞こえた気がした。


「けーくん? どうかした? 具合わるい? 泣いちゃう?」

「泣きませんから。ちょっと静かに……」


 見渡す極彩色の波の中、一粒の砂金が確かに煌めく。


「……景!」

「あぁ、やっぱり勘違いじゃない……!」


 するりするりと上手く抜け、光は人混みの中から躍り出た。

 雲間から射し込む陽のように、視界に一際耀くその姿が感情の陰りを濯いだ。景は思わずその両手を、包むように握る。


「見付けてくれてありがとうございます、天ヶ瀬さん」

「景……」


 少し驚いたような顔をして、光は手を引き抜いた。と、思うと今度は光から握手を求める。首を捻りながら右手を乗せると、どういうわけか光は口を曲げた。


「あなた手がベタベタしてる」

「えっ? ……あー、買い食いしました」

「しょうがないわね」


 リュックサックのポケットから除菌シートを出してきて、光の小さな手が不織布越しに景の手の上をあくせく働く。


「……あの、天ヶ瀬さん」

「何?」

「一枚もらえれば自分で拭けますよ?」

「……それは先に言いなさいっ」

「癒されるなぁって……」


 返答は光の抱えたイーファン君の頭突きだった。黄色いもふもふ頭の向こうから、意味ありげな顔で透花が見ていた。

 遅れて合流した菖蒲はすっかり優等生然とした調子を取り戻していた。


「悪い、パレードのこと伝えそびれてた。大丈夫か、景?」

「意外と平気です。菖蒲くんも堪能したようでよかった」


 からかい混じりに答えると、菖蒲は満ち足りた様子で微笑んだ。


「皆が良ければだけど、パレードに人が集中してるうちに進もうか」

「兄さん兄さん、ボクあれ乗りたいです、ゴーカート!」

「わかったから大人しくしろ、他の迷惑になる」

「天ヶ瀬さん、行きましょう?」

「うん」



 夏休みで緩められているとはいえ、許可なく寮の門限は破れない。半私立といえども半分は国立、規律正しき養成所であればなおさらだ。

 空の明るさに遊び足りない気がしたけれども、四人は夢の国を後にした。

 早乙女兄妹とは駅で別れる。菖蒲が「帰り道、気をつけてな」と手を振った。


「じゃーねー、また遊びましょ!」


 透花も兄と同じように別れを告げる。

 しかし思い出したように景に駆け寄り、右の耳にその唇を近付けて囁いた。


「それから、けーくんには宿題。今度また聞くからね、『それでいいのか』って」


 景と光は学園方面に連れ立って歩いた。耳の奥に透花の問いかけが残っていた。

 光と自分はどういう関係なのか。自分は光とどういう関係になりたいのか。


「天ヶ瀬さん」

「なぁに?」

「天ヶ瀬光さん」

「うん、どうしたの」

「……いや。なんでもない、と思います」

「なぁに、それ」


 愉快そうにふふふ、と笑っているのが無性に愛しく思えていた。

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