第五話:月

「なにそれ」

「コロッケ焼きそばパン」

「なにそれ」

「コロッケ焼きそばパン」

「いや、それはわかるけどもよ!」


 効率的なのか欲張りなのか、キャベツも挟まっていないその総菜パンは見た目コロッケパンでありながら、そのコロッケのタネにソース焼きそばが混ぜ込められている代物だった。コロッケなのだからソースが合わないわけじゃないが、タネの体積が減るぶんコロッケ感はないし、調味役を兼ねられた焼きそばのほうもタネに巻き込まれて麺っぽさがない。総評してどっちつかずというか、どっちかにしたほうがいい。まぁ幸いハズレでもなし、空腹に不味い物なし。ただ次はないな、と思った。


「しっかし一目惚れなんてねー。あるんだねー」

「ちょっとヨリさん、つつかないで」


 抗議に対して、返答はぴゅるるー、とからかうような口笛だけだ。


「そういや暫くしなかった話題かもだなぁ。……いや逆に不健全じゃない?」

「あ、えっ?」


 景は話の流れがよからぬ方向へ片寄ったのに気付く。元はと言えば確かに景自身。身から出た錆というやつで、さりとて「よしじゃあ恋バナしようぜー」なんて乗り出すような質ではなかった。

 なかったので、ひとまず自分へ向く話題をそのまま返すことにした。


「えーっとヨリさんこそどうなんですか」


 こよりは何か思い出すように左斜め上を見る。誰か心当たりが、と景が問い詰める前に悪戯っぽく笑ってとぼける。


「そりゃもう、魔鉄が恋人に決まってんでしょーよ!」

「ずっこくない!?」

「ずっこくない。OWを消してくれるって点では、俺らドヴェルグにとっての魔鉄、製鉄師にとっての魔女は一緒って言うだろ。ほとんど彼女じゃん」

「そうだけど、そうじゃないでしょ」


 だってそれじゃ、まるで魔女が道具みたいだ。景がそう口にする前に、親友はドラマの役者よろしく両手を広げて主張する。


「冗談。魔女と魔鉄を一緒くたに考えるとかナンセンスだぜ! なんといっても魔女とちがって魔鉄俺の恋人は悠久だ。100年経っても大丈夫、ってね」

「……なんか、それこそ不健全じゃない?」

「そ、そうっすかね……?」


 この話題向いてないんじゃない? という雰囲気が流れる。もう少し粘ってみようと思ってか、こよりがろくろを回すように訊ねる。


「んー……魔女様、可愛い?」

「めちゃめちゃ可愛い」

「神楽坂マナカとどっちが可愛いよ?」

「魔女様の一択。っていうかあの人あれじゃないですか、こないだ熱愛報道があってまだ炎上してる」



 神楽坂マナカは制服を模した衣装で押せ押せの恋愛ソングばかりリリースする国民的アイドルグループ、の最古参メンバーで安定的な人気を誇るタレントだ。とはいえ今はセンシティブらしいが。

 ろくろ上のエア陶器を手のひらで崩して頷き、テレビっ子の親友が情報を加える。


「そうそれ、お相手は二十飛んでなんぼか年上の一般人男性(ネイルアーティスト)だって」

「へぇ……二十なんぼ年上の」

「マナカちゃんがあのまま引退するならアイドル業界は櫻花おうかちゃん一強時代がくるかもしれないとか、こないかもしれないとか」

「いやぁ八重鐵やえがね櫻花おうかは方向性が違うでしょ」


 複数人から数十人でユニットを組む歌手が圧倒的に多い現在、アコースティック・ギターと囁くような歌声だけで他を凌ぐソロシンガー、八重鐵櫻花。八重鐵グループ──この「グループ」は企業を指していてアイドルグループとは関係ない──会長の孫で、コマーシャルの要素が混ざってしまうのではという観点から皇国公共放送だけは使い辛がっているらしいが、それを除けば多くの人々に愛される、つまり彼女もまたアイドル偶像らしい。


「また話がずれた。まぁいいや! 上手くいったらお祝いにおケイには契約魔鉄器エンゲージでも作ったげるね」

「……それちょっと死亡フラグっぽいですよ」


 お願いしますとは言えなくてそう指摘すると、こよりは無意識だったのかぱちぱち瞬きをした。それから階段を一段飛ばしに飛び降りて、振り返らないまま深刻な声色で言う。


「俺、聖刀から帰ったらあいつに結婚申し込んで学食の味噌コーンラーメン食べるんだ……」

「いやいや、どっちかにしましょ?」


追いかけて階段を降りながら言えば、今度こそ振り返って破顔一笑。


「訂正するよ、おケイのおごりで味噌コーン大盛りに変更で!」

「えぇー? それ死亡フラグとしての、なんというか、質?が上がってませんか。本当に死ぬやつですよそういうの」

「わかるー!」

「ざ、雑すぎる……もうちょっとこう……」









「天ヶ瀬妹」


 童女の、しかし老成した響きを持つ声。落ち着き払った呼名に、光は答えを繕って応じた。


「あら。お酒が足りませんでしたか、黒崎先輩?」


 聖銑区中央からやや外れた場所に位置するこの天ヶ瀬邸、広間では、既に賑やかな酒宴が始まっていた。

 雨戸を開け放った廊下。月夜の縁に灯りはない。陽も沈み、月明かりに暗音の黒衣はあまりに涼やかだ。


「いや、いや、十分頂いたさ。ふふ、毎年毎年、人数こそ減れど、つまみの味付けまで少しも変わらない」

「うちの姉が、先輩の好きな銘柄も、濃いめのきんぴらが好きらしいことも、全部メモしていました。広間で宴会を開くたび、先輩を観察して反応を見て、改良して。……その最新版が、いつまで経っても更新されないものだから、私はもう姉さんのノートを見なくても先輩好みの宴会が開けます」

「歳を取って味覚が変わることもなし。その点、私達はシェフに適正があるとも言える」

「長い帽子をかぶってね」

「どうにも背丈が足りんからな」


 ふふふ、とふたつの笑い声が重なることほんの数秒。口角はあげたままに、光はつとめて冷たく話題を移した。


「そんな話をしに来たんじゃないでしょう。昼の覗き見でも謝りにきてくださったんですか?」

「あぁその件だが、詫びに契約用魔鉄器の手配をしておいた」


 咄嗟に、なるほどと納得しかけた。

 さも当然のように言うものだから、当然のように聞こえた。次いで誰のためのエンゲージかと考える。光の雇う小間使いたち、といっても三人だが、ともあれ彼女たちは皆、未通の魔女である。聖銑学園魔女科の卒業生で、合意があれば学園の製鉄師見習いとの契約に応じられるようになっていた。けれどこの長期休暇に、契約の申し出があるとは思いがたい。

 と、そこまで考えて、ようやく対象が自分自身だと思い至った。ある。あった。契約の申し出が、一件。


「──っ!」

「くく、そう睨みなさんな。単なる老婆心よ」

「わ、私は……私は誰とも契約する気なんか……」

「その気がなくとも、吐いた言葉の責任はあるだろう」

「けれど、けれど私は……」


 想起される過去。そのとき光はまだ幼かった、けれど眼前に広がる風景の意味くらい理解できる年齢だった。今の学生は生まれてもなかったろう歴史のその一端、皇国の魔鉄文明で最初の英雄。その背中を、その友情を、その遺体を、光はただ見ているだけだった。


「時に『見習工』よ」


 暗音は次に箸を伸ばす器を選ぶような目で光を眺めていたが、やがてひとつ咳払いをすると自身の背後へと声をかけた。


「……なんでわかるんです。怖いなぁ」


 逡巡するような静けさの後、曲がり角から青年が姿を見せる。光は唇を噛む代わりに口角を上げて息を吸った。


「何かあったの、水樹君?」

「いや、大事ありません。ただ貴女がどっか行ったっきりだなと思って、何か手伝えることがるかなと。だ、だから立ち聞きとかじゃなくて、どっちかというと先生から隠れないとみたいな、夜だし、その……ごめんなさい」


 徐々に言い訳がましくなっているのに気付いてか、声が萎んでいく。

 ちりん。と、助け船は小さな鈴の音だった。光は景の潜んでいた廊下の曲がり角から、のそりと愛猫が現れるのを見る。


「ゆかりさん、あなたも立ち聞き?」

「え?……わ、猫!?」


 彼女はグリーンの瞳で客人たちを見上げた。が、すぐに興味を失ったように光のほうへすり寄ってくる。


「六代目ゆかりさん」

「……襲名制なんですか?」


是とも否とも言わず、灰色のつやつやした毛並みをなぞる。あかりと光の次にやってきた家族だからと、父が名付けた名前だった。初代の彼が逝った後に、この家に来た野良が二代目と呼ばれて以来、自然とゆかりさんと呼ばれている。

 小さな溜息が聞こえた。アルコールのせいで気がゆるんでいるのか、もしくは聞こえるように、だったのかもしれない。暗音は続けて名を呼んだ。


「水樹景」

「……学長、まさか生徒みんなの名前覚えてるんですか?」

「まさか」


暗音は「まさかそんなはずは」なのか「そのまさかだよ」なのか曖昧なニュアンスで濁す。首を傾げながら頷く景は懐疑的な目を向けている。ふっ、と今度ははっきり聞こえるように笑って、カリスマ的支配者は不思議と優しい声を発した。


「お前さんに限って言えば一昨年の生徒会の早乙女兄妹が時々。いい先輩を持ったな」

「あぁ……なるほど。はい、おかげさまで」


 暗音は、景の返答に、あるいは本心から快く思っているかのように頷く。「猶予くらいくれてやるので近日中に」という旨のことを言い残し、漆黒のスカートを翻して去っていった。ゆかりさんもそのひらひら揺れる黒を追っていってしまう。

 はー、と残された二人ぶんの溜め息が被る。光が見上げれば視線が交差し、景は照れて頬をかく。緊張がほどけるのを感じながら、光は微笑んで訊いた。


「疲れてない?」

「いえいえ、すごく可愛がってもらいました」

「そう。新顔なんて久しいから、先輩たちも嬉しいんだと思うわ」

「貴女は? 俺は天ヶ瀬さんにも嬉しいって思ってほしいです」

「まぁ、そうね。助かったわ。手伝ってもらえて嬉しい」


 景は「そうですか!」と無邪気な、という年頃でもないのだろうが、それでも大人にはない純粋さがある笑顔を見せる。

 縁側へ腰を降ろして光が隣を示すと、景は一人ぶんくらいの間を開けて座った。


「……気になってたんですけど、天ヶ瀬さん、どうして契約していいって気に変わったんですか」

「拒否したままのほうがよかった? 」

「いやとんでもない。……でもなんだか奇妙な感じがして。だって俺と契約するつもりはないって、最初はにべもなかった。さっき学長と話してたときもそうだったでしょう」


 長い、長い沈黙。やがて居心地悪げに景が身動ぎすると、そこでようやく光は口を開いた。


「……似たようなことを言ってた人がいたの」

「似たような?」

「『戦うのは皇国のため、黒崎先輩の指示を受けるため。でも私に流れる血はだーりんだけのもの。私の鼓動は彼と共にある』って」

「……あぁ、確かに。言いましたね、俺。そんな感じのこと」


 『貴女の血を俺のものに』と。そう口達者な感じのないこの若者は言っていた。学校よりも戦場に馴染みが深かったような彼女の、『鼓動』なんて言葉を使うのを他に聞いたことがあったろうか。否。後にも先にも、あれだけだった。

 光にはわからなかった。製鉄師の、魔女の考えることは。


「あの人は、姉さんはそれから、一ヶ月くらい後に死んでしまった」


 黙ると広間の喧噪が大きく聞こえた。話すつもりのないことを喋ってしまった、と後悔する。悪い癖だ。ときどき深く考えるより先に口が動いてしまう。思わず漏れた嘆息を悲しみと誤解してか、景が低く呼ぶ。


「……天ヶ瀬さん」

「ねぇ水樹君、あなたはどうして製鉄師になんかなろうと思うの?」


 労るような目から逃れたくて問いかければ、景はえぇ?と頓狂な声を上げる。

 ともすると先の光の沈黙と同じくらい長い時間を思考に宛て、やがて律儀に答えを拾い上げた。


「……怖かったからだった、と思います」


 景はそう切り出してからまた少し何事かを考えていた。それが済むと不意に立って三メートルくらい向こうへ歩き、振り返る。発言のわりに軽薄な微笑を浮かべて、廊下の床板を見やる。


「今日は空が明るいですね、月影ができる」

「明日は満月だって、手帳に書いてあったわ」

「へぇ、明日も見てみることにします」


 言いながら、すい、と右手が伸ばされた。手のひらが光のほうを向いていて、ちょうど月蝕のように景の表情を遮っていた。光には意図が読めなかったが、なんだか一つ納得したような声がして、月蝕に例えるところの地球、つまり右の手のひらが引っ込む。

 青年は視線の先で手首までを覆う手袋を外し、また光の視線を遮った。宴会の支度最中に昼間だけはさすがに暑くて、と言っていたから、暑くなければ普段から身に着けているのだろう。


「さて、貴女からはたぶん見えていないと思うんですけど、こうやって隠してしまっても、俺からは貴女が見えています。まるで『ここに自分の手なんてない』ように」

「それが、貴方の世界?」


 ひとつ頷くと景はその手を握ったり開いたり、「すごいでしょ」とおどけてみせる。


「逆に、もしかしたら誰かが、貴女が、本当に俺なんていないように観測する日が来るかもしれない……なんて。まぁ、ちょっとした妄想ですよ。なんというか、自分の存在感がふわっとするんです。それで……」


言いながら光のほうへ戻ってきて、さっきまでよりも少しだけ距離を縮めて座った。さらに続ける言葉はまるで言い訳のようでもあった。


「……ああでも、違うんです。わかってほしいとかそういうんじゃなくて」

「うん、OWへの抵抗が動機でしょう。けれど製鉄師を選んだ理由にはなっていない」

「あ、確かに。テストなら減点されるところでした。……うーん、こう言うと失礼な感じですけど、ドヴェルグを選んでもよかったのかも……いや何か……」


 はた、と。その目が困惑に揺れる。風前の灯火、あるいは雲間の月影のような囁きは疑うように、確かめるように紡がれた。


「……誰かに、見てほしかったから……?」

「見てほしかった?」

「鏡にも、写真にも、水面にも、写らない。いえ、写っていても見えないんです。俺には、俺自身の存在が、どうしたって」


 縋るように光の顔をのぞき込む。口調に反して、その表情は凪いでいた。彼の影のなかで浮かんだ感情に同情だと印をつけるのと、その強い視線が外れるのは同時だった。


「貴女の目にも、俺は映らない」

「私に見られたい、と?」

「はい、きっと」


 肯定するその目の奥に、何かが燃えている。

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