二話:希望

 さて製鉄師になれるだけのイメージとは、浅くとも二段階目、製鉄位階以上のOW深度が適切であるというのが定説とされるらしい。世界あるいは自分が何か別のもの、いわゆる『歪む世界』として観測されるのもまた多く製鉄位から。すなわち物心ついたころには自身の肉体を実体がないかのように観測していた景は製鉄師になれるだけのポテンシャルを持っていると言える、はずだった。

 しかし現状がこれだ。幾度とない試行。その間にパートナーを、想起するイメージを、手を品を変えて契約に挑んだ。成果はないに等しかったが。

 もちろん諦めたわけではない。いわば戦略的撤退である。覚えてろよーと遠吠えながら機が熟すのを待っていた。

 そして、これが三度目さいごの夏。

 雲ひとつない青空に蝉の音だけが溶ける午後二時過ぎ。泳いだ後の気怠さとスポーツバッグを背負い、うっかり寮のランチタイムを逃した景は学園近くのコンビニへ向かっていた。

 駐車場を突っ切って、片付け忘れられたらしい傘立ての横を抜ければ自動ドアが開く。ゴミ箱にペットボトルを落としまっすぐ奥へ進もうとして、視界の端に一瞬ちらついた何かに気をひかれる。半歩戻って見てみれば、しかし新発売で流行っているという消しゴムくらいしか真新しいものは見当たらない。なんだろうと思うも景はすぐにそれを意識の外へやり、最奥、突き当たって斜め後ろの島で足を止めた。


「……時すでにお寿司ってやつですね。パンだけど」


 溜息。そりゃどうよと言わざるを得ない個性派総菜パンがだけが売れ残り、もとい誰かに買われるのを待ち構えていた。振り返れば同じくそりゃどうよ系おにぎりが買ってほしそうにこっちを見ている。誰が仲間にしますか。うろうろと二分悩み、コロッケ焼きそばパンなる絶妙にハズレのギリギリ枠外にいてくれそうなそれに決めた。初見殺しっぽいパッケージに不安はあまりに残った。

 レジへ向かおうとして、昼食への期待が薄れたためか再来した興味に乗って文具コーナーへと通り過ぎる。昔から、それこそ祖父も学生だったような時代からある会社の製品で、しかしこれはほぼ魔鉄器ではないかと話題の消しゴム。ちょうどいいサイズでよく消え、なんと紙へのダメージが異常に少ない。カラーバリエーション豊富で子供も大喜びを謳う。

ひとつ手に取り、景はカバーの文字を流し読む。棚へ戻して立ち去ろうとした、ちょうどその時、小さな声が聞こえた。


「あっ」


 何かが当たった感覚に足元を見れば、それは何本かの缶だった。落ちた角度が悪かったのかごろごろ転がっていくそれらを二本、三本、片膝をついてさらにもう一本拾い、景は落とし主の方を見上げる。踵を上げ背伸びした体制から察するに、高く積まれたカゴに缶を入れようとして腕の間から落としてしまったらしい。

 踵を地につけたその落とし主は、水色のシャツにリボンタイを飾った清楚な出で立ちだった。不思議な編みこみのツインテールは星の瞬きを束ねたかのようで、蜂蜜色の瞳とともに金属的な反射をもっている。それは魔女の特徴に他ならないし、そもそも見掛け通りの少女なら学園近くなんかでビールなど買わないだろう。が、その冷たい缶のことも、それに潰されそうなコロッケ焼きそばパンのことも、もはや景の眼中になかった。


「ありがとう、学生さん」


 大人びた、あるいは年相応の微笑が魅力的だ。中学生にも満たない年頃に見える顔立ちとのアンバランスさがまた目を、否、心を強く惹いてやまない。入店時に引っ掛かった違和感は、きっとこの美しさによるものだ。


「と、当然のことをしててま……したまで、です」

「そう。いい子ね」


 ふふふ。可憐な笑い声に顔があついのは、台詞を噛んでしまったからだろうか。

 とても苦いらしいアルコールの缶を、彼女の取ったカゴに転がして今度こそその場を去った。そのとき何か言ったような気もするし、何も言わなかったような気もする。気付けば蒸し暑い屋外にいて、手の中の袋を覗けばコロッケ焼きそばパンとレシート。


「……いやいや」


 惚けた頭を振る。長く潜った後のように鼓動が早い。目を瞑れば星の天使のような姿が浮かび、いい子ね、と心地いい声色が鮮やかに再生される。


「…………いやいやいや」


 理解不能だと思いながら、既に確信していた。心臓が真綿で締め付けられるような感情。つまり、これは、俗に言うアレであり、それは、それは──。


「学生さん?」

「そはわっ!?」


 不意の呼び掛けに振り返れば、陽光に目を細める星の天使。


「そんなに驚かなくてもいいじゃない」

「ちょっと、考えごとをしてて……」


貴女についてなんですけど。じっと見上げる魔女は景のそんな内心を知るよしもなく、やがて道路を過ぎるバスへ視線を投げてから微笑んだ。


「そう、具合がわるくて動けないとかじゃないならよかったわ。こう暑いと危ないから」

「あ、ありがとうございます」

「当然のことをしたまでよ」


 にぃ、と悪戯っぽく言い残して景の横を通り過ぎていく。揺れるツインテールと天女を思わす真っ白なストールは蒼天によく映え、写真家ならシャッターを切らずにいられないほどの美しさだ。350ml缶のラベルが透ける大袋は邪魔なような、高貴な画面にギャップの華を添えているような、重そうな。


「待ってください!」


追いかけて、横に並ぶ。


「荷物、運ぶの手伝いましょうか」


 言ってから、魔女でも小柄なひとだと気付いた。中学生にもなっていないと言われたって十分に納得できる幼さ。実際のところ酒を買えるあたり景より年上なことは確定だし、服装も落ち着いた感じがする。

 大人っぽい、小さな魔女は景を、正しくはその制服の校章を見て頷いた。やはり、笑い方が学園の魔女とは違って見える。


「じゃあお願いするわ、学生さん」

「水樹景といいます。水に樹木の樹、景色とか光景の景で水樹景」

「奇遇ね、私は光景の光の字でひかり。天ヶ瀬光。荷物共々よろしくね、水樹君」


袋を差し出す手。細い手首には登録証がつけられている。銀色。未通の魔女。学園では少なからず見る存在ではある。景が彼女と同じ登録証のかかる手で受け取り「はい、天ヶ瀬さん」と答えると光はまた頷いて、先を歩き始めた。

 はたして自分の名字を呼ばれて、こんなに嬉しかったことがあったろうか。ないに違いない。誰かの名字を呼ぶのにこんなに緊張したことがあったろうか。一度だってありはしまい。液体どもの重さなんか少しも気にならなかった。

 先行く魔女は空いた手をひらひら振りながら話しだす。


「今夜ね、うちで宴会をやるの」


 空いているほうの手でスポーツバッグに自分の買ったものを入れながら、景は続きを聞いていた。ジリジリと照り付ける太陽の下、眩しくて思わず目を伏せた。


「お手伝いさんは夏休みでハワイで不在、でも黒崎先輩ってば『今年まだやってなかったな』とか言いだして、それが四日前」

「黒崎先輩、って」

「勘がいいわね。そう、聖銑区の魔王、黒崎暗音その人」

「魔王って」


笑いをこらえながら繰り返す。

 聖銑学園を中心、正確には中心やや西寄りにして形成される海上学園都市、聖銑区。日本皇国各地に七つある製鉄師養成特区の一つで、都内にある聖玉区の二軍のような立ち位置にある。黒崎暗音は聖銑学園の理事長であり、魔女体質で幼いままの外見からはわからないが魔鉄歴以前より活躍しているらしい。

 学園の様々な教師からも授業中不定期に、黒崎学長の策略や愚痴の切れ端が聞けたり聞けなかったりするものだが、しかし魔王とは初めて聞く。


「どうして魔王の宴会が天ヶ瀬さんちであるんです?」

「……なんでだったかしら……あぁ、最初は、姉がミーハーで黒崎暗音ファンだったからよ」

「ファン、ですか。……ああ、それで先輩?」

「まぁね」


 と、肯定しておきながら、直後にこんなことを言う。


「……違うわ」

「違う?」

「私のは姉が『黒崎先輩』って呼んでたのが移っただけよ! 姉は〇世代ワイルドエイジ後期の魔女だったから」


姉が、後期の、を強調する。つまり黒崎先輩からすれば見た目通りの小童も同然な生まれであると。もっと噛み砕けば、私はまだ若いほうなのだと。

 光はしばらく黙りこくって、咳払いの後に何事もなかったかのように話を続けた。


「……だ、だから姉さんは事あるごとに黒崎先輩をうちへ呼ぼうとして。まぁ宴会やるにも会議やるにも場所が丁度よかったのかもしれないわ。当時はまだ聖銑学園もなかったし、黒崎先輩は使えるものなら親でもハサミでも使ってみせるでしょう」

「親もハサミも使ってるの見たことないですけどね。武勇伝はいくつか聞いたことがありますよ」

「ふふ、武勇伝ねぇ。あ、次を右に曲がるわ」

「寮の方ですね?」

「ピンポン。寮からも学園からも近からず遠くもないあたり。……それで」


 視線を電線の小鳥へと惑わすと、光はぽんと両手を打った。整えられた綺麗な指先、小さな爪はクリアな淡い桜色のマニキュアでささやかに染められている。


「……そうそう、それで終戦後もうちで宴会するのが名残として形骸化してね。まぁ今では会議も学園でやればいい話だし、年に一、二回になっちゃったけど……だからただのどんちゃん騒ぎの同窓会みたいなものよ」

「……でも、だからってこれでは天ヶ瀬さんの負担が大きくないですか?」

「そんなことはないわ」

「その、出費とか……あとこれとか、もし俺がいなかったら自分で運んでいたでしょう? 重いでしょうに」


缶ビールの袋詰めを軽く持ち上げて示すと、光は歯切れ悪く顔をしかめた。


「あぁ……それは……」

「それは……?」


景が慎重に続きを促せば、躊躇ってみせる。返答は、都会のいったいどこにいるのか、喧しく求愛するセミたちにかき消されそうな小声だった。


「……本当はネットショップとやらで今日の昼には届いてるはずだったのよ。ケースで」

「届かなかったんですか?」

「いいえ。 どうやら発注もできてなかったみたい。……どうも苦手なのよ、機械って」


二度瞬きをして、景は吹き出した。


「酷いわ水樹君! は、初めてなんだからしょうがないでしょう」


光は頬を染めてわっと反駁する。けらけら笑いながら、景は軽口を叩いた。


「いやーでも簡略化が進んでるらしいし、うちのばーちゃんもネットでやってるらしいし、天ヶ瀬さんなんとなくパソコンとか強そうだから」

「ばーちゃんで悪かったわね。どうせ鉄歴生まれよ」

「そうは言ってないですよ! 失言でした!」


ふんと鼻を鳴らして早足になる光に景は慌てて取り消した。

 鉄歴、魔鉄歴。その境には文字通り、魔鉄の存在がある。世界各地で突如採掘され始めた、融けず、曲がらず、削れぬ悪魔の鉄。魔女とOI体質者はその加工が可能な数少ない人間で、イメージ力さえ充分ならばどんな形、どんな性質にも変えられる。ゆえに魔鉄という言葉の意味は魔法の鉄へと変異した。折れぬ刀、弾切れなき銃、瑕つかぬ盾。世界は途端に大混乱の争乱に陥った、と景は教科書で読んだ。自分の生まれる少し前まで、この小さな日本皇国を超国家の侵略から守り抜いた戦士が、〇世代ワイルドエイジと呼ばれていると。

 怒らせてしまったかと、二歩後ろの微妙な位置から揺れるツインテールを追いかける。追いかけるといっても魔女と高校生ではすぐに追いついてしまうので、景は小道に逸れた壁沿いの道をゆっくりと歩いた。

 高い壁が門で2メートルほど途切れたところで光が立ち止まったので、景は隣に並び、それから彼女を少し追い越してしまった。


「待って水樹君、ここよ」

「ここ、って……」


 光のところまで戻り門の表札を見れば、確かに『天ヶ瀬』と書いてある。

 絶句する景に「大きいでしょう。宴会もばっちりよ」と笑うと、光はシャツの胸ポケットから鍵を出して、門の引き戸を開ける。


「……ずっとお寺か何か、観光地だと思ってました」


 眼前では、本堂ですと言われれば騙されること請け合いの、大きな建物が門のフレームからはみ出していた。

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