ユア・ブラッド・マイン ~夢幻のスペクタクル~

減塩かずのこ

からくり屋敷のラプンツェル

一話:水樹景

 透いて、透いて、透いて。

 好いた心魂は酸いも甘いも知らぬ花。

 いずれ果肉を結ぶなら、酸いも甘いも皮のうち。

 遠く遠くに街明かり、あれは届かぬ夢灯り。飛び出すならば髪を編み、危険は加味せず置き手紙。

 恋も光陰も矢の如く。狙い射貫くはひとつの愛。蒼藍の空が光降らせば、燃ゆる恋慕の火の粉が煌めく。


 きらり、きらり。

 その輝きを、ずっと探していた。





 製鉄師養成学園において製鉄師科とドヴェルグ科に所属する生徒、その多くは入学の後に一も二もなく、不足しているイメージ力の強化に取り組む。例えばちょっとした美術作品や物語の制作であったり、戦闘訓練であったり、歴史や神話の研修であったり。その後、鍛えたイマジネーションをもって候補生は魔女との契約を果たし製鉄師ブラッドスミスに、あるいは魔鉄加工技術を身に付ける魔鉄加工技師ドヴェルグになる。あるいは普通科へ帰化していく者もあり、だいたいが二年目の秋が来る前にどちらかに確定させていく。もちろん、その『だいたい』の枠外に位置する生徒は一定数いる。

 彼もその一人。製鉄師科三年生、製鉄位階、未契約の候補生。


 ──水樹 景には、自分自身が見えない。


 言い換えれば透過して、あるいは時として真っ黒な影のように見えている。輪郭が薄らぼんやりしてでも見えているならいい方で、見えない時はメモを取ればペンがひとりでに動き綴られて見えるし、前髪が目の前を覆うのにだって気付けない。一人称視点の古いVRゲームみたいな視界。しかしだから何だというのだろう。強力な製鉄師は自分に見えている世界イメージと現実の差異を基礎に製鉄術を行使するというが、景にとっての差異など自分の存在感がなんだか希薄に見える程度にすぎない。長袖を着て手袋でもすれば、簡単に目を逸らせられる。逸らせられてしまう。その程度なのだ。

 

「やあドザエモン! 元気? スポドリ飲む?」


 明朗快活な声が思考を破る。水面に浮かべていた体を起こしてざらついた床に足をつけると、プールサイドに声の主たる友人の手を振っているのが見えた。膝下丈のボトムにオレンジのシャツとラフな私服で、どうやら補講に呼ばれたわけではないらしい。手を振り返すと相手は早足に飛び込み台へ寄って腰掛け、ペットボトルを揺らして手招いた。

 八月の入り。製鉄師養成学園、千葉にある聖銑校も、他校の例に漏れず夏休み真っ盛りだ。無料解放されるからといって高校生にもなって学校の、それも地味な室内プールになど遊びに行く生徒は多くない。よってこうして遊び場の取り合いになりようがない半貸切状態の中、気怠げな監視員は水面とにらめっこしている。泳ぎではなくイメージ力を鍛えるための施設だけあって、飛び込み競技用にも思える深度の区域もあるし、何なら実際に訓練ではそこへ飛び込まされるようなプール。危なくないことはないのだが。

 

「誰が水死体ですか」


 すいと近付いて手元の水を散らすと何すんだよーと怒ったように訴えられる。飛び込み台からつま先で蹴った水に反撃されるのを潜って回避、浮上すると水から上がって二番の台に座った。


「ごめんて。どっちかってーとおケイはドザエモンっちゅーかクラゲだよ。んでさ、三種類あったから全部買ってみたんだけどどれがいい?」 

「自販機のでしょ、ええと」


 右の、と伝えれば押し付けるように渡される。ありがとうと礼を言うと「奢りだぞ感謝したまえ」と照れ笑いを見せた。景のことを「おケイ」とネットスラングじみたあだ名で呼ぶこの友人を、景も「ヨリさん」とニックネームで呼んでいる。ドヴェルグ科所属、景と同じ三年で、景と違って実習に強い。田中こより、でヨリさんだ。いつか繊細な装飾の魔鉄製ブレスレットを見せてもらったことがあり、時たまに自称する通り優秀なドヴェルグらしいと景は知っている。

 考え事をしていたからか、思いのほか時間は経っていたらしい。喉が渇いていて、奢りのペットボトルはすぐに半分に減り水に浮きそうだった。特に何を喋るでもなくぬるくなりゆくスポーツドリンクを呷っては時折ばしゃばしゃ水を蹴る。サイダーの泡のようなクリアブルーの飛沫は窓からの差し込む真夏の陽射しをねじ曲げきらめき、そして波紋を残して消える。こよりも景に倣って水を蹴り上げたりラベルを剥いだりしていた。対岸ならぬ対プールサイドの近くからは水中鬼ごっこでもしているのか「タッチ返しなしだってー!」なんて賑やかな声と笑い声が届く。

 話題の持ち合わせがないのだろうかと無難に天気の話を振る寸前。不意に、こよりが口を開いた。


「そういやクラゲって死ぬとき水に溶けるらしいね、一昨日テレビでやってた」

「へぇ、共感を覚えます」


 『水に溶け崩れゆくクラゲ』を想像する。びろびろ長い触手が、椎茸みたいな頭の縁が、徐々に海水と同化していくイメージ。それは自分が薄まって消える『透過』の、景のイメージに似ていなくもない。

 製鉄師の鉄脈術、ドヴェルグの魔鉄鍛造の源となるオーバード・イメージ。それはこの世界マテリアルに同期する異世界アストラルの観測結果を身に映す現象だ。これを魔女、ないし魔鉄に投射するのが契約、あるいは魔鉄鍛造にあたる。景は自己認知の浮薄な歪む世界オーバーワールドを見て、しかしどこにも反映できないままである。


「おケイも死んだら溶けんの?」

「そうそう、まぁ俺からすれば今が絶賛溶解中でも分からないんですけど」


 脳天気なこよりに肩をすくめて返答する。その拍子にぽたり、と眼前で滴がこぼれた。

 オーバーワールドは理解されない。同じ林檎を描いても同じ絵にはならないように、似た世界を見る者あれど、全く同一の世界を見るOI体質者はいない。ゆえに自らに適合する魔女を必要とし、もしくは無機物である魔鉄に反映する。

 話したって詮無いこと、自分の世界はこうなっていると話すことは、つまり意味が無いようで深い親愛を示す。


「今日は透明人間の日なのねー」

「これで壁とか抜けられたらいいんですけどねー」

「いやんおケイのスケベ」

「スケベって言うヨリさんがスケベ」

「スケベって言うヨリさんがスケベって言うおケイがスケベ」


 以下略。スケベの数を指折り確認しながら視線を落とす。足首から先が濡れている感触と、ちょうど足首があるべきあたりに波紋が二つ止まっているのだけが景には分かる。こよりにはさらにそこに足が見えているはずだ。見えて面白いものでもないことくらい容易に想像できるが、どんな見え方をしているのだろう。指摘されたことはないからきっと変ではないのだろうと、景は希望的に思っている。


「……だいじょぶ、ちゃんと足あるよ。ノット水溶なうー」


景の見る虚空を、もとい、そこにある景の足先を見て、にへらと報告するこより。おどけた口調にふっと綻んだ口で、景はさらに冗談を重ねる。


「よかった。足ないと帰れなくなっちゃいますからね。そのまま全部溶けるのを待つしかなくなります」

「水着だけ残して……」

「それはちょっと嫌です。だいぶ嫌です」


 市販の打上花火みたいな笑いをひとしきり共有する。


「おケイさぁ廊下の掲示板見た? 最初っから上手くやれる奴なんかいないんだって」

「あー……いい加減に百万回は見聞きしてますよね、あの文句」

「耳にタコ口にイカ、鼻にホイミスライムができるぜってな」


 珍妙な言い回しに、景は聞き返した。


「ホイミスライム?」

「知らない? 回復のじゅもん使うクラゲ」

「またクラゲ」


 うひゃはは。両腕をうねうね揺らし、こよりは笑う。馬鹿にしているのではなく、ただ喋っているのが楽しいだけという印象を受ける。

 夏休みが明けたタイミングで、あるいは明けて一ヶ月経つ前に普通科へ移る生徒が毎年少なくないからだろう。一夏の間に絆を深める製鉄師・魔女のペアを見て劣等感に蝕まれ、過酷さを増す訓練に磨耗し、平凡に幸せに過ごす一般人に憧れる。だからといってあんなプリントを張ったところで逆効果に違いない。

 OI体質者には位階と呼ばれるレベルがある。一般には景のように視覚に影響が出るものを《製鉄》位階、それ以下を《埋鉄》位階、視覚以外の感覚を侵食するものを《鍛鉄》位階、そして規格外を《振鉄》位階という。規格外では正気を保てないためにほぼ不可能だが、製鉄位階ならば実は、一般人に紛れて生きていくこともなんとか不可能ではない。

 中高ともに二年目の夏は節目のボーダーラインになる。景は越えてなお一人。その折れない心がナントカカントカ激励されたことだって少なくないし、実家から離れた養成学園への進学を許してくれた両親への恩もある。プレッシャーがないわけじゃないが、景にとっては皇国への奉仕もブラッドスミスとしての偉大な功績も興味の範囲ににない。ただ自分がぼやけるイメージが収束すれば十分だった。この持て余しているのに欠けているような感覚を抱えて一般人ではいられない。それくらい、中学のころに学んでいた。


「んじゃ俺もう行くねー」


 こよりは最後に水を遠く蹴り飛ばして、プールサイドへ戻る。きょろきょろと辺りを見回して陽の当たるあたりへ向かった。どうやらタオルを持ってこなかったのか、こよりはそこで空気を切るように足を振り水滴を飛ばし始める。景はなんとなく実家の近くで飼われている犬のスズを思い出した。


「いいけどヨリさん、何しに来たんです。用があったんじゃないんですか?」

「んにゃ、まぁ暇潰しッスよ」

「暇なら課題でもやったらどうですー?」

「るせー、俺は忙しいんだよ。終わったら写させて」


 あまりに早い手のひら返しにボールが跳ねるような笑いが込み上げた。


「はいはい、って忘れ物ですよ」


 未開封のペットボトルを、ちょうどこよりが来たときそうしていたように振る。こよりはしばらく難しい顔をして唇を曲げた。


「おう分かってんじゃん忘れ物だぞ。じゃーな」

「いやいや持って帰ってくださいよ」

「忘れ物っつってんじゃん、持って帰ったら忘れ物になんないだろー!」

「はぁ……」

「察しが悪いぞおケイのバーカ! 俺帰る! 水分とれよ! さいなら!」

「さいならー……?」


 サンダルを突っかけて出て行くこよりを見送り、頭上にハテナを浮かべること三秒。彼の意図を理解する。なんてことはない、忘れ物だからと理由を付けて景に差し入れしたかったらしい。

 素直じゃないなぁと軽快に笑って、景はまたプールの中へ降りる。軽く伸ばした腕の場所を教えているのはOI体質者を示す腕輪型の登録証だけ。そしてその無愛想なシルバーは未熟者の証だ。

 少し泳いで、水深五メートルはあるというエリアに向かう。流石に飛び込み台の使用は授業以外だと禁止されているので突然人が降ってくることはない。軽く息を整えて、潜る。ダイバーに言わせれば五メートルは壁らしく、底はまだまだ遠い。本当に水死体になるわけにはいかないし、潜ることは手段であって目的ではない。いや、遊泳は綺麗な川辺の家に住んでいた景の趣味でもあるのだが。

 水樹景には自分自身がよく見えない。名前通り、影に見えるか、水のように透いて見える。講師に聞いた話によると、OI体質者が魔女体質者と契約し、正式に製鉄師となった時、それまで見えていたオーバーワールドは魔女の内へと格納されて消える。そして、契約が失敗するのは魔女との相性か、イマジネーションの不足が主として考えられると。



 イメージを消すにために強化が必要なのは、本末転倒じゃあなかろうか。


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