第7話


 私たちはゴミを拾った。潰れた空き缶、吐き捨てられたガム、汚れた靴下、破れた猥褻雑誌。普段は歩いていて目に入らないものが、気になって仕方が無かった。片手でビニール袋を持って、もう片方でトングを持ちながら、ふたりでせっせっと働いた。


 私は言った。

 

 「君はいつも清掃に参加しているの? 」


 「まあね」とエレナは答えた。「施設の子は参加が必須なの」


 「大変? 」


 「あんまり楽しくはないからね。他の人たちだって、誰もやらないから仕方なくやっている感じよ」


 「押し付けられたわけだ」


 「あなたも? 」


 「そんなところ」


 「断ればよかったのに」


 「君も断らなかっただろ? 」


 「だって、断るのも疲れちゃうから。基本的に、施設で諍い起こすのは控えてるのよ」


 「それはそれは」


 「ほら、私って賢いから馬鹿の相手はしないの」


 「それはそれは」


 「なに? 」


 「別に」


 私はそう言うと、トングで掴んだちり紙をビニール袋に入れた。なんとまあ、つまらない作業だ。それでも当初はこの清掃活動も清い理念の下で行われていたのだ。


 それを話すには、まずある物語について語らなければならない。それはかつてこの街が今より廃棄物で溢れていた頃まで遡る。まだ環境汚染に対する問題意識が根付いておらず、工場はヘドロを垂れ流し、煙突から黒い煙を立ち上らせ、川は汚れてしまい、歩道には一メートル間隔で必ず煙草が落ちていた時代だ。そのせいで病気になる者が多くいて、アイクという初老の男もその一人だった。彼の肺は活動が鈍くなっていたのだ。彼はそれまで極めて健康的で、週に三回は公園で懸垂やランニングを欠かさずにやっているぐらい身体には気を使っていたし、食べるものも厳選してアイスクリームや刺激物は口に一切入れなかった。肺を悪くするまで彼も自分が若くして、しかも病気で死ぬなんて思いもしなかっただろう。アイクは絶望した。運動ができなくなり、割れていた腹も筋力の低下と共に出てきて、目元は黒ずみながら弛んだことに。かつての自信が消え去り、家に篭ることが多くなったらしい。代わりに暇だったので本を読むことが多くなった。その殆どが小説ではなくて、初学者向けの学術書だ。小説は彼の性質とは相容れなかったのだろう。読むものも、法律や哲学より、自然科学的な題材を好んだ。やがて彼は弱る肉体と引替えに、社会を見通すもう一つの視点を手に入れた。彼は学んで気づいたのだろう。それも当事者としてはっきりと意識したに違いない。どうして自分の身体が壊れてしまうのか、なぜ水を飲んだら腹がむかむかするぐらい不味いのか、その果てにある世界がどんなものか。アイクは考えた。のこりの人生をどうやって使おうか、俺に何ができるのか、と。それがこのゴミ拾いだった。


 もちろん、アイクも自分ひとりがゴミを拾ったところで、街が綺麗になることはないし、彼が拾う量に比べたら圧倒的に捨てる方が多いことは承知していた。彼がゴミを拾う姿を見て賞賛を送りながらも、冷笑的に馬鹿にする者も多かった。彼の妻でさえ、かなり反対したようだ。こんなことをして笑いものされながら、アイクに身体を壊してほしくはなかったのだろう。なにも益がない行為だと彼に説得したらしい。しかしアイクは何も言わずに黙々とゴミを拾った。清掃中の彼の隣で若者が冷やかしに空き缶を道端に捨てようが、乞食みたいだと噂されようが、何も言わなかった。彼は自分のこうした行いが、けっして間違ってはいないと知っていた。こうして、誰からも変わり者だと思われながらアイクは墓に入ったのだ。彼の行いが本当の意味で讃えられるのは、それから何十年も後の話になる。はたして今の私たちを見たら、墓のなかでアイクはなにを思うのだろう?



 エレナと一緒にビニール袋をぱんぱんにして公園に戻ると、他の地区の清掃を終えた者たちが待っていた。すぐ解散することになり、私とエレナは二人で帰りに喫茶店に寄ることにした。そこで私はアイスティーを飲んで、彼女は桃のパフェを食べた。


 「今日はロイの代わりに来たんでしょう? 」とエレナは訊いて、私を見つめた。「彼と仲が良いんだね」


 「ちょっとだけね。彼はあの活動に熱心みたいだな」


 「そう、お掃除大好き人間みたいなの。まあ、ちょっと変わってるけれど、優しい人よ。子供が好きみたいだし。昔、子供と関わるようなお仕事をしてたかもね」


 「どうして、そんなことがわかるの? 」


 「私が子供だから」


 「ああ、なるほど」


 彼女は満足そうに笑った。それからパフェのアイスの部分を匙で掬うと、小さな口で頬張った。そして次は桃を食べる。窓からは牧歌的な光が差し込んで、気持ちのいい昼だった。こういうのは、なかなか貴重な時間だ。


 「今日は君に会えてよかったよ」と私は言った。


 彼女は言葉の真意を考えあぐねたのか、顔をきょとんとさせていた。少しして、ゆっくりと目を細め、徐々に口元に微笑みが浮かんだ。


 「ええ、また会いましょう。次の清掃日とかにね」


 「いいね」と私は言った。「でも、ドタキャンはやめてくれよ? 」


 彼女は顔を背けると、噛み締めるように笑った。私が「ドタキャン」なんて言葉を使ったのが面白かったらしい。何が人を笑顔にさせるのかなんて案外わからないものだ。かつての私は彼女の幸福を願って失敗したのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る